首無しがさまよう、魔界に飛ぶ
首藤ミユキ。
いつも話しかけるなオーラを全身から放っている、背が高く目付きの悪い、一言でいえば暗いクラスメイト。
少なくとも、志賀路ハカリコは先月までそんな漠然とした認識で彼女のことを見ていた。
そうだ、先月。
『……あづい』
異常気象。
まだ六月半ばだが気温は地獄のように高く、しばらく動かさなかった自宅のエアコンが故障しているのが発覚した週末。
ハカリコは図書館というオアシスを目指して、溶けそうになりながらアスファルトをほうほうの体で歩いていた。
デュラハンは基本的に人前で首を取るのを厭う傾向があり、こんなときでもマフラーが手放せない。
……というのは、あくまで礼儀作法の話。今のハカリコは首の断面を丸出しに、首を抱えて歩いていた。
(……誰も見てないし、いいよね。こんな暑いとみんな引きこもるし)
いざマフラーを取って首無しで歩いてみると、何たる清涼感と開放感か。
悪いことをしている背徳感も合わせて、なんだか無性にドキドキした。
(もしこんなところを誰かに見られたら――)
「――ッ!?」
とか何とか言っていたら、後ろから足音とともに人影が迫ってくる。
戻すのは間に合わない、せめて顔を見られるのだけは防ごう、そんなふうに首を胴体に押し付けようとするが――
『……うわ、足なっが』
思わず視線を奪われていた。
Tシャツにデニムのショートパンツというシンプルな出で立ち。
だからこそ、その高い身長に手足のすらりとした長さが強調されている。
(かっこいいな、モデルさんみたいだ。もしくはマネキン?)
自分にはないタイプの美しさ。単純に憧れる。
そんな事を考えているうちに、彼女はハカリコの真横を過ぎ去っていた。
(……いいなあ、本当に。こういう人って本当にいるんだ、テレビとか雑誌の中だけだと思ってた)
なんて考えながらぼうっときれいな後ろ姿見ていると、視線を感じたのか唐突に彼女は振り返った。
(ひいいいいいっ)
ギリギリで顔は隠せたが、胴体は彼女の顔を見る。
そこには、ニット帽、ショートカットのくせっ毛、鋭い三白眼、鬼太郎ヘアの少女。
(え……、嘘、だよね?)
既視感。
どこか見覚えのある顔。
そうだ、この少女は、
(……首藤さん、だよね?)
他人の空似なのではないかというほどに、ハカリコの見たものは衝撃的で。
だけど、あんな特徴的な見てくれはこの世にふたつなくて。
(……あの子ってこんなにスタイルよかったんだ)
背が高いとは思っていたが、それだけであった。
「……」
何かをつぶやいた彼女が再び歩みだし、改めてその後姿に惚れ惚れする。
いつも話しかけるなオーラを全身から放っている、背が高く目付きの悪い、一言でいえば暗いクラスメイト。
そんなイメージを除いてみただけで、全く新たなものが見えてくる。
ゆえに志賀路ハカリコにとって、首藤ミユキの印象は少しだけ、しかし確実に変わった。
いつも話しかけるなオーラを全身から放っている、背が高く目付きの悪い、一言でいえば暗いクラスメイトに、“とてもスタイルがいい”が足されただけ。
しかしそれでも、志賀路ハカリコだけが、クラスメイトで唯一彼女のスタイルの良さに気づいているのだった。
たったそれだけでも、人の印象はちょっとばかし和らぐ。
飛頭蛮やデュラハンの体は首無しで一体どうやって周囲を視認し、言葉を話すことが出来るのか。
その根幹には、魂というものが強く関係している。
そうだ、魂。
彼女たちの体は魂に直接語りかけて言葉を話すし、魂を通して世界を見聞きする。
そういえばいかにもすごそうだが、声は近くじゃないと届かないし、音は遠く聴こえるし、世界は灰色に見える。
《……やってしまった》
ゆえに灰色の世界。
件のミユキの胴体は、ハカリコを連れ去る己の頭を見上げ、ありもしない頭の代わりに虚空を抱えていた。
自分は、厳密には自分の頭はいつもそうだ。
空を飛び、ろくでもないトラブルを引き起こす。
頭が勝手にやったことだと言うのに、常に連帯責任。負わなくていい責任を体も背負うことになるのだ。
とはいってもやはり頭だって自分だから、己の愚行に巻き込まれるハカリコのことを思うと罪悪感がひしひしと湧き上がる。
(どうやって謝ろう。許してくれるかな志賀路さん。……無理だよね。どうしよう、あの子人気者だから最悪これからの高校生活が――)
なんてそんなことを鬱々と考えていると、足音とともに何かが坂を下ってやってくるのを感じた。
(……ッ!?)
反射的に近くの電柱に体を隠す。
単純に、首がないところを見られたくなかったからだ。
顔は顔で見られたくないのに、難儀なこと極まりない。
(だってこんなところ見られたら絶対変なやつだって思われるじゃん。って、あれ?)
なんと奇遇なことに、通りかかったのは首なしであった。
うちの学校の制服に身を包んだ、華奢で小さな体。
《あれ、見つかんないぞ?》
(……ていうか、志賀路さんだ)
きっと自分の頭を探しに来たのだろう。
ミユキが連れ去り、今頃恐怖の坩堝に叩き込まれているだろう己の頭を。
そう気づいたときには、ミユキは走り出していた。
ハカリコとは逆方向、学校とは真逆の方向に。
(ごめん、志賀路さん、やっぱり自分が悪くないことで気まずい思いをするのは嫌だよ! がんばれ、私の頭!)
だから彼女は気づかない、自分が鞄を投げ捨てたまま忘れていることも、それが後々面倒なことを引き起こすことも、何もかも。
《……ここ、どこだろう》
気がつけば、知らないところにいた。
なんかお洒落そうな店々が軒を連ね、なんかお洒落そうな人々が歩いている。
仮に両目があってもなお、灰色に見えていただろう景色。
実際は最寄り駅近くのアーケード街だが、ミユキにはあまりにも縁遠い場所故に、全く知らない場所として認識されていた。
(しかもみんなジロジロ見てくるし、怖い、恥ずかしい、助けて)
肩身が狭すぎる、こんな陰キャラ首無しが来るところではない。
何でこんなことをしでかしたのか。
頭が悪いからか。
それとも胴体が悪いのか。
頭がないゆえに今はいくら考えても分からなかった。
今頃、頭はどうしているのだろうか。
先生に怒られているだろうか。
クラスの女子に吊るし上げられているのだろうか。
(……そう考えると、やっぱり逃げててよかった)
とはいっても目立つのはもうゴメンだ、適当な路地にでも入って時間を潰そう。陰そのものな自分はそれが一番お似合いなのだから。
「あの」
そんなことを考えていると、突然後ろから話しかけられた。
《……なななな、何でしょうか》
恐怖に身を強張らせながら、振り返る。
魂もまた、眼球と同じ視界しか持っていない。
というよりも、魂の限界が体に規定されている。
「私、こういうものなんですが、少しお話いいでしょうか?」
高そうなスーツで身を固め、オシャレ上級者でしか出来なさそうなシルクハットをかぶった中年男性が、柔和な笑みでこちらを見ていた。
その手に握られているのは、一枚の名刺。
そこには、ミユキでさえ知っている有名なファッション雑誌の編集者だという男の名前が書いてあった。
《……ええっと、それで?》
普通なら一発で何がいいたいかわかるはずだが、しかしミユキはミユキ。そんな文脈など知らないし、知っていても自分には適応されない。
「モデルに興味ありませんか?」
《も、モデル? プラモデルのことですか? いかんせん私手先が不器用なもので――》
「そうじゃなくて、ファッションモデルです」
《誰が?》
「あなたがです」
《……はあ?》
きっと顔がついてたら死ぬほど怪訝な表情をしていただろう。
私がモデル?
んなわけあってたまるか。
こちとらプラモデルすら組めないぞ。
よくてテクノポップバンドだ。
《い、いやいや、私が着たら服の売上落ちそうですし》
なにかの間違いで雑誌に載ってでもしまえば、全国のオシャレ女子たちに嘲笑されるに違いない。
『だっさ、なんでこんな陰キャがモデルなんかやってんの? マジウケる』
『もうこの雑誌買わないわ、ネットに上げて炎上させちゃおw』
とかなんとか。
《……うん無理、絶対無理》
「そ、そんなことないですよ! 背が高い! 手足がスラリとしている! 肌にも透明感がある! いいや、それ以上に華がある! あなたはダイヤの原石なんです! 私の目に狂いはない!」
無駄に熱っぽく語る中年とは裏腹に、ミユキはドン引きしていた。
(……なにこの人、怖い、きっと詐欺師だ!)
華があるなんて生きているうちで一度も言われたことがないし、ダイヤの原石なんてきっと来世どころか来来来世も言われないだろう。
ここで甘い言葉に騙されれば特殊性癖者向けの風俗に売られた挙げ句内臓全部売ったりするはめになるのだ。
《そ、そんなことないですから! せいぜい私なんて尿管結石ですよ!》
「お願いです、ちょっとだけでもお話を、それが駄目ならせめて名刺だけでも――」
《――ほんと、無理なんでっ、こんなナリでも内臓は全部いるんで!》
「あの、何やってるんですか」
なんてことをしていたら、それを咎めるように男がふたりの間に割って入った。
(……よ、良かった)
「いや、私はただ――」
「どう見ても困ってますよ。ちょっとしつこいんじゃないですか?」
それこそファッション雑誌にでも載ってそうなオサレな男。
いわゆる清潔感のあるイケメンというやつだろうか、ミユキのような朴念仁にはうまく描写しきれない。
「待ってくれ、彼女を見てくれ、このスタイルを! これを見てスカウトせずにいられるほど私は老いていない!」
「だから、そうじゃなくて、本人が嫌がってるじゃないですか。警察呼びますよ」
警察、その言葉を聞いただけで中年は借りてきた猫のようにおとなしくなった。
「……すまない、私も少し熱くなってしまった。すまないね、君」
そのままバツの悪そうな顔をして名刺を仕舞うと、頭を軽く下げて消えていった。
(なんかよくわかんないけど助かった?)
「思ったより物わかりがよくて助かったよ、大丈夫かい?」
先程までの毅然とした表情を崩して、笑顔で微笑みかける。
《あぅ、はい、大丈夫です》
「ていうか、首は? もしかして落としたとか? 学校の方に電話したかい?」
《あ、えっと、その》
心配そうに男はミユキに話しかけてくるが、いかんせんミユキは男(というか人類全般)に免疫が欠片もなく、ろくに応対できない。
「落ち着いて、落ち着いて、僕時間あるから」
そんな事を言いながら、背中を優しくさすられる。
(ああ、こんなふうに人に優しくしてもらったの、志賀路さん以来かもしれない。男の人なら初めてかも――)
そこではたと気づいた。
(――もしかしてこの人も詐欺の一味なんじゃね?)
そうでなければ、こんな陰キャ女に優しくするはずがない。
聞いたことがある、最近の詐欺は二段構えなのだと。
まず最初に露骨に怪しい人間が絡み、それを助けた人間がいい印象を植え付けた上で詐欺に陥れる。
ああ、危うく騙されるところであった。
《いやほんと、大丈夫なんで! 内臓とか売る気はないんで! まだまだ使う気なんで!》
早く逃げねば。
「えっ、ちょっと――」
本日二度目の逃走にして、四度目の全力疾走。
ミユキは知らない。
中年男性は本当のファッション雑誌のスカウトであったし、イケメンは善意で彼女を助けただけだということを。
言っても絶対信じないだろうが。
《……はぁ、はぁ》
路地から路地に、とにかくめちゃくちゃに走った。
ろくに見えていない灰色の世界を、今朝の比ではないほどの速度で。
もう、あの恐ろしい詐欺師たちはいない。
(うん、それはいい、それはいいんだけど――)
《……ここ、どこ?》
けれども、それ以外の誰もいなかった。
見渡す限り、薄汚い路地裏。
……異臭放つゴミ箱、不法投棄な自転車やテレビ、動かなくなった自販機や電光掲示板――裏路地と言うよりも、廃墟のほうが近いか。
先程までいたキラキラした景色と比べてしまえば、まるで異世界だ。
詐欺というよりは麻薬取引が行われてそうなタイプの異世界。
ミユキはそんな異世界をかれこれ数十分彷徨っていた。
だと言うのに、周囲の景色は代わり映えせず、ただ廃墟めいた景色が続くだけ。
《……もー無理、歩けない》
全力疾走の直後に不安だけを燃料に当て所なく彷徨ったせいで、すでに足は棒のよう。
どかり、ミユキは匙どころか何もかも投げ捨てたようにコンクリートに座る。
アーケード街はあんなにも暑かったのに、ゾッとするほどに冷たかった。
《……本当にどうしよう》
方向音痴。
スマホがない。
人に道を聞く勇気がない。
道を聞く人がいない。
歩く体力がもうない。
泣きそうだった。
泣くための頭部はどこかに行ってしまった。
こういうジメジメしたところのほうが私にはお似合いね――なんてそんなことを宣う余裕もなかった。
そもそも、薄暗い路地裏というロケーションがあまりにも悪い。
本来ならば光が指す方へ歩けば、それだけで事足りるはずなのに。
灰色の世界しか見れない己にとって、それはあまりにも困難。
(私の頭、けっこう役に立ってたんだ)
ただ世界の色が見れるだけ。
それだけで信号機にもいちいち怯えずに済むし、迷子にもなりにくい。
(それに、あの悪い目つきも詐欺とかから私を守ってたのかも)
他人を威圧し、気の弱い女子や子供を泣かす己の三白眼にも、ちゃんといいところはあったのだ。
(なのに何で私はこんなところで胴体だけで彷徨っているんだろう)
頭が勝手に志賀路さんを連れて飛び去ったからだ。
(あ、やっぱ駄目だわアイツ)
しかしそんな駄目なアイツもきっと今頃、帰ってこない己の胴体に業を煮やしているに違いない。やはり帰らねば。
(そうだよ、アイツも私がいなきゃ何も出来ないんだし)
こんなところで迷っている場合ではない。
珍しくもポジティブにミユキが立ち上がった。
当てなどまったくないのだが。
《……だよねえ、当てないよねえ》
気持ちでどうにかなるならとっくの昔に抜け出せている。
しかしそれでも、元気になったり落ち込んだり出来るまで精神が均衡を取り戻したのはいいことだ。
《まあ、適当に歩いていれば――》
そこでミユキは、あり得ざる音を魂で聞いた。
ざわざわという、木々が風に吹かれる音。
(……幻聴?)
ついに気が狂ったのかという気持ちと、近くに出口があるのかもしれないという気持ちが半々に、魂を澄ます。
(……やっぱりこれ、木とか草が風に吹かれてる音、だよね?)
それだけじゃない、虫や鳥がなく音も聞こえる。
それこそ、まるで森の中のような音。
《……あっちから?》
音の聞こえる方に足を進める。まるで吸い込まれるように。
雑居ビルのような建物と建物の隙間。
路地裏のさらに路地裏。
そこから先に、ありえざる光景がある。
森だ。
森がある。
森が広がっている。
音の通りの、草木が生い茂る森が。
《森だあああああっ!》
ミユキは気がつけば駆け出していた。
森に向かって全力で。
やっと路地裏から脱出できる!
こんなジメジメしたところはもうたくさんだ!
あまりにも爽やかな森の空気に、動植物の気配の安心感に、体が勝手に動き出す。
あるいは、それ以上の引力が働いているかのように。
《私は都会という檻から自由になるんだ! 詐欺師もヤクの売人もいないきれいな世界に生きるんだ! いえええええいっ!》
まるで幼児のように、あるいは気が触れたかのように草原を走り回る。
そしてそのまま、すっ転んだ。
《あははははははははははっ》
仰向けに、中天に座すやけに冷たい太陽を見つめて馬鹿みたいに笑った。
笑って笑って、笑いまくって――
《……おかしいよね、これ》
やっと状況の異質さに気づいた。
ミユキの灰色の視界でも、流石に気づく。
いきなり森が現れたくらいじゃ、この世界ではよくあることだと流す。
首が取れるのだ、それくらいじゃ驚かない。
だが、この冷たい太陽は――
《これ満月だ》
満月が照らす森を、灰色の視界は昼間と判別できない。
灰色の視界ではそうとわからないが、世界は夜であった。
流石にこれはありえない。
(ああ、もしかしてここは)
ミユキはとある知人の言葉を思い出した。
『首藤ちゃんは魔界という存在を知っているかな?』
『義務教育ですよ、流石にわかります。大昔にこの世界と交わってたところですよね。私たちも魔界人の末裔だって』
『そうそう、私たちは魔界人とこの世界の人間の混血なわけだ。そうやって純血性が失われることを危惧した一部の層が騒ぎ立てて、挙げ句国交が断絶されたんだね。……だけど、隠れてやってきてる連中もいるのさ。そういうやつが勝手に開けた魔界とこの世界の扉がこの辺にあるかもって噂が流れている』
『へえ、どこなんですか?』
『最寄り駅のアーケード街の路地だってさ。なんでも、ずっと夜なんだとか』
『まっさかー』
あのときは笑ったが、しかし本当であったのだ。
(そっか、ここは魔界なんだ)
そういうわけで、ミユキは知らぬ間に異世界――魔界入りしていた。
「がう?」
(なるほど、道理でドラゴンがいるわけだ)
満月を覆い隠し、こちらをつぶらな瞳で見下ろすそれ。
翼を生やした緑色の巨大な爬虫類。
《――って、ドラゴン!?》
飛び起きる。
きっと頭があったら目玉が飛び出ていただろう。
そうしてミユキは魔界にて、本日五度目の全力疾走をした。
一度目は遅刻。
二度目はハカリコを助けるため。
三度目は罪悪感。
四度目は詐欺師。
そして五度目はドラゴン。
いくらなんでも散々すぎるだろう。




