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旅人は教えるだけ。あとは人々が勝手に世界を変えていった  作者: 慈架太子


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19/34

19 娼婦たち

 移民の受け入れが一段落すると、エリスは記録魔道具を手に、新しく村へ加わった人々の情報を整理していた。


 名前、年齢、健康状態、家族構成、これまでの職業、得意な仕事。


 一人ひとりの情報を丁寧に記録していく。


 村は既に、感覚だけで人を動かす場所ではなくなっていた。


 記録は知識となり、その知識は教育へ変わる。


 それこそが、この村の新しい文化になり始めていた。


 そんな中、エリスの手が止まる。


「……三十人。」


 横で手伝っていたフェルトアが首を傾げた。


「どうかしましたか?」


「新しく来た女性たちの中に、以前、娼婦として暮らしていた人が三十人いるわ。」


 その言葉に、周囲は静まり返った。


 決して責めるような空気ではない。


 ただ、彼女たち自身が肩を小さく震わせていた。


 一人の女性が震える声で口を開く。


「私たちは……普通の仕事なんてしたことがありません。」


「どこへ行っても、娼婦だったと分かれば追い返されました。」


「迷惑を掛けるだけです……。」


 誰も顔を上げられなかった。


 貧困。


 飢餓。


 病。


 借金。


 家族を養うため。


 生きるため。


 理由は人それぞれだった。


 それでも、多くの町では過去だけを見られ、未来を見てもらえることはなかった。


 その様子を見ていたフェルトアは、静かに歩み寄る。


 そして一人の女性の手を優しく包み込んだ。


「ここでは、過去ではなく今を見ます。」


 その言葉は、とても穏やかだった。


「ここへ来た理由は、生きたいと思ったからでしょう?」


 女性は涙を浮かべながら頷く。


「はい……。」


「それなら十分です。」


 フェルトアは優しく微笑む。


「この村では、人は昨日ではなく今日の行動で信頼を積み重ねます。」


「だから、自分を責めなくて大丈夫です。」


 その言葉を聞き、何人もの女性が涙を流した。


 エリスも記録魔道具を閉じる。


「この村には仕事がたくさんあります。」


「農業。」


「紡織産業。」


「調理。」


「治療院。」


「学校。」


「公衆浴場。」


「掃除。」


「水路整備。」


「記録。」


「物流。」


「誰かにしかできない仕事ではありません。」


 エリスは一人ひとりを見渡した。


「得意なことを活かし、苦手なことは学ぶ。」


「それが、この村の考え方です。」


 一人の女性がおそるおそる尋ねる。


「私にも……何かできますか?」


「もちろんです。」


 エリスは迷いなく答えた。


「教育は才能を選びません。」


「努力する人を支えます。」


 その言葉は、コウランが村で何度も語ってきた考えそのものだった。


 この世界には魔力を持つ者が多い。


 けれど、その魔力を扱えない者がほとんどだった。


 才能が無かったわけではない。


 教える人がいなかった。


 教育が存在しなかった。


 だから人生が決まってしまっただけだった。


 ノールが前へ出る。


「まずは魔力循環から始めましょう。」


 彼は穏やかな笑みを浮かべた。


「焦らなくて大丈夫です。」


「呼吸を整えてください。」


「魔力は体の中を巡っています。」


「それを感じるところから始めます。」


 フェルトアも女性たちの間を歩き、一人ずつ姿勢を整えていく。


「肩の力を抜いてください。」


「ゆっくり息を吸って。」


「吐く時に体の中を温かいものが流れると想像してください。」


 最初は誰も分からなかった。


 それでも何度も繰り返す。


 魔力操作。


 魔力循環。


 その基礎を、丁寧に教えていく。


 数十分後、一人の女性が驚いたように目を開いた。


「体が……温かい。」


 ノールは笑顔になる。


「それです。」


「今、魔力が流れました。」


 次々と同じ声が上がる。


「私も感じます。」


「手が軽い。」


「疲れが少し消えました。」


 魔力循環は、体を整える技術だった。


 疲労を回復し、病を防ぎ、体を鍛える。


 コウランが旅の中で教え続けてきた最初の教育でもある。


 さらに訓練が続く。


 魔力操作。


 手のひらへ魔力を集める。


 指先へ流す。


 少しずつ形を整える。


 失敗しても笑う者はいない。


 村人たちは、自分たちも同じ道を歩いてきたことを知っているからだった。


 やがて、一人の女性の手のひらに小さな水球が浮かんだ。


「できた……。」


 周囲から拍手が起こる。


「水属性です。」


 ノールが嬉しそうに言う。


 続いて別の女性が土を少し持ち上げる。


「土属性ですね。」


 さらに別の女性の掌から淡い光がこぼれた。


「光属性です。」


 癒やしの光だった。


 歓声が広がる。


 泣いていた女性たちの表情には、少しずつ笑顔が戻り始めていた。


 昨日まで「自分には何もない」と思っていた人々が、自らの中に眠っていた力を知る。


 それは奇跡ではない。


 教育の成果だった。


 フェルトアはその光景を静かに見つめ、小さく頷いた。


「やっぱり……。」


 誰も才能がなかったわけではない。


 誰も価値がなかったわけでもない。


 ただ、学ぶ機会がなかっただけ。


 環境が変われば、人も変わる。


 その事実を、新しく村へ来た三十人の女性たちが、自ら証明し始めていた。



 三十人の女性たちが魔力循環と魔力操作の基礎を身につけ始めた頃、エリスは広場へ村人たちを集めた。


 記録魔道具を開き、新しい計画を書き込んでいく。


「次は、公衆浴場を建設します。」


 その言葉に、新村人たちは顔を見合わせた。


「お風呂ですか?」


「こんな村に?」


「そんな余裕があるのでしょうか……。」


 飢えに苦しんできた人々にとって、風呂は贅沢な施設という認識だった。


 毎日食べることさえ難しい暮らしでは、身体を洗うことは後回しになる。


 エリスは静かに首を振る。


「違います。」


「公衆浴場は贅沢ではありません。」


「健康を守る施設です。」


 その一言で、広場は静まり返る。


「病は、人から人へ広がります。」


「身体を清潔に保つことは、病を防ぐ最も基本的な方法です。」


「治療院で病人を治すことも大切ですが、それ以上に病気になる人を減らすことが重要です。」


 村人たちは真剣な表情で耳を傾けていた。


 フェルトアも優しく言葉を添える。


「身体がきれいになると、心も元気になります。」


「疲れも和らぎます。」


「子どもも、お年寄りも安心して暮らせる村になります。」


 その考えに、多くの人がうなずいた。


 すぐに建設が始まる。


 旧村人たちは、それぞれ覚醒した魔法属性を活かして作業を進めた。


 土属性に目覚めた者たちは、大地を均し、建物の土台を築く。


 硬い岩盤を削り、丈夫な基礎を作り上げる。


「もう少し右を広げましょう。」


「こちらは排水路へつなげます。」


 職人たちも加わり、木材を組み合わせて建屋の骨組みを組み立てていく。


 森から運ばれてきた材木は、狩猟部隊が苦労して集めたものだった。


 大工たちはその一本一本を丁寧に加工し、梁や柱へ変えていく。


 一方、水属性に目覚めた者たちは浴槽作りを担当した。


 魔力操作で大量の水を集め、形を整えながら流路を確認する。


 土属性の村人が石を積み上げ、水属性の村人が水を循環させる。


 排水路も同時に整備された。


 汚れた水が村へ流れ戻らないよう、水路は農地とは別経路で設計される。


 水は流れる。


 流れるから腐らない。


 それはコウランが最初に教えた考えでもあった。


 数日後。


 村の中央に立派な公衆浴場が完成した。


 大きな浴槽。


 脱衣所。


 休憩所。


 井戸から引かれた清潔な水。


 排水路。


 煙突まで備えられている。


 村人たちは歓声を上げた。


「こんな建物が村にできるなんて……。」


「本当に私たちの村なのか。」


 その運営を任されたのは、三十人の女性たちだった。


 エリスが静かに説明する。


「皆さんには、この浴場の管理をお願いします。」


 一人の女性が驚く。


「私たちに……ですか?」


「はい。」


「清掃。」


「衛生管理。」


「湯の管理。」


「利用者の案内。」


「どれも村には欠かせない仕事です。」


 フェルトアも微笑む。


「人をきれいにする仕事は、とても大切です。」


「この村では誇れる仕事ですよ。」


 その言葉を聞き、女性たちの表情が少しずつ変わっていく。


 誰かの役に立てる。


 必要とされる。


 その喜びを初めて感じる者も少なくなかった。


 ノールは治療院と浴場を何度も往復しながら説明する。


「身体を洗えば傷も治りやすくなります。」


「病気も減ります。」


「子どもたちも元気になります。」


 さらにリーンは薬草を使った石鹸作りを教え始めた。


「泡立てることが目的ではありません。」


「汚れを落とし、皮膚を守るためです。」


 女性たちは熱心に学び、石鹸作りにも取り組み始める。


 村では毎日、浴場へ通う人が増えていった。


 狩猟から戻った者。


 農作業を終えた者。


 建設を終えた職人。


 子どもたち。


 高齢者。


 誰もが身体を洗い、疲れを癒やす。


 それに伴い、村の様子も目に見えて変わっていく。


 汚れた衣服は減った。


 傷口の化膿も少なくなった。


 病人の数も次第に減少していく。


 治療院を訪れる者は以前より少なくなり、重い病に至る前に健康を保てるようになったのである。


 エリスは記録魔道具へ、その変化を書き残した。


「浴場完成。」


「衛生環境改善。」


「病人減少。」


「生活環境向上。」


「村人の健康状態、良好。」


 一つひとつの記録が、この村の歴史になっていく。


 夕暮れ。


 湯気が立ち上る浴場を眺めながら、フェルトアは静かに呟いた。


「人は、安心して暮らせる場所があるだけで笑顔になれるのですね。」


 エリスも頷く。


「教育だけでは足りない。」


「食事だけでも足りない。」


「住む場所だけでも足りない。」


「健康を守る仕組みがあって、人は安心して学び、働き、生きていける。」


 村は少し前まで、貧困と病に苦しむ小さな集落だった。


 今は違う。


 人が人を支え、知識を受け継ぎ、役割を分かち合う共同体へと姿を変えつつあった。


 娼婦だった女性たちも、浴場という新しい仕事を通して、自らの居場所を見つけ始めている。


 過去は消えない。


 それでも、今日の努力が明日を変えることはできる。


 この村では、その積み重ねこそが未来を築く力だった。


 環境が変われば、人は変わる。


 そして、人が変われば村が変わる。


 その歩みは、やがて貧しい村を豊かな共同体へ導き、さらに多くの人々へ広がっていく。


 環境が人を育てる。


 その理念は、村の日常そのものとなり、新しい時代の礎になろうとしていた。







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