ハカリコのマフラー
「……あだまいだい」
目を覚ましていの一番に感じたのは、ズキズキとした頭痛。
額には氷嚢、後頭部には柔らかな感触。
冷たくて気持ち良い感触を邪魔するように、疼痛が自己主張する。
次に意識するのは、自分の部屋とは全く違う、白い天井。そして薬品の匂い。
「……そっか、ここは――」
「ばあ」
「ひいいっ」
あまりにも唐突に、至近に顔があった。
しかし驚愕の理由はそれだけではない。
こちらを見つめる、大きな大きなアーモンド型の瞳。
たったひとつのそれに、ミユキは吸い込まれるような錯覚を覚えた。
「……なんだ、霧島先生ですか、驚かさないでくださいよ」
「そだよ、霧島だよん」
霧島イチコ。
この学校の保健医にして、ハカリコを除けばミユキがほぼ唯一会話できる学校の人間。
おかっぱ頭で中学生くらいの身長。そしてこの場ではどうでもいい情報だが重要な情報だから言っておくと、胸がでかい。端的に言って巨乳である。それこそ、白衣の上からでも自己主張が激しいくらいには。
「びっくりした?」
「そりゃびっくりしますよ、いきなり顔が現れたら」
「そっかー。だよね、この顔怖いよねー」
「いや、そういう意味じゃないですってば」
「大丈夫、生まれてこの方私は単眼なんだ、そういう反応には慣れているさ」
いいながらも、なんだか妙に悲しげであった。
(……本当にめんどくさいなこの人。だったらああいうことしなきゃいいのに)
そう、単眼。
霧島イチコは単眼である。
デュラハンも飛頭蛮もいるんだ、単眼だっているだろう。
「……それで、なんで私はここにいるんですか?」
「覚えてないのかい? ぶっ倒れてここに運ばれてきたんだよ」
いいながら、体温計を手渡される。
「私が覚えてるのは志賀路さんに朝の挨拶をしたところまでで――」
「へえ、道理で。志賀路ちゃん、随分心配そうにしてたよ」
「もっ、もしかして志賀路さんが連れてきてくれたんですか?」
電子音、三七度九分。道理で頭がガンガンするわけだ。
「……まあ、だいたいそんな感じかな。おっと、だいぶ下がったね。ここに来たときは三九度あったし」
「……三九度て、ひょっとしてかなりヤバかったんじゃ」
「魔力の使いすぎだよ。倒れたときも首が取れたって話だし。普段使ってない魔力を一気に使うとこうなるんだ。運動不足と似たものだね。身に覚えあるかい?」
「……」
身に覚えしかなかった。
間違いなく昨日飛んだせいだ。
「どうやら覚えしかないようだね。ちゃんとご飯食べて寝れば治るけど、しばらく頭の羽も動かないし首の保持力も甘くなってるから気をつけてね」
言われてみたら、たしかに頭の羽はピクリとも動かなかった。
普段から使ってないから今まで気づかなかったのだろう。
「ちなみに、しばらくって?」
「一週間くらいかな」
思ったより長かった。
「親御さんに連絡したら、昼前には迎えに来れるって。ちょうどそろそろだ」
見やれば、時計は一一時半を差している。かれこれ三時間以上寝てたらしい。
「志賀路ちゃんには私が伝えておいてあげるよ。首藤ちゃんは割と元気そうにしてたよって」
やたらニヤニヤしながら、霧島はいった。
「……何ですか」
「どうもこうも、私はうれしいんだよ。首藤ちゃんにまともな友達がいてさ。首藤ちゃんさ、私しかろくに話せる相手学校にいなかったでしょ?」
「……余計なお世話です」
「そうかい? でも志賀路ちゃん、本当にいい子だね。休み時間の度にキミの様子を見に来ていたし」
「……え、それ本当ですか?」
だとしたら、そんなにもうれしいことは――
「うーそー、ひっかかった? ちょっと涙ぐんだでしょ?」
「……」
「……って、ちょっと、その冷たい目は本当にやめて! いい大人が何やってるんだって言わんばかりの目は! 私視線には敏感な方だから!」
震えながら霧島は肩を抱いて自身をかばい、静かに付け足した。
「……あと、嘘なのが嘘だよ」
「は?」
「志賀路ちゃんは休み時間の度に様子を見に来てたんだよ、本当に。私が魔力不足だって言ったら自分のせいだーって。本当にいい友達だねえ。先生も学生時代友達いなかったからうらやましいよ。ごめんね、変な冗談言っちゃってさ。大人げなかったよ」
「……そ、そうですか。本当に大人げないですね。……なんかどっと疲れました。頭痛いし、親が来るまで寝ます」
いいながらベッドに倒れ、目深に毛布をかぶる。
「ふふふ、安静にね。……それと、泣きそうになってるの誤魔化さなくていいよ?」
「……余計なお世話です」
ミユキは毛布を涙で濡らしながら、眠りに沈んでいった。
「……」
次に目を覚ましたら、最初に目にしたのは見覚えのある天井だった。
すなわち自室である。
ここまで運び込まれたことを覚えていないほどに自分は参っていたようだった。
それでも頭痛はかなり治まったし、きっとマシにはなったのだろう。
窓からは真っ赤な夕焼けが差し込んでいて、起き抜けにはまばゆかった。
しかしカーテンを閉めるために起き上がるのも気だるくて、ミユキは力なくつぶやいた。
「……眩しい」
「そっか、じゃあ閉めるね」
「ひっ」
いきなりカーテンが閉まって、そこでミユキは部屋に誰かがいることに気づく。
ていうか、この鈴を鳴らすような声は――
「志賀路さん!? なんでこここに――げほっげほっ」
「無理に喋らないほうがいいよ」
「う、うんっ」
いいながらハカリコが近づいてきて、ベッドに腰を預けると背中をさすった。
頭の隅で同じベッドに腰掛けるなんて、まるで恋人同士みたいだ――なんて思考が生まれて、すぐさまにかき消される。
(馬鹿じゃないの、私)
……なにはともあれ、甘い匂いがした。
「私はただプリントとかを持ってきただけだよ。そしたら上がっていかないかって首藤さんのお母さんに言われてね」
「……ごめん、うちの母さんが」
とても血がつながってるとは思えない、押しの強い母親。
ミユキは生まれてはじめて、母親が友達相手にいらぬお節介を焼いて気恥ずかしくなるという、あるあるネタを味わっていた。
「うんうん、大丈夫だよ。それに、寝てたんだから私も帰ればよかっただけだし」
「暇じゃなかったの?」
「寝顔見てたら退屈しなかった」
「……ッ!」
顔が一気に熱くなる。
せっかく下がったであろう熱が、再び上昇していった。
夕焼けだと誤魔化そうにも、カーテンが閉まっている。
「大丈夫? 熱は下がったって聞いてたけど、もしかしてぶりかえしたとか?」
「だ、大丈夫だよ」
「本当に?」
「ひうっ」
額にいきなり触れられて、思わず縮こまった。
こんなことをされたら余計に顔が熱くなるじゃないか。
「ん、大丈夫そうだね。今朝はこのまま死ぬんじゃないかってくらい熱かったし」
いいながらも、なぜか彼女は未だに額から手を離そうとしなかった。
「ちょっと、なにをして」
そのまま彼女は髪に触れて、空いている手でスマホを取り出すとミユキをパシャリと撮影した。
「ほら見て、こっちのほうが可愛いよ」
こちらに突き出したスマホの画面には、前髪を上げられて両目を露わにしたミユキの顔が写っていた。
「……体調のせいかな、いつもより目つきも顔色も悪いよ。全然可愛くない」
ミユキはさり気なく目を背けつつ言った。
当たり前だろう、自分の写真など直視し続けたら死んでしまう。
「そんなことないって」
「……そうだよね、私はいつもこんな感じだよね」
「そうじゃなくてさ」
いい加減辟易したように頭を振ると、ハカリコはうんざりするように言った。
「人から褒められたときは素直に認めたほうがいいよ」
「お世辞でも?」
「うん。これはお世辞じゃないけどね。それに、自分で可愛いって思ってたら本当に可愛くなってくるんだよ」
「……」
綺麗事を何ら曇りなく笑顔で抜かすハカリコ、その姿は夕焼けなど比にならないほどに眩しかった。
今自分がどんな顔をしているのか、想像するのが怖い。
「あー、嘘だと思ってるでしょ」
「う、うん」
「私は可愛いって百回鏡の前で唱えてみて、きっと可愛く見えてくるから」
「発狂するよ」
「しないよ」
「じゃあやってみて」
バカみたいな会話だと思った。
だけどバカみたいな会話なんて出来る相手、今までいなかった。
それも、不可抗力とはいえど自室でだ。
自分の部屋で友達とバカ話、昨日のミユキに話しても絶対信じないだろうシチュエーションじゃないか。
「とにかくさ、首藤さんはちゃんと可愛いんだから、ちゃんと可愛い格好をすればいいと思う。見てよこの部屋。なんもないじゃん。とても年頃の女子の部屋じゃないよ」
そこで今更に、自室をなんの用意もなしに見られているという事実にミユキは赤面した。
たしかに彼女の言う通り、ミユキの部屋にはなにもない。
ベッドと勉強机、漫画や小説が収まった本棚だけだ。
しかし年頃の女子が置くべきものってなんだ?
(私の部屋にテディベアとか置いてあったら似合わなすぎて笑うでしょ)
「そんな首藤さんにプレゼントがあるんだよ」
ミユキの自虐思考とは裏腹に、ハカリコは立ち上がって鞄からそれを取り出した。
「なにこれ、マフラー?」
「うん、マフラー。可愛いでしょ」
「まあ、たしかに」
赤と黒のチェック柄のマフラー。生地が薄く、夏場での使用にも堪えそうであった。
「これをあげるよ」
「でもこれ、志賀路さんのやつじゃん」
「よ、よくわかったね」
「……う、うん」
指摘されて初めて気づく。
今までほとんど関わり合いのなかった相手が使っている小物を言い当てるのはかなり気持ち悪いと。
「仕方ないじゃん、急だったし、お金なかったし。ちゃんと洗ったから大丈夫だよ」
しかしハカリコはと言うと、その異質さに気づくこともなく、ただバツが悪そうに目をそらしているだけだった。
「いや、そもそもなんでいきなりプレゼントなの?」
「霧島先生に聞いたよ。しばらく首の接合が甘いって。だからマフラーが必要かなと」
なるほど、言われてみたら確かだ。しかも取れても飛べないのだから、最悪昨日のハカリコみたいな羽目になりかねない。
「じゃあ治るまでの間だけで――」
そこまで言ってはたと気づく。
「……そうだよね、私が使ったやつなんていらないよね」
「そうじゃないよ! ていうか首藤さん、さっきからとんでもなくネガティブだね。体調のせい?」
いつもだが、そう言ったら多分引かれてしまうので肯定も否定もしない。
「でもさ、私に志賀路さんがプレゼントておかしくないかな? 私がプレゼントするならまだしも、私は志賀路さんに何もしてあげられてないし」
「そんなことないって。それに友達なんだから理由なく何かあげても変じゃないよ」
無理矢理にマフラーを手渡される。
「ほら、つけてみて」
「う、うん」
言われるがままにマフラーを首に巻くと、ふわりと甘い匂いがした。
柔軟剤の匂いか、それともハカリコの匂いか、あるいはどちらも混ざった匂いか。
「ど、どうかな」
「うん、よく似合ってるよ。さすが首藤さん」
「そ、そっか、えへへ」
抑えようとも、だらしなく頬が緩むのを感じる。
「喜んでくれてうれしいよ。……って、もうこんな時間!」
褒めるのもそこそこに、ハカリコは部屋の置き時計を見て声を荒げた。
「門限だよ、やばいよ! プリントここに置いとくからね、首藤さん!」
そのまま慌てて鞄を拾うと、ハカリコはドタドタと部屋をあとにしていく。
と思ったらすぐにドアを開けて、
「あ、お大事にね! ごめん、慌ただしくさせちゃって! あとプリンあるから食べてね!」
ただそれだけ言い残して再び部屋をあとにした。
「……」
すっかり静まり返ってしまった部屋。
いつもは安心をくれるはずのそれが、ひどく寂しく味気ないものに感じられた。
日が沈み始め薄暗くなったことも相まって、ひたすらな寂寥感と孤独感がミユキに襲いかかる。
それを誤魔化すように、おもむろにマフラーの掴むと、ミユキは匂いを嗅いだ。
(……志賀路さんの匂いだ)
すーはー、肺いっぱいに吸い込む。
我ながらとても気持ち悪いと思うが、その甘やかで爽やかな匂いと、それがもたらす安心感に理性はたやすく敗北する。
だってしょうがないだろう、寂しくて仕方がないのだから。
この匂いを嗅いでるだけで、何故か安心できてしまうのだから。
「ごめん、忘れ物!」
それこそ、階段を登って近づいてくる足音にも気づかないくらいには。
「なななな、なんでもないよっ、志賀路さん!」




