微熱が出たらぼっちは学校を休むものだけど
「……え、なんで首あるの志賀路さん?」
昇降口近くの廊下。
志賀路ハカリコは朝登校すると、クラスメイトにいきなりそんなことを言われた。
冗談とかではなく、本気で言ってる様子。
「いや、そりゃあるよ。なかったらすごい大変だよ」
「……でも、あっちにあったし」
クラスメイトが指差す先には、何故か人垣ができていた。
皆が皆、頬を上気させてまるで恋しているかのような表情を浮かべている。
ハカリコが初対面の相手に浮かべられる表情だ。
「いやいや、あるわけないし」
言われたとおりに人垣を掻き分けて進むと、
(……わ、すっごい綺麗な人)
そこには見知らぬ美少女が立っていた。
それも、超絶美少女を毎日鏡で見ているはずのハカリコでさえ息を呑むほどの。
(……うわすっご、足なっが)
まず最初に目に入ったのは、その圧倒的なスタイル。
海外のスーパーモデルもかくやという、一八〇㎝をゆうに超える背に均整の取れた長い長い手足が、制服に包まれている。
見上げる顔もまた、やはり美しい。
鏡のように艶めいた、腰まで伸ばされた黒髪。
深い雪のような、真っ白な肌。
整った、細い顎とよく通った鼻筋。
優しげな目尻に縁取られた、大きな青い瞳。
こう言ってしまうとナルシストみたいだが、自分と並ぶ美少女である。
だって仕方ないだろう、こんな美少女、東京でロケしているのを見かけたアイドルや女優を含めて、自分以外で見たことないんだから。
(こんな人、私以外にもいるんだ。……漫画の中の人みたい。そうじゃないなら、神様が一から作ったみたいな。いや、スタイルもいいから私超えてる?)
そしてもうひとつも、ふたりに負けず劣らずに美しかった。
「……って、なんじゃこりゃあああっ!」
見知らぬ美少女に見とれている場合ではなかった。
『……でも、あっちにあったし』
目的を思い出す。
ふわふわの金髪の、翡翠の美少女……の首。
そこには、目をつむった自分そっくりな首が浮かんでいた。
頭から白い翼を生やしパタパタと。
だが、間違いなくハカリコの首は胴体にくっついている。
まさしく、二重の意味で異常事態。
ハカリコの目の前に、見知らぬ超絶美少女がひとり。
そして自分そっくりな首がひとつ。
そのふたつは、それでひとつの生き物かのように、ごく自然に佇んでいる。
かの白い翼は黒髪の彼女にも生えていて――
「あ、おはよう。私だよ、志賀路さん」
鈴を鳴らすような声で、五体満足の彼女は手を振って言った。
「――首藤ミユキ」
ある朝、友人が超絶美少女になっていて、おまけに首がふたつに増えていて、しかも片方は自分そっくりだった。
……意味不明すぎて、気持ち悪くなってきた。
どれひとつとっても、天変地異級の異常事態である。
まるで、悪夢のパレードだった。
「……三七度五分」
ハカリコとの冒険の翌日、朝。
パジャマ姿のミユキが見つめる体温計は微熱を表示していた。
いかにミユキが首が取れて自由に飛び回る飛頭蛮といえども、平熱は三六度程度。
昨日の無理がたたったのだろうか、まさしく微熱であった。
「まあでも、学校行くか」
らしくない決断。
あろうことか微熱があるというのに学校に行くなど。
尋常ならば『無理してこじらせたら危ないから今日は休むね~』とかなんとか言って母親に欠席の旨を連絡させるはずのミユキが、だ。
熱などなくとも本音を言えば毎日学校なんて休みたいはずのミユキが、だ。
理由なんてひとつしかない。
『でもよかったよ。首藤さんが吸血鬼にならなくて』
『だって、そしたらもう一緒に遊べないじゃん』
『じゃ、また明日』
志賀路ハカリコだ。
(……うん、また明日って言ったもんね)
微熱だけではなく頭痛もこじらせているが、それでもミユキは学校に向かう。
「よし、がんばろう!」
玄関、相も変わらず強い日差しを浴びながらガッツポーズ、らしくもない。
らしくないが、今のミユキは体調とは裏腹に気力に満ち満ちていた。
微熱がなんだ、頭痛がなんだ、今の自分ならそれくらい平気な気がした。
学校に行けばハカリコがいるのだ、それくらいへっちゃらである。
(あははは、我ながら重いな)
「……うう、めんどくさ」
志賀路ハカリコは、憂鬱な朝にうめいた。
カーテンを半ば義務めいて開け放つと、強烈な日差し。
これでまだ七月が始まったばかり。
マフラーが義務のデュラハンにとって、つらい季節がまだまだ続く。
だが、それはいつものことだ。
「あーあ、また普通の日々に逆戻りかあ」
そうだ、昨日は楽しかった。
学校をサボり魔界でドラゴンとおいかけっこ、楽しくないはずがない。
だからこそ、朝起きて学校に行くという当たり前の動作がかったるくて仕方がない。
日常と非日常の落差が生み出す、負のエネルギー。
気分的には連休明けに近いが、それよりも辛いかもしれない。
「いっそこの気分の悪さは風邪が原因とか」
いいながら熱を計ってみる。
三六度二分。……平熱だ。至って平熱だ。
「……仕方ない、いくか」
ハカリコは重い体を引きずり、憂鬱な日差しのもとへ出た。
「……うげ」
そうしてやっと(比較的)涼しい学校にたどり着いたと思うと、これだ。
下駄箱を開けた先には、ラブレターが一通。
これもまた日常の一部なのだが、朝から憂鬱な気持ちが続くとこれも辛い。
(だいたい、こんな方法でしか連絡できない時点で脈もクソもないよね。初めて会う人にオーケーなんか出すわけないし)
そんなこと書いた本人もわかっているだろう。
つまり、この手紙の差出人は最初から玉砕覚悟なわけで、要するにこちらに気持ちを伝えることが目的なのだ。
(……そんな自己満足のために人の精神を削らないでよ)
そうだ、告白というのはする側よりされる側が疲れる。
特にこういった、最初から勝つ気がない場合は。
相手を傷つけずに、しかし希望は残さずに。
このさじ加減は大体慣れたが、それでも繊細な作業だ。
今みたいに心が参ってるときにおいそれとやれるものではない。
本当にもう、こんなのただの嫌がらせ――
(……あーもう、だいぶ余裕ないな、私)
自己嫌悪。
普段なら少しのうれしさとそれなりの面倒くささを感じつつ、断る文句をすぐ考えるところなのに、気がつけば呪詛で頭が満たされている。
ああいっそこの紙切れをビリビリに破けたら、告白なんかすっぽかせれば、どれだけ楽だろうか。
だが、そんなことをしたら最後、最悪百倍の苦労が待っている。
無駄に敵を作ってはいけない。
それはもう、ハカリコのようなデュラハンにとっては死活問題になるのだから。
(いっそ、あの子みたいにひとりで強く生きられればなあ)
「……お、おはよぉ、ハカリコさん」
そんなことを考えていたら、件のあの子が話しかけてきた。
「あ、おはよう、首藤さん」
そうだ、首藤ミユキ。
誰も寄せ付けないオーラ。
抜群のスタイル。
何より空を飛べる首。
全てにおいて、今のハカリコが本当に欲しい物を持っている少女だった。
……あれでも、この人は自分を名字で呼んでいたはずだが。
「……って、首藤さん!?」
「な、何かにゃあ」
「何って、顔真っ赤だけど!? 呂律回ってないし!」
それだけではない、足元のフラフラと覚束ず、三白眼は据わりきっている。
「熱っ」
額に触れてみれば、凄まじい熱。己と比べるまでもない。
「あはははは、大丈夫だよお」
「いやこれ絶対ダメだよ、なんでこんな状態なのに学校来たの!?」
「……なんでって、また明日って言ったじゃあん。そんなことより、それラブレたあ? すごいなあ、ハカリコさんは」
「すごくないから、いつものことだから、そんなことよりとりあえず保健室!」
やたら冷たい手を勢いよく引くと、ごとり、嫌な音がした。
「むきゅう~」
「えっ、ちょっ」
見やれば、ミユキの首が床に落下してぐるぐると目を回している。
そして首がこの調子ということは――
「ごげっ」
ミユキの胴体が、ハカリコの小さな体に向かって勢いよく倒れた。