第1話 日和 遅れて走る人
私、恋愛って得意じゃない。
得意じゃないというか、恋愛の正解を探してるうちに、いつも遅れる。
好きになった瞬間に走り出せる人がいるでしょう?
あれ、ずるい。
私はいつも後ろで、靴紐を結び直してる。
一之瀬悠と会ったのは、駅前のバーだった。
隣の席の人が、私のグラスの端をそっと押さえた。
「落ちるよ」
声が低くて、でも怖くなかった。
怒られてる感じがしない。
それだけで少しだけ呼吸が楽になった。
連絡先を交換して、少しずつやりとりが増えた。
重くならない距離で、ちゃんと続く。
ある日、私が長文の愚痴を送った。
送った直後、消したくなった。
でも悠は、すぐ返した。
「いま、苦しいね」
ねえ、こういうの反則じゃない?
事件の前日、悠から短い連絡が来た。
「会える?」
場所は駅前のビジネスホテル。部屋番号。
「部屋、取ってある」
部屋に入ると、悠は椅子に座っていた。
机の上に、水が二本。
どちらも未開封みたいに整ってて、ラベルが正面を向いていた。
誰かの几帳面さの置き方、って思った。
「どうしたの?」
悠は少し間を置いて言った。
「生きてるの、向いてないのかな?」
私は上手い返しができなくて、「そんなことない」しか言えなかった。
悠はそれ以上は言わず、ただ私の手を取った。冷たかった。
「今日は、帰って」
「大丈夫だから」
翌日、ニュースで名前を見た。
ホテルの一室で死亡。首を絞められた痕。事件性。
警察に聞かれた。
何時に行って、何時に出たか。何を話したか。
私は嘘はつかなかった。
でも「生きてるの向いてないのかな?」だけは言わなかった。
言ったら、私が悠を置いて帰ったみたいになる。
みたいじゃなく、実際帰った。
私は殺してない。
でも、あの夜の私は、悠のそばにいた。
あの人は優しい人だったんだろうか?
それとも、優しいふりが上手すぎただけなんだろうか?




