戦いの始まり
『火の車』とは、地獄にあって、火が燃えているという車のことだそうだ。
獄卒が生前悪事を犯した亡者をこれに乗せ、責めたてながら地獄に運ぶ様子は、地獄絵巻などに描かれて、生前の悪業を戒める説教に使われることが多いとかなんとか。
別に僕たちは悪いことをしたわけではないけれど、『締め切り』という債務に絶賛悩まされていた。
「ふぇありーさんは弓佳さんと共に『マニピュレータ』部の再設計をお願いします。やり方は弓佳さんに聞いてください」
と、今にも消え入りそうに声でパソコンから目を離すことなく東藤さんはそう告げた。
「いいふぇありー。この指の稼働範囲と、関節モータの角速度の設定をやってほしいの」
弓佳ちゃんが同様に死んだような目で僕に淡々と説明を行う。
僕は弓佳ちゃんの言葉を一語一句聞き逃さないように注意しながら、弓佳ちゃんの意外な頑張りに舌を巻いていた。
「風見さんには……このデータを渡します」
と、言いつつ東藤さんは手元のUSBを風見さんへと手渡した。
一瞬迷ったように言葉に詰まっていたけど、一体どうしたんだろう。
「……何かしら?」
「……これはお礼です。このデータを生かすも殺すも貴女次第です。出来れば私たちの『悠久機』に生かして欲しいですが」
なんとも含みのある言い方をしながら、東藤さんはそう締め括った。そして再びパソコンへと向かい、作業に戻る。
一体何のデータだろう? それが有益なデータならば、風見さんがそのデータを生かさないはずはない。だったらそこより問題はこのタイミングで渡すところにある。
もし本当に『悠久機』に生かして欲しいデータならもう少し早めに渡すだろうし、そもそもわざわざUSBでやり取りをする必要もない。そもそもデータの整理に時間がかかるだろう。
あれ。東藤さんの意図がわからない。この突拍子のなさ、まるで弓佳ちゃんみたいだ。
「ねぇふぇありー聞いてるの!?」
「え、あぁごめん! 大丈夫出来るよ!」
制御室に並んでいる一つの端末の近くに腰掛けながらチラリと風見さんを見ると、彼女は訝しげな視線でUSBを睨んでいた。
まぁいいや。東藤さんには東藤さんの考えがあるのだろう。
僕はそんな東藤さんの様子を不自然に思うのを止めて、必殺思考停止系男子を演じつつパソコンに向かった。
ーーーーーーー
だるい。めんどくさい。
これはその二言に尽きる作業だった。
以前、東藤さんが『係数を変えるだけ』、だと言っていたが正しくその通りだった。ただ、そんなに簡単な作業でもないけど。
『指の回転出力、及び範囲の設定』。これが僕に託されたワークだ。
制御式自体は出来上がっている為、コックピットからの出力に対して『指をどう動かすか』が設計の指標となる。
今制御式は『桜改』もしくは再設計前の『皇帝』に合わせられている。従って現状の係数だと、指を動かす命令を出した時、指が手のひらを突き抜いてしまう、指が閉まりきらない、等々の可能性かあるのだ。
それを越えないように、一関節モータごとに一つ一つ係数を再設計、及び確認をしていく必要がある。
「お、思っていたよりも辛いねこの作業」
「そうですよ。『桜改』の時はさらに機体設計も行ってましたからね私」
「……頭も上がりません」
そう。言わば僕のこの作業は『肉付け』に近い。制御式自体を作り上げる『骨組み』の作業は恐ろしすぎて考えるのも憚られる。
さらに『機体設計』も行っていたなんて東藤さん凄すぎる。今まで頼ってばっかでごめんなさい。
「お、終わったー! 足首周辺は終わったよ東藤ちゃん!」
と、その時弓佳ちゃんが伸びをしながら明るい声を出した。が、そのまま背もたれに寄りかかったまま動かない。
「あ、あれ? 弓佳ちゃん大丈夫?」
「……うぅぅぅ。つかれた。一回寝てくるよー」
消え入りそうな声で弓佳ちゃんはそう告げると、そのままの姿勢で手元のタブレットを操作してあっという間に光の粒子が彼女を包み込んだ。
「あー。行っちゃった」
「弓佳さん、もうぶっ続けで10時間以上作業してますからね。次は貴方の番ですよふぇありーさん」
「え? 僕も相当な時間RWにログインしているんだけど」
「え? ふぇありーさんは24時間態勢ですよ?」
東藤さんの笑顔が怖い。何というか狩人の目をしている。『僕』という獲物を目の前にした天才の狩人。
逃げることは決して出来ない。そう僕に感じさせるには十分に澄んだ瞳だった。
今回は少し短くてすみません。病院は無事退院しました。皆様、お体にはお気をつけください。マジで。




