第4章・第2話 遅過ぎた許し
聞きたくもないが、聞かぬわけにもいかない。
民子さんの嫁いだ男は同じ市川に住んでおり、気心も知れていた。また財産も戸村の家の二倍以上、そして何より向こうの男が民子さんを強く望んでいたという。仲人も戸村の人が世話になっている者で身が堅い。ここまで揃えば是非やりたい、是非行ってくれというのは戸村の人達は勿論、親類縁者強っての願いであった。
ところが民子さんは、どうでも嫌と云う。
困った戸村のお祖母さんは、斎藤のおッ母さんに諭してもらおうと考えた。
母も初めは耳当たりの良いことを並べて言い含ませたが、民子さんは泣いてばかりで聞き入れない。
終いに母は強く云ったのだ。
「お前は政夫と一緒なりたいのだろうけど、政夫は遣りません。私は首を縦には振らないよ。お前はそれでも強情を張るのか」
そう締め切るように言われたから、民子さんはすっかり自分を諦めたらしく、とうとう白無垢に袖を通した。
それから民子さんは風吹く薄、流れ雲。何も彼も人の言いなりになって、赤子まで身籠ったと云う。
とはいえ、心の底では願わぬ契り、向こうも嫌気が差したのだろう。子は六月で流れてしまった。
そこからは肥立ちが悪く、弱り目に祟り目でじりじり衰え、6月19日に息を引き取ったのだ。
床に伏せてる旨を僕に伝えようとも考えたらしいが、今更合わす顔もないと知らせず仕舞いで、弔いも全て済ませてしまったそう。
「私もお義母さんに逆らわず、寧ろ勧めてしまった。だから私も人殺しだよ」
そう兄嫁は言うと、頬につうっと一筋、光る物を流すではないか。
「堪忍してくれ、民子。この母が親だてらにいらぬ世話で、取返しのつかぬことをしてしまった」
母は、兄嫁が話している間も、おいおいおい声を立てて泣いている。
同じことを繰り返し、それはもう、気が狂っているとしか思えない。
話は大方は判ったけれど、僕もどうしてよいやら途方にくれた。
それにしても民子さんはもう居ないのに僕が呼ばれたのだろう。
僕が黙って考えていると、兄嫁は少し落ち着いたらしく、また話し出した。
「お母さんは民子の葬儀が終わってから泣きっぱなしでな……。このままだと壊れてしまいそうだから、お前を呼び戻したんだよ」
なんと勝手な。そう思ったけれど、僕は口には出さなかった。
民子さんに旅立たれて、母まで失いたくはない。これは遠回りな兄嫁の優しさなのだろう。……それを少しは民子さんに分けて欲しかった。
そもそもどうやったら、母の心を静めることが出来るのだろうか。
僕だっていっそ江戸川に飛び込んでしまえと思った位だから、母を慰めるほどの気力はない。
とはいえ、兄夫婦は僕を熟っと見ているし、母は喉を枯らして泣いている。
致し方なく、僕は母の枕元へとすり寄った。
「大丈夫ですか? お母さん」
「ああ、政夫。私が悪かった、民子が可哀想でならないよ」
母の弱気な姿を間近で見て、僕もようやく民子さんを悼むことが出来た。
例いどういう訳があったにせよ、いよいよ見込みがなくなった時には逢わせてくれてもよかったろうに。死んでから知らせるとは随分非道い話だ。
民さんだって僕には逢いたかったろう。嫁に行ってしまっては申し訳なく思ったろうけれど、それでもいよいよの今際の時になっては僕に逢いたかったに違いない。
考えてみれば僕も余りに子どもであった。市川を3回も通りながらも訪ねなかったのは、心残りでならない。
最期に一目逢いたかった……。
次から次へと、果てしなく思いは溢れてくる。
けれど、その心持ちは母も同じだった。
「私が手を掛けて殺したのだ。……私は民子の跡を追って逝きたい」
母は、飛んでもないことを言い出すではないか。
ここで僕が恨み言や愁いを吐こうものなら、今度は僕が母を殺めることになろう。
僕は悲しみに唾をかけた。
「きっとお母さんのせいではないですよ。何もかも、こうなる運命であったのでしょう」
「でも政夫や、私は悔やんで仕方がないんだ。何だってあんな酷たらしいことを言ったのだろう。全く私が悪党だった為に民子は死んだんだ」
僕は母を慰めるが、母の声は曇ったまま。
「お母さんはただただ御自分の悪い様にばかりとっているけれど、心はただ民子さんの為、僕の為と一と筋に思ってくれたことですから。よしそれが思う様にならなかったとて、僕等が何とお母さんを恨みましょう」
「本当かい。あんな可哀相な事をしてしまったのに、民子は私を恨まないかい」
「お母さん、本当に民子は可哀相でありました。しかし取って返らぬことをいくら悔んでも仕方がないですから、後のことを懇にしてやる他はないでしょう」
僕の言葉に励まされて、母はようやく涙を拭いて言う。
「政夫、お前はネ、夜が明けたら直ぐに市川に行って、よオく民子の墓に参ってくれ。それでお母さんの悪かったことを、よオく詫びてくれ。ねイ政夫」
「ええ、そうします。私はもう諦めました。どうぞこの上お母さんも諦めて下さい。」
僕はそう切り上げてみたが、母は聞いている間に溜まった涙をまた流して、咽び泣くではないか。
もう話せば話すほど悲しくなるからとて、一同寝ることにした。
母の手前・兄夫婦の手前、僕は泣くまいと堪えていた。けれど、自分の蚊帳へ這入り蒲団に倒れると、もうたまらなく一度にこみ上げてくる。口へは手拭いを噛んで、涙を絞る。蚊帳は、僕を蚊だけから護ってくれるのではないらしい。
どれだけ涙が出たか、隣の襖越しに母から声を掛けられるまで、夜が明けたことにも気付けなかった。
僕と民子さんを遮っていた帳りは、もう何もない。
やっと僕は、民子さんの元へ行けるのだ。




