61 一人で狩り
翌朝。
ガルム村には久しぶりに活気が戻りつつあった。
昨日まで飢えと干ばつに沈んでいた村人たちは、それぞれ畑を見回り、井戸の周囲を掃除し、壊れた柵を直し始めていた。
その中で、一人の青年が静かに森へ向かって歩いていた。
腰には昨日手入れした解体用の短剣。
肩には簡素な荷縄。
身体には魔力循環によって整えられた力が巡っている。
後ろからレックが歩いていた。
「一人で行くんですね。」
青年は笑って頷いた。
「昨日までなら無理でした。」
「でも今ならできます。」
「確かめたいんです。」
レックは何も止めなかった。
旅人は挑戦を奪わない。
見守ることも教育の一つである。
二人は森の奥へ進んでいく。
やがて藪が揺れた。
大きな鼻を鳴らしながら姿を現したのはフォレストボアだった。
体長は三メートル近い。
体重は三百キログラムを優に超える。
この辺りでは村人が数人掛かりでも苦戦する大型の魔物だった。
青年は落ち着いて呼吸を整える。
魔力循環。
魔力操作。
身体強化。
筋肉強化。
昨日教わったことを順番に実行していく。
フォレストボアが突進してきた。
土を巻き上げながら一直線に迫る。
青年は逃げない。
掌をゆっくり前へ向けた。
「ウォーターマスク。」
透明な水が瞬時に魔物の鼻と口を包み込む。
暴れる。
転がる。
地面へ頭を打ち付ける。
巨大な体が木々を揺らした。
しかし水は外れない。
青年は魔力操作を維持し続けた。
呼吸が止まる。
やがてフォレストボアは静かになった。
森は再び静寂を取り戻す。
青年は大きく息を吐いた。
「……勝てた。」
レックはその姿を静かに見守る。
「見事でした。」
「恐怖に負けませんでしたね。」
青年は照れくさそうに笑った。
「昨日までなら逃げていました。」
「魔法を知っただけじゃありません。」
「戦い方を理解できました。」
コウランが言っていた言葉を思い出す。
「力は振り回すものじゃない。」
「理解して使うものだ。」
青年は頷き、次の作業へ移る。
掌を地面へ向ける。
水魔法を発動した。
水が凍り始める。
厚い氷板となり、さらに四輪を備えた荷車へ変化していく。
取っ手まで丁寧に作られていた。
青年は驚きながら苦笑した。
「本当に作れるんだ。」
フォレストボアを荷車へ乗せる。
普通なら何人いても苦労する重さだった。
しかし身体強化と筋肉強化によって身体能力は大きく向上している。
青年は荷車を引いた。
重い。
それでも歩ける。
一歩。
また一歩。
森を抜ける頃には、汗こそ流していたが足取りはしっかりしていた。
村へ戻ると、真っ先に子どもたちが駆け寄る。
「フォレストボアだ!」
「一人で倒したのか!」
驚きの声が広がる。
青年は照れながら笑うだけだった。
そのまま広場へ運び、解体を始める。
水刃を細く伸ばす。
皮へ。
筋へ。
関節へ。
無駄なく刃が入り、巨大な魔物が少しずつ部位ごとに分かれていく。
村人たちは息を呑んだ。
「包丁より綺麗だ。」
「昨日覚えたばかりとは思えない。」
内臓も丁寧に取り出す。
川から生み出した清らかな水で何度も洗う。
血や臭みを落とし、一つ一つ食材として整えていく。
レックは手帳を開き、筆を走らせていた。
「狩猟。」
「運搬。」
「解体。」
「調理。」
「水魔法は生活そのものを変えている。」
青年は家へ戻り、大きな鍋を抱えてきた。
細かく刻んだ内臓を鍋へ入れる。
水を注ぎ、火に掛ける。
ゆっくり煮立ち始める。
灰色の灰汁が浮かび上がるたびに、木杓子で丁寧に取り除いていく。
焦らない。
繰り返し。
透明になるまで続ける。
最後に塩を少しずつ加え、味を確かめた。
「……よし。」
村人たちへ器が配られていく。
湯気が立ち上る。
肉の旨味が溶け込んだ温かなスープ。
一口飲んだ老人が目を見開いた。
「うまい……。」
子どもたちは夢中で飲み始める。
母親たちは涙を浮かべていた。
「久しぶりに、お腹いっぱい食べられる。」
広場には笑顔が戻っていた。
誰もが満たされた頃、青年は静かに立ち上がる。
村人たちの視線が集まった。
「昨日まで、俺は皆と同じだった。」
「腹を空かせて、どうにもならないと思っていた。」
一度深呼吸する。
「旅人に助けられた。」
「麦粥を食べさせてもらった。」
「魔力循環を教わった。」
「身体強化も、水魔法も教えてもらった。」
青年は拳を握る。
「だから今日、一人で狩りができた。」
村人たちは静かに聞いている。
「これは俺だけの力じゃない。」
「教えてもらったからできた。」
青年は村人たち一人一人を見渡した。
「皆に聞きたい。」
「やる気はあるか?」
一瞬だけ静寂が流れる。
そして最初に老人が立ち上がった。
「ある。」
続いて女性が頷く。
「私も。」
若者たちも拳を握る。
「やる。」
「俺も学ぶ。」
「私も強くなりたい。」
やがて村中から声が重なった。
「やる気はある!」
青年は力強く頷いた。
「決まりだ。」
「今日から俺たちも変わろう。」
レックはその光景を見ながら小さく呟く。
「……マイトガイ。」
「エリーゼ。」
「同じですね。」
コウランは静かに頷いた。
「切羽詰まった人間は、ほぼ同じ行動をする。」
「救われた者は、自分だけ助かろうとはしない。」
「次は周囲を救おうとする。」
レックは筆を走らせながら微笑んだ。
「だから環境が変わると、人も変わるのですね。」
「ああ。」
コウランは笑みを浮かべる。
「環境が人を育てる。」
その言葉どおり、ガルム村にも新しい教師が生まれようとしていた。




