第2章・4話 春琴の妊娠
その変化に気づいたのは鵙屋の奥方・しげだった。
結婚の拒絶から一年、お琴は食事を残すようになり、隠れてえずいていたのである。
それから一か月後、彼女のお腹は膨らみ、妊娠をしているのは確実だった。
再び、両親は娘と向き合った。
「お琴よ、正直に話してくれまいか? 子を授かったのか?」
「……はい」
お琴は言いずらそうだったが、正直に認めた。
しかし、これは嵐の前の静けさだった。
「誰の子か?」
「言えませぬ」
主人は眉を顰めて聞き直す。
「言えぬか?」
「お互いに名を云わぬ契りを交わした故」
主人は困惑したが、奥方は得心がいったようで、口を開けた。
「佐助どんかね?」
その問いに、お琴は顔を赤くして捲し立てる。
「何で、あのような丁稚風情に!」
誰しもが佐助に疑いを持って行くところであるが、結婚を断った娘の言葉があるので、両親は真相を見極めかねていた。
惚れた腫れたの関係は隠し切れぬもの、経験の浅い少年少女なら尚更
それに佐助の師匠を禁じてから、夜更けまで二人限りの機会もなかった。
時折兄弟子の格式を以っておさらいをしてやるぐらいで、間違いが起こりそうにない。
寧ろ主従の区別があり過ぎて、情緒が乏しいほどに思えたのだ。
大方、春松検校の弟子仲間だと察せられた。
一応、念の為……。
私は鵙屋夫婦に呼び出されました。
ですが私は言葉を用意しております。
「佐助どん、聞きたいことがー」
「知りませぬ!」
主人の言葉も終わらないうちに、私は言い切りました。
「まだ何もいってないが……」
「お嬢様の相手は存じませぬ!」
私の言葉を聞くと、お二人は顔を合わせました。
これで私の疑いは晴れたのでしょう。
ですが、お二人は声をあげて笑います。
「よいよい、ところで身に覚えはないか?」
「勿論です。誰か心当たりもございません」
「お前は相手を見ておらぬのか?」
「はい、見てません」
「しかし、外に連れて行く時はお前がついているのだろう」
「はい、目を離したら、お嬢様のお世話はできまぬから」
「だとしたら娘はいつ相手と会ったのか?」
「それは……」
怪しまれないように、私は間を挟まず答えてました。
すると辻褄の合わないと、ご主人の追及が止まりません。
私は冷や汗が止まらず、顔が赤くなります。
「それを申しましてはお嬢様に叱られますから」
「いやいや、娘を庇うのはよいが、なぜ私の云い付けを聴かぬ?」
「後生です、後生ですから」
私の用意した言葉は役に立たず、じりじり追い詰められてしました。
何とか立て直さないといけません。そうでないと……。
「何でござりましょう?」
一番見られたくなかった方の声がしたので、私は顔をあげました。
畳をへこますほど頭を下げていたので気付きませんでしたが、奥様に呼びつけられたのでしょう。
女中に曳かれたお嬢様が、部屋の間口に立っていました。
きょとんとした娘に、ご主人が笑いながら言います。
「お前の旦那は大した役者だな」
その言葉を聞きますと、お嬢様は私を睨みつけて飛び掛かってきました。
「何も言うなと言ったではないか! 思わせぶりなことを言いおって、この恩知らず!」
「止めて! 止めて差し上げろ! お腹の子に触る!」
奥様の言葉に、ご主人と女中が荒れ狂う猫を引き剥がしてくれました。
息は荒いままですが、口を利けるようになったお嬢様がご主人に言います。
「私の身を不憫がってくざいますのは有難うござりますが、奉公人と縁を持ちとうとまでは思いませぬ。
お腹の子の父親に対しても、すまぬことでござります」
言い終える頃には先刻と打って変わり、お嬢様は澄ました顔で言い放ちました。
ご夫婦は私の態度とお嬢様の言葉と、どちらを信じたらいいか分からず、とても困っている様子でした。
これ以上詮索しても仕方ないと、この話は一旦保留になりました。
ご夫婦は、女中二人を付き添わせ兵庫県・有馬にて、お嬢様を療養させました。
そしてお嬢様が17歳で産んだ男の子は、私に瓜二つなのです。
確信したご夫婦は「父無し子で育てる訳にはいかない。父親を言えないなら、養子に出してしまおう」と娘に迫りました。
子を枷に詰め寄られてもお嬢様は何のその、「何卒何処へなとお遣りなされて下さりませ。一生独り身で暮らす私に足手まといでござります」と涼しい顔つきで返されたそうです。
生まれた子は農家に貰われたそうですが、私は生涯その子と会うことはございませんでした。