宴章 零鋼〜終陣〜
【零鋼〜終陣〜】
――がしゅん、
――がしゅん、
――しゅこー、
――しゅこー、
――がしゅん、
――がしゅん、
白い煙をあらゆる関節から吹き出し、鋼鉄の化け物はカクカクと首を痙攣させながら捻った。
開かれた口には牙が並び、蒸気機関車のようなリズムで空気を吐きだす。
制御しきれなくなった青白い電流が身体中に迸り、金属とぶつかり合って狂曲を奏でる。
最速の機械兵。
戦争をたったの一機で終わらせる兵器。
戦略傀儡兵。
だが相手は幾千幾億の兵士ではなく、たった一匹の猫。
そんな猫が零鋼にとっては戦争よりも驚異。
『行クゾ親愛なる強敵よおおおおおおおおおオオオ!』
背中が大きく開き、百目鬼が如き数のレンズが覗いた。
それら全てからレーザーが放たれる姿はまさに背中に羽の生えた天使。
いや。
赤の翼は堕天か。
堕天の羽根は一本一本がケット・シーを狙って突き進んだ。
逃げても逃げても追い続けるしつこい誘導レーザー。
オーディンのような巨体なら避けることもできず全ての攻撃を喰らい、極小のステルストーピードごと跡形もなく消し飛んだだろう。
網。
巨体でなくともこれを避け切れる者が居るとは思えない密度と数。
「なんて攻撃だ……!」
ケット・シーは直立する柱を蹴って後方へ逃げた。
ハエトリソウという食虫植物のようにレーザーの束はばっくりと口を閉ざした。
巻き込まれた巨大な柱は高威力と高熱で蒸発。罅一つ入らず分断された。
果てなき摩天回廊に立つ柱が折れ――果てなき下へと永遠に落ちて行く。
レーザーは尚もケット・シーを追う。
その動きが触手にも見えるほど細かいうねりをしており、このレーザー攻撃だけで本当に戦争を終わらせてしまうことが可能だと思えてしまう。
「幸いこの空間での距離は永遠。レーザーの速さより私の速さが上回っている」
その通りだった。
抜け目ない網のレーザーもケット・シーに追いつけていない。むしろ引き離されている。
遠隔攻撃のあり得ない欠点とでもいうのだろうか。
銃弾よりも速く逃げる標的など普通では考えられない。
だが事実だ。
相手は元最速。レーザーという光よりも速く逃げている。
つまり光速を――越えている。
音速を超えた時点で身体は崩壊する筈。それが光速を越えても健在。
『速さに特化した身体は光速にも耐えられるというのカァァァ!』
これは速さと速さの戦い。
信じられない話だが、零鋼とケット・シーの戦いに於いてレーザー攻撃は無意味。
ただの浮遊物にすぎない。
『電磁結界ィ……。超電磁誘導……rapid act FINAL』
光線の放射を中断し、零鋼は超高速の世界へと突入した。
自分の放ったレーザーを追い越し、ケット・シーへ向かって飛んでゆく。
零鋼の身体も超光速に対応でき、電磁力は化け物の身体を光速以上の速さで射出するエネルギーを有していた。
ここからは常人が目視すらできない亜光速戦闘。
やはり己が速き身体で戦うしかない。
「来たな!」
『蝕食ィィィ!』
零鋼は長刀を振り、ケット・シーは爪で受け止める。
『ケットシィィィィ。知っていル。零鋼は知ってイル。貴様はただの妖精族。猫の妖精』
「だからどうした……!」
『弱小種族の妖精ガ、どうして速さを求めタ』
「そんなもの私の勝手だろう。ほらボサッとしていると、お前が自分で放ったレーザーが追い付いてくるぞ」
零鋼が後方を振り向く。
赤いレーザーの大群がケット・シーを狙って迫ってきていた。
『チィ』
二人は再び光速へ。
『電影分身』
零鋼の身体がテクスチャ化し、三体に増えた。
超光速の三体を相手にケット・シーは苦戦する。
一体を爪で引き裂くと、そいつはどうやら幻像で消滅してしまった。
二体目を蹴り飛ばすと、そいつも幻像。
三体目。
本体はケット・シーの頭を掴んだ。
『Electric shock』
「がああああああああ」
ケット・シーの身体に電流が走る。
零鋼は〈死なない程度〉の電気を流し、帯電する獣を柱へ投げつけた。
通電する材質でできているらしい柱にピタリと張り付く。
食い縛ったケット・シーの歯がバチバチと音を立て、青白い電気が弾けた。
敵の身体に電気を流しこんでからが零鋼の真骨頂。
『ハハァァァァァ……。So SweetなPainダロウ?』
「グアアアアアア」
『マダ死ぬなよ弱小有機物。このままデハ貴様は五百三十万三千八百六十一番目にツマラナイ貴様になってシマウからな』
鋼の腕がケット・シーの脚を撫でる。
腰を撫でる。
腕――前脚を撫でる。
そして胸に掌を当てた。
『電磁衝撃波。Impulse!』
――バチィ!
獣の身体を中心に柱が窪んだ。
牙の間から吹いた泡が零れ、ケット・シーの全身から煙が上がった。
「ッ! ッ!」
筋肉が一定のリズムで痙攣。
零鋼の電気ショック攻撃でケット・シーの意識が薄れてゆく。
『ドウダイ。軽く力を見せたダケでこの有様。まあ貴様は元々生身での格闘戦しかできないからな』
「それが……最速というもの……だ」
『ハハハハハ。拘るネエ。速さに取り憑かれるから早死にするノダ』
「ふふ……ふ……」
『承知の上か。救えない有機物ダ』
「しっかし……おっせえ攻撃……だな……」
『…………』
零鋼は電圧を上げた。
ケット・シーの血管や神経が浮き出て苦痛が増す。
『そんなに見たいのナラ見せてヤロウ……電磁結界展開』
肩の突起から青白い電気が迸り、零鋼は超電磁誘導で亜光速に入った。
同時に肘部や腰部、背部、脚部にジェットノズルが開く。
光速の上に再加速を行い、電撃をも付与するという凶悪な零鋼の多段打撃だ。
『《Lost World》』
猛攻。
猛攻に次ぐ猛攻。
猛攻に次ぐ猛攻に次ぐ猛攻。
猛攻猛攻猛攻猛攻猛攻猛攻猛攻。
柱の崩壊が打撃に追いつかないという超現象。
割れた瓦礫が更に割れ、また更に割れ、欠片と化しても零鋼のパンチやキックを受け続ける。
無論、標的の獣も同じ。
打撃でベコリと凹んだ身体の形状が元に戻る頃には既に数十発の打撃が撃ち込まれる。故に身体は殴られた形状のまま元の形状に戻ることを許されない。
『ッシィィィィィィィ!』
頭頂部から爪先まで細胞単位で見ても余す箇所なく打撃を見舞う。
それは一瞬で行われる所業。
零鋼が消えると同時に柱も消え、ケット・シーの身体がぐしゃりと変形した。
数千発の打撃を撃ち込んだなど、常軌を逸した反射神経を持ち合わせていない限り誰も気付かないだろう。
これが零鋼。
光速の世界の住人。
進化するブラックボックスと銘打たれた最強兵器の実力。
そんなスピードでは殴る際に生じる音も可聴域を外れてしまい、無音。
風を切って最速で駆け抜けてきた獣の皮膚が拳圧の連続でメリメリと破れ、電撃の拳で焦げてゆく。
戦争を一機で終わらせるどころの話ではない。
この鋼の化け物は間違いなく一瞬で戦争を終わらせられる。
まばたきせぬ間に全世界を殴り飛ばせる。
最後の一撃を放った体勢で、
『The EEEEEEnd!』
零鋼は超高速戦闘モードを解除した。
残ったのは電磁網に縛られたケット・シーの変わり果てた姿……。
――しかし。
『……ン?』
零鋼はおかしな事に気が付いた。
このスピードで殴るということは、ケット・シーの身体を一撃で貫通するのは当然。
なのに未だケット・シーの身体は骨が折れ皮膚が破れる程度で留まっている。
これはおかしい。
零鋼は全力で拳や脚を振り抜いていた。
既に敵の身体はミンチになっているのが普通だ。
なのにかろうじて原型を留めている。
しかも――息がある。
『こ、コイツ。マサカ!』
「……う……おえェ……!」
ケット・シーが口から血の混じった泡を吐いた。
そして呼吸をしている。
肺すら潰れていない。
『打撃に合わせて身体を脱力させたノカ!? イヤそれだけでは零鋼の攻撃は受け切れナイ! 身体を微弱に後退さセタ!? 馬鹿ナ!』
不可能だ。
打撃に合わせて各所を若干後退させて衝撃を緩和するなど。
ありえない。
そんなことはありえない。
数千発の打撃を全て見切らなければそんな芸当はできない。
「これが……結果だ……屑鉄」
『ウウウウウウウ嘘ダ!』
「ご……う、オエ。な、なまじ機械の身体であるから、感触というものが……無い。それがお前の、致命的な、弱点、だ……」
LostWorldは零鋼の全力。
あれが出しうる最高の速さだった。
それ以上の速さは出せない。それだけのエネルギーを生み出すにはこの世界に源が足りないのだ。
電磁力の限界。
それをこいつは、この有機物は越えてしまった。
自然のエネルギーの限界を超えてしまった。
証明……されてしまった。
『そんなハズはナイ! 貴様の速さが零鋼を超えるナド……』
「……ふふ」
『貴様を殺してしまえば良いノダ。殺して蝕食に喰わせレバ、零鋼はモット速くナル!』
ボロボロのケット・シーを前に、零鋼は再度亜光速モードへ。
その超光速移動の状態で蝕食を振る。
超超光速の斬撃だ。
横に振られたそれをまともに受けてしまっては終わりだ。
ケット・シーは痺れる身体を懸命に捻って回避する。
しかしすぐに二撃目が来た。
突きだ。
蝕食の鋭い刃がケット・シーの腹を捉え――
貫いた。
「グアアアアアアア」
『ギュハハハ、貴様の速さを喰ってヤル』
「さ……させん!」
『――!?』
零鋼の腕を掴み、蝕食に刺されたままケット・シーは残された力を振り絞り、隣の柱へ跳躍。そこで思い切り脚を踏ん張り――蹴った。
蹴られた柱はその反動で粉々になり、零鋼と繋がったままケット・シーは全速力。
そのまま零鋼の背中ごと別の柱に突っ込んだ。
しかし光速を超えた二人の身体は柱一本では止まらない。貫通し、更に二本三本と貫通。
『ギュオオオオオオオオオ!』
ケット・シーが軌道を斜め下に取ったことで、斜め下から柱を背中に受ける零鋼への負担は相当な大きさだ。
次々に柱を折りながら進み――
『ギギャグルァァァァァ!』
数十本目の柱に突っ込んだところで――
『ゴガガ……』
やっと勢いは止まった。
その時既に……ケット・シーの身体に突き刺さった蝕食はいっそう深々と刺さり、零鋼の腕が背中から出ているような状態。
だがもっと酷いのは無数の柱に全身で叩きつけられた零鋼の方だった。
『ギュ……ギュブ……ガギガガガ……』
片脚と肩が無い。
露出したギミックからはショートした電気が漏れている。
二人とも速さの勝負ができない身体となり果てていた。
『ギ……ギ様、貴様、こんな……ゴんナ馬鹿げた戦法とも呼べない戦い方ガアルカ……』
「……ふ……ん。これで速さを吸っても……無意味だな」
『アアアアアアリエナイ。認めナイ!』
「ふふ、私の……ケット・シーの速さで……お前はそのザマだ」
『フゥ、フザケルナヨ……! 何が速さダ! これは速さの対決による結果ではナイ!』
「言ったろう? 〈速さでは既に私が勝っている〉と。電磁力で得た速さを用いるお前は、既に最速の称号を失い、最速を競う土俵から落ちているんだよ……」
『アアソウカイ! ナラバこんな弱い称号、零鋼は要らナイ!』
「ふん……弱くて悪かったな。最速の称号は返してもらう」
『さっさと退ケ! 貴様は殺ス! 速さなどナクトモ、零鋼の圧倒的な強さヲ――』
「残念ながらそりゃ無理だ」
『……ナンだト?』
磔にされ、柱に埋まった零鋼は雄叫びを上げるが、零鋼の腕に突き刺さったケット・シーはニヤ――と嗤った。
その顔の向こう側。
零鋼のAIがモニターへ危険信号を鳴らす。
赤い光が柱を縫うように近づいていた。
あれは……
最初に零鋼が放ったホーミングレーザーの大群。
「……あ……っはははは。自分の攻撃を忘れるとは、お前は速さだけでなく頭も劣化したのか?」
『グアアアアアアアアアア! 退けえええエエエエ!』
ケット・シーは力いっぱい零鋼を抑え込んでいる。しかも身体が腕に貫かれている為にガッチリと抑えが決まってしまっている。
鋼鉄の化け物がいくら暴れようと、柱から抜け出せそうになかった。
『キ、貴様モ死ぬんだゾ!』
「結構。惨劇を仕留められないのは残念だが、心配ない。あの死神の少女に託す。最速の称号と共になら……本望だ」
『グアアアア! ク、狂ってイル! 蝕食、早くこのオカシな猫を吸い尽クセ! 速く!』
だが蝕食の刃はケット・シーに触れておらず、吸う事が出来無い。
「あはははは。最速の戦いは最速で終わるのさ」
零鋼の視界が赤いレーザーで埋め尽くされた。
『ギュオオオオ、E.W.B(Electromagnetic Wave Barrier)緊急展開!』
「諦めの悪い機械だ。その技術ではあのレーザー群を受け切れないことくらい、わかるだろう……」
『ウウウウウウウウルサイ! 零鋼はコンナ処で終わらない! 終わる筈がナイ! 零鋼は永遠ナンダ!』
「お前の負けだ。零鋼」
『ギュ――――ギャアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!』
柱も最速も元最速も、まとめて赤い閃光に飲み込まれた。