第8話 絶賛の嵐の裏で、彼女はまっすぐ俺を見る
「カーーーーット!!!!」
スタジオの静寂を破り、鼓膜が震えるほどの監督の絶叫が響き渡った。
その瞬間、俺は「はー、疲れた」と心の中で一息つき、冷たいセットの床から上半身を起こした。
喉のコンディションをセルフチェックしてみるが、違和感はまったくない。あくびの発声を応用して、喉を大きく開いたまま息の振動だけで「過呼吸の音」を作っていたおかげで、痛むどころか、撮影前に舐めたハチミツ大根の潤いが完璧にキープされている。
前世でむさぼるように見た、声優のラジオやドキュメンタリー番組で得た知識様々だ。プロの喉のケアと発声技術、マジで半端ない。
しかし、一安心したのも束の間。顔を上げてスタジオを見渡すと、そこには異様な光景が広がっていた。
「……うう、ひぐっ……なんて、なんて悲痛な魂の叫びなんだ……! 大切な人を守りたかっただけの『私』に、こんな過酷な運命を背負わせるなんて、あんまりだよぉおお……!!」
ヘッドホンを床に投げ捨てた監督が、コンソールデスクに突っ伏して、周囲が引くレベルで大号泣していた。
大の大人、それも普段は「若き鬼才」などと業界で呼ばれている気鋭の映画監督が、十歳の子どもの演技を前にして、まるで迷子になった幼児のように鼻をすすって嗚咽を漏らしているのだ。
しかも、泣いているのは彼だけではなかった。カメラマンもアシスタントも、ある者はそっと目元を拭い、ある者は魂を抜かれたような顔で呆然と俺を見つめている。
(……いや、みんな泣きすぎじゃない!? これ一応、日本最高峰のプロが集まる撮影現場だよね!?)
困惑しながら横を見ると、さっきまで一緒に演技をしていた一条蓮ちゃんが、まだ顔を真っ青にしたまま、床に座り込んで小刻みに震えていた。
その瞳は、本気で怯えているようにも見える。
「……蓮ちゃん? 大丈夫? どっか痛い?」
俺がいつもの十歳児らしい、少し高めの優しいトーンで声をかけると、蓮ちゃんはビクッと肩を跳ね上げ、蜘蛛の子を散らすような勢いで後ずさりした。
「……怜、ちゃん、本当に……本当にあんな風に、頭がおかしくなっちゃったんじゃ、ないの……?」
「全然大丈夫だよ! ほら、どこも痛くないし、息も苦しくない。ただの演技だからね!」
なんとか彼女を安心させようと、両手を広げてみせる。
中身が男子学生の俺としては、できる限り「無邪気な子ども」をアピールして、この張り詰めた空気を和らげたい一心だった。しかし、蓮ちゃんの瞳の奥にある「この子、何者なんだ……」という戦慄の色は、簡単には消えそうにない。
そりゃそうだ。さっきまで目の前で、自分のせいで大切な人を破滅させた事実を知り、絶望のあまり『過呼吸になって壊れたように笑い崩れる女主人公』を、完璧に演じていたのだから。
実はその本番中「お前がそれをやったのか」という蓮ちゃんの迫真の問いかけに対し、俺は脳内で「私」としての悲痛な響きと感情を完璧に構築し、喉の共鳴腔を調整して出力していたのだ。
前世のオタク知識、数え切れないほどのアニメ鑑賞でつちかった膨大なサンプルデータをフル活用したのだ。
十歳児の澄んだ声から紡ぎ出された、脆くも美しい「私」の崩壊は、我ながら前世の伝説的声優陣の演技に迫るクオリティだったと思う。
そこに、ずびずびと派手に鼻をすすりながら、真っ赤に目を腫らした監督が猛烈な勢いでスライディングするように突っ込んできた。
「怜ちゃん!! 君は、君は本当に十歳なのかい!? あの『私』という、たった一文字に込められた果てしない絶望……! あれはただ台本を読んでるんじゃない、役の魂そのものが君に憑依していたんだ!!」
ガシッ、と両肩を力強く掴まれ、前後にものすごい勢いで揺さぶられる。
「監督、揺れてます! 頭がクラクラします……!」
大人の本気の揺さぶりに脳を揺らされながら、俺は必死に「十歳児の困り顔」を作って、なんとか抗議した。
しかし、興奮の絶頂にある監督に、俺の引き気味のリアクションはまったく届いていない。
「これは没シーンどころか、この映画の最大の見せ場だ! 蓮ちゃんのあの冷徹な演技と、怜ちゃんが魅せた最高峰の狂気……! この二人の天才のぶつかり合いこそ、我が映画の心臓になる! おい、すぐに編集室にこのデータを回せ! 本編のストーリー構成を、このシーンを中心にすべて組み直すぞ!!」
「おおおおーーーっ!」と、スタジオのスタッフたちから地鳴りのような歓声が湧き上がる。
どうやら、前世で「演技がリアルすぎてカットされた」と噂されていたあの曰く付きのシーンは、俺の徹底した発声技術のカバーによって、カットされるどころか、この映画の「主役部分」に大化けしてしまったらしい。
(冗談だろ……? プロの発声を応用しただけなのに、現場の大人たちの本気のスイッチを入れちゃったぞ……)
前世の知識を使って、自分の喉を痛めないように安全第一で演技しただけなのに。
現場のプロの大人たちを、完全に別の意味で狂わせてしまった自覚が、ようやくじわじわと湧いてきた。
監督たちが「上映時間の配分をどうするか」で熱い議論を交わし、スタジオがお祭り騒ぎのようになる中、俺は少し疲れた体を休めようと、セットの隅にあるベンチに向かって歩き出した。
その時。
後ろから、トタトタと小さな足音が追いかけてきた。
振り返ると、いつの間にか立ち上がった蓮ちゃんが、まだ少し赤くなった目で、真っ直ぐに俺を見つめて立っていた。
「蓮ちゃん? もう平気?」
声をかけると、彼女はぎゅっと自分の衣装の裾を握りしめ、何かを決意したような、真剣な眼差しを俺にぶつけてきた。
「怜ちゃん。……あなた、本当は、誰なの?」
その、あまりにも核心を突いた鋭い問いかけに、俺の心臓が一瞬、ドクンと嫌な音を立てて跳ね上がった。
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【作者より】
第八話をご覧いただきありがとうございました!
無事に本番を終えましたが、スタジオは監督の号泣を筆頭に、映画の構成をひっくり返すほどの大騒ぎに発展!
喉を守るために前世の知識で演じた怜の『私(女主人公)』の演技は、プロの大人たち全員の心を奪ってしまいました。
しかしそんな中、間近でその「怪物級の演技」を浴びた一条蓮ちゃんから、まさかの言葉が……!?
「あなた、本当は誰なの?」
怜の正体(中身は前世の男子学生)が、早くも蓮ちゃんに見破られてしまうのか――!?
「蓮ちゃんの鋭い一言に鳥肌立った!」「続きが気になる!」と思ってくださった方は、評価や
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次回の第九話も、どうぞお楽しみに!




