春待ちオートマタ 第1話
澄んだ空気、石畳の道には昨夜の雨がまだ少しだけ残っていて陽の光を反射し、きらきらと揺れている。町の中心にそびえる時計塔は、今日も変わらず時を刻んでいた。
長い年月を経た針は少しくすんでいるのに、不思議とその姿は誰より誇らしげだ。
時計塔へ続く坂道には、小さな店が肩を寄せ合うように並んでいる。
歯車修理屋。
石窯パンの店。
骨董屋。
オーダーメイドを取り扱う靴屋。
どの軒先にも真鍮の飾り歯車が揺れていて、風が吹くたび「チリン」と小さな音を鳴らした。
そんな街に数羽の雀が小さな翼を羽ばたかせ飛んでいる。中には、大きな時計塔の針に止まりチュンチュンと鳴いている鳥もいた。
――カタコト……カタコト……カタコト。
時計塔の歯車が動いている。
すると、突然、ゴォン……ゴォン……と、大きな音が鳴った。
その瞬間、時計塔の最上階にあるベッドで横たわっている15か16歳ぐらいの少女がゆっくりと目を覚ました。
少女は胸に手を当てると自分の心音を聞く。
少女の心音は、時計塔の音と同じく「カタコト……カタコト……」と鳴っていた。
「……本日も正常です」
深海のように青い瞳。艶やかな黒髪は、夜の色を映したように美しい。
少女は長い髪を、青い硝子玉のついた簪でひとまとめにする。それから、丁寧に畳まれていた青の着物へ袖を通した。
これは、ただの着物ではない。
襟元には白いレース。
裾は金魚の尾びれのようにゆるやかに分かれ、歩くたびにひらりと揺れる和と洋を織り交ぜた不思議な装いだった。
まるで物語に登場する人魚姫のようだった。
――チリン、チリン。
編み上げブーツに付いた鈴が小さく鳴る。
「おはようございます、カナエ様。朝でございます」
声を掛けると、部屋の奥から気だるげな声が返ってきた。
「んん……もう少し寝かせておくれ……」
白髪混じりの髪を乱した老婆が、布団の中でもぞりと動く。
「いけません。カナエ様の生活時間は一般的な昼夜と逆転しております。健康に悪影響があると、昨日、陽斗様から伺いました」
「はっ。あのストーカー予備軍の小僧かい」
老婆――カナエは鼻で笑った。
「昨日も来たのかい?」
「はい」
「まったく、懲りないねぇ。それで、小鳥。今日のの調子は?」
少女は淡々と答える。
「両腕両足関節、正常。視界、正常。胸部歯車、正常稼働中です」
「つまり、元気ってことやね」
「……そう、とも言えます」
「人間はそれを“元気”って言うんよ」
小鳥はきょとんと首を傾げた。
「ですが、私はカナエ様とは違います」
「やれやれ。まだまだやねぇ」
カナエは苦笑しながら立ち上がる。
小鳥はすぐに着物を手に取り、慣れた手つきでカナエの着替えを手伝った。
「ありがとう。でも、あたしの世話ばっかりせんででええ。あんたはあんたで、好きに生きなさい」
「好きに……ですか?」
「あぁ。あたしはね、小鳥。あんたに“人の心”を知ってほしいんよ」
「心、ですか」
「そうさ。今のあんたは、まだ“喋るだけのからくり人形”や」
カナエは帯を締めながら、小鳥をまっすぐ見つめる。
「あたしは、あんたに笑ってほしい。嬉しいとか、悲しいとか、誰かを大切に思う気持ちとか……そういうものを知ってほしいんよ」
「……よく、わかりません」
「今はそれでええさ」
カナエはにっと笑った。
「あたしは信じとる。いつか、あんたにも心が芽生えるってね」
その笑顔を見た瞬間、小鳥は胸の奥――歯車の辺りが、ほんの少し熱くなる感覚を覚えた。
――カナエ様の笑顔を見ると、胸部機構が熱を持つような感覚があります。これは、一体なんなのでしょうか。
「さぁて! 朝から湿っぽい話は終わり! 今日も一日、始めようじゃないか!」
「はい、カナエ様」
こうして、からくり人形・小鳥の一日が始まった。




