207# 負けイベント
天上。
ローファスは二体の《邪竜》を殺害した後、宙より舞い戻って来た最後の最後の《邪竜》の相手をしていた。
暗黒鎌を手に、《邪竜》の相手をする。
獄炎は下へ被害が及ばない程度にいなし、牙や爪による攻撃も無理に受けずに躱わす。
魔力を極力使わず、限りなく低燃費で相手をして時間を稼ぐ。
恐らく神力まで使わなくとも殺す事はできるだろうが、ローファスの見積もりでは《邪竜》の耐久性はボレアス以上。
首を落とせば死ぬ事は証明されたものの、それをするのも手間である。
幸いにも、他の《邪竜》も無事に鎮圧されたらしい。
危なそうなら援護に使い魔を派遣しようと準備していたが、手間が省けた。
ローファスは獣の如く向かってくる《邪竜》を片手間に相手しつつタブレットを取り出し、テセウスに繋げる。
「そちらの首尾は?」
『——たった今終わった所だよ。凄いね、まるで見計らったかのようなタイミングだ。使い魔で盗み見でも?』
「偶然だ。大体そんな余裕あるか。《邪竜》七体だぞ」
『はは、確かに。で、もう殺すかい?』
「ああ、殺れ」
『——了解』
テセウスの返答と同時——ローファスの目の前に居た《邪竜》が動きを止め、黄金の粉雪のように神力を散らしながら消失した。
そして地上でも三つ、神力を散らす消失反応が確認される。
残されていた《邪竜》は、全て消失した。
*
時は遡り、《霊峰》より七体もの《邪竜》が出現した直後の事。
聖竜国の上空で、光学迷彩により透明化した円盤が一機、滞空していた。
円盤に乗る帝国最強の軍人——《剣帝》スイレンは、テセウスより無線を受ける。
『——という訳で、君の任務は《千人長》マーズの暗殺だ。その位置から居場所は分かるかい?』
「命令通り、マーズの気配は闘技大会中に覚えた。一応、奴の側近の顔と名前、そして気配も全てな」
スイレンは個人の気配を覚え、優れた感覚で追跡する事ができる。
気配の特徴を一度覚えてしまえば、たとえ魔力遮断をしようが不可視化で姿を消そうが、スイレンから逃れる事はできない。
前回——《物語》三章の錬金帝国編にて、アベル達はスイレンのこの脅威の追跡力により連続負けイベントなるものを強いられた。
スイレンが闘技大会に出場して態々勝ち進んだのは、より自然な形でマーズに接近し、その気配を覚える為。
そしてついでに、大会に出場した有力選手を観察し、聖竜国の戦力把握も行っていた。
スイレンに闘技大会への参戦を任務として命じたのは、マーズが敵であるという情報をローファスから事前に聞いていたテセウスである。
それは当然、必要時にマーズを殺害する為。
『流石だスイレン。側近の方は不要だったが』
「だが奇妙だ。奴の気配だが、聖竜国中から感じられる…全て同一の気配だ。これも魔法か? どれが本物かまるで分からん」
『ああ、分からなくて当然だ。きっと君の感覚は正しい。これはローファスの推測だが、彼曰くその気配は、全て本物だそうだよ』
「は…?」
スイレンは絶句する。
無数に感じられる個人の気配、これが全て本物とはどういう事なのか。
感覚を撹乱させる魔法といわれた方がまだ納得できる。
分身、分裂、増殖——この無数に感じられるマーズの気配は、そんなチャチなものではない。
全てがマーズであり、紛う事なき本物。
『難しく考える必要はない。マーズの暗殺、その任務は変わらない。感じられる気配、全てを殺し尽くせば良いだけだ』
「…総数にして49だぞ。全て殺せとは、簡単に言ってくれる」
『簡単さ、君ならば』
テセウスはスイレンを高く評価している。
“気配”などという科学的観点からみてもちょっと説明がつかない謎感覚で対象を捕捉し、どこまでも追跡する最強の武力を持った軍人。
魔力などというノイズが無ければ、人類最強はスイレンであると断言できる。
それ程までに、テセウスはスイレンに対して全面的な信頼を置いていた。
『期待しているよ、帝国の《剣帝》』
「世辞は良い。武闘派の指揮官クラスを49名…面倒ではあるが、任務は任務だ」
『殺害対象は48体だ』
「何?」
『48体で良い。1体は私の方で処理する。座標は送ろう』
「…了解」
スイレンは短く返事し、軍帽を被り直して円盤を急降下させる。
行き先は、一人目のマーズの下へ。
隠密行動——特に暗殺は苦手なんだがな、とスイレンは溜息混じりに軍刀を強く握り締めた。
*
聖竜国、首都の宮殿。
タチアナが普段、余暇の時間を過ごしているアトランティアの花が咲き乱れる庭園。
今は無人の広々とした庭園の中心、高価なベンチに一人の男が腰掛けていた。
聖竜国軍の堅牢な甲冑に、鎧の上からでも分かる程に鍛え上げられた肉体。
聖竜国の軍の長——《千人長》マーズ。
49人の内の一人であるマーズは、暗く霞んだ月と星空を眺めながら、赤ワインが入った黄金の杯を呷った。
気分は勝利の祝杯だろうか。
もう既に気分は最高潮だが、更に雰囲気を出す為にベンチの横に置かれたラジオのスイッチを入れ、戦いと勝利の象徴である聖竜国の行進曲を流す。
情熱的なクラシックが庭園に響き、マーズは更に気分を上げた。
《邪竜》——正気を失い、衰えはしたものの、それでもかつての《魔王》七体が《霊峰》から飛び出した。
今晩中に大陸が落ちてもおかしくない程の戦力。
当然質の低い分身体などではなく、全てが《魔王》スペルビアと同一スペック。
流石に《権能》までは引き継げなかったが、スペルビアは素の状態でもアベルパーティ総出で倒すのに精一杯だった。
それが七体ともなれば、もはや勝利は確実。
《霊峰》から出た七体の内どれか一体が本物で、それさえ倒せば他の全てが消える——なんて仕様は当然ない。
全て本物。
増えたスペルビアをどうにかしたいなら、全てを倒してしまうしかない。
攻略法というには身も蓋もない、あまりにも無法な力。
もっとも——スペルビアを増やした張本人であるマーズを倒せば、流石に消える。
謂わばこの能力——否、《権能》の弱点はマーズ自身。
しかし当然、マーズ自身も最大数まで増えている。
マーズ自身を増やせる限界数は50。
先程ローファスに一体やられてしまったが、残り49の命が聖竜国中に散り散りになって隠れている。
全てを見つけ出して殺すなど不可能。
「フフ…」
勝利の祝杯——決して早過ぎる事はないだろう。
《闇の神》と六神の代理戦争の決着はここについた。
「フゥーハッハッハッハ! 見よ大地! 見よ天よ! 我らの勝利——」
夜空に向けて乾杯するように黄金の杯を掲げた瞬間、聖竜国の辺境に隠れていたマーズが一人死亡したのを感じ取る。
「む!?」
絶対的な勝利に入った一筋の傷。
己の死と、その要因は感じ取れる。
自分を殺したのは、突然目の前に現れた帝国軍人——スイレン。
近づかれるまでは気配を全く感じなかったものの、急に殺気ダダ漏れで襲ってきたので応戦したが、突然の事で不覚を取り一刀の元に首を落とされた。
情報としては知っていたが、まさかここまでの手練とは。
「フン! 帝国め、《影狼》と同様に此度は六神側についたか! 偽りの強さばかりを求める下劣な蝙蝠共め!」
自分を含め、マーズは全て魔力遮断により魔力探知対策をしている。
風呂にも入って体臭も落とした。
索敵対策は万全の筈——しかし偶然というにはあまりにもピンポイント過ぎる。
狙われていると考えるのが自然。
「…だが! この襲撃は、全ての我が感じ取っている! 来る事が分かっていれば、応戦も容易! 浅はかなり帝国! フハハ!」
そもそも聖竜国中に散って身を潜める全てのマーズを見つけ出し、殺害するなど限りなく不可能に近い芸当。
或いは、索敵に特化した者であれば時間を掛ければ可能かも知れないが、それでも《邪竜》が聖竜国を、そして大陸を滅ぼす方が早いだろう。
勝利が揺らぐ事は決してない。
「我が計画に狂い無し! 我が勝利は絶対なり!」
心残りがあるとするなら、姫巫女が最後まで振り向いてくれなかった事ではあるが。
この勝利という美酒の前ではあの美しき姫巫女ですら霞むというもの。
元より自分を袖にした女などどうでも良い。
あの女の一族が命を賭して守り続けてきたものは、今夜全てが崩れ去るのだから。
全ては姫巫女がマーズに振り向かなかったから。
「我を振った事を後悔するが良い!」
狂喜に染まったその目に月明かりが映り、そして——ラジオから流れる行進曲に、『ザザ』とノイズが走った。
『——《“1”と“0”の領域》』
曲の中に紛れた異音。
直後、星空が淡く照らすアトランティアの庭園は、夕焼けの光景に塗り潰された。
「——!?」
見渡す限りの茜色の空。
チクタクと規則的に秒針を刻む音と、ボーンと鳴り響く振り子時計の音色。
天より無数に垂れ下がる振り子。
そして月のように空に浮かぶ巨大な時計。
そこは明らかに別世界。
『やあ、ご機嫌よう——《千人長》殿』
そんな異様な世界に、一人堂々と佇んでいたのは狂気を孕んだ目の白衣の科学者。
服の上からでも分かる鍛えられていない小枝のような華奢な身体。
どう見ても殴れば吹き飛びそうな弱者。
しかしその見た目には何の意味もない事を、マーズは知っている。
「《人類最高の頭脳》テセウス…!」
『聖竜国は帝国製品のお得意様だ。大型モニターなんかが有名だが、細かいものだとそこのラジオとかだね。そして電波の届く範囲は、余す事なく私の領域なんだよ。他国の製品を便利だからと無警戒に入れすぎじゃないかい? その辺、王国はちゃんとしていたね。ローファスが国王に何か言ったのかな? 全然帝国の商品、特に電化製品を入れてくれやしない』
やれやれと肩を竦めるテセウスに、マーズは黄金の杯を投げ捨てて構えた。
《神界》に呑まれた時点で、テセウスが《神》に至っている事は確定。
ならばマーズも、《神》の力を持って応戦する他ない。
瞬間的に、神力を爆発的に高めたマーズは叫ぶ。
「神依ッ! ——《戦花の雄鶏…」
「遅いよ。完全顕現…《智と式を司る機神テセウス》」
茜の空を引き裂くようにして現れた《霊峰》よりも巨大なブリキの腕が、マーズが完全な神化を果たすよりも前に、圧倒的な物量で押し潰した。
*
個人は、同時に複数の場所に存在できない。
例えば聖竜国の首都にある酒場でワインを呷りながら、同時に地方にある闘技場の試合を見に行く事など物理的に不可能である。
それは、論ずる意味も無い程に当たり前の事。
猫の手を借りたい程に多忙な時に誰しもが思う、自分が二人居たら良いのに。
その不可能を可能にしているのが、マーズの《権能》。
同一的存在を、同時に複数の場に存在させ、尚且つ意識は全て繋がっている個人。
存在の分離により、自分自身が他人同士になる事もない。
増えた自分は、全てが正真正銘自分自身。
全て本物、偽物など一人もいない。
仮に殺されても、また増やせば良い。
マーズが一人でも残っている限り、本来の死は訪れない。
そしてこの力の最たる点は、他者にも作用する事。
強者を増やせば一騎当千の軍団ができる。
仮に《魔王》を増やせば、《魔王》の軍団ができる。
最強を増やせる——即ち、如何なる最強をも超え得る力。
制約なのか、技量が足りていないのか、増やせるのは飽く迄も生物のみ。
非生物も、《神》も増やせない。
だから《邪竜》は生物として増やした為、不死の《権能》は引き継げなかった。
その上《邪竜》自身が有するエネルギー量が高い為か、増やせたのは十にも足りない数のみ。
とはいえ、《邪竜》程の力であれば七体もいれば十分であった。
世界を滅ぼすのに十分過ぎる力——しかしマーズは今、窮地に立たされていた。
これ程までに追い詰められたのは、《権能》を得てから初めての事。
聖竜国中に散って身を潜めていた自分達が、次々にやられている。
マーズ達の思考の統括——通称“マーズちゃんねる”は、これまでにない程の混乱に見舞われていた。
“また我が一人やられた! どうなっている!?”
“もう半数近くやられたぞ! どうやって居場所を特定しているんだ!”
“一人で勝ち目が無いなら集まるか!?”
“駄目だ! 何の為にバラけたと思っている!”
“そうだ! もしローファスに居場所が知られれば一網打尽にされる!”
“事前に神依しておけば良い! 如何にスイレンといえど、《神》には勝てるまい!”
“良い案ではあるがどの我がするのだ!? 次に何処が狙われるか分からんぞ!”
“流石に複数での神依は神力が持たない!”
“だが一人に絞っても来なければ貴重な神力を無駄にするぞ!?”
“良いか! 次に遭遇した我が神依で迎え打つのだ!”
騒々しさすらある思考の奔流の中、一人のマーズの背後より軍刀が伸び、黒き刃が胸を貫いた。
「ぐぉ…!? ば、馬鹿な…殺気をまるで感じなかっ——」
背後から心臓を貫かれたマーズは、スイレンの姿を見る事も出来ずに息絶えた。
音も無く軍刀を引き抜いたスイレンは、血を払い飛ばす。
「ふむ…今の感じか。殺気の消し方は。これだけ回数をこなせば嫌でも覚えてしまうな…」
言いながらスイレンは光学迷彩を起動し、姿を消す。
向かうは次のマーズの元へ。
“また一人我がやられた!”
“今回は気付いたら殺されていた! これでは神依などしている暇はないぞ!”
“落ち着け我達! まだ我々は半分も残っているのだ! 最悪国外逃亡も視野に…”
“履き違えるな! もう半分もやられているのだ! 一人は確実に生き残る方法を考えるのだ! 一人でも生き残れば我らの勝ちなのだから!”
荒れる思考、“マーズちゃんねる”。
原作名物、《剣帝》スイレンによる連続負けイベントは、まだ折り返し地点。




