セオフィラスの想い ②
「セオフィラス様、よろしいですか?」
「何? そのまま話して……」
ずっと書き物を続けるセオフィラスは顔を上げようとせず、カートは何となくやりづらいものを感じる。だが主の言いつけに従って、耳を貸しているか分からないセオフィラスに報告を始めた。
「セオフィラス様が結成されたアルブス防衛隊について、住民からの苦情が寄せられていまして。街を守ったことで最初は感謝して、無銭飲食をサービスとして提供していたものの、いつまで経っても飲み食いしてから金を払う様子も見えず、かと言って追い出すこともできない……と」
「ヤコブくんにお願いして」
「かしこまりました。……それから、これも防衛隊のことで、屋敷内の者が漏らしていたのですがいつまでも庭や客間を我が物顔で使われてしまっていると、風貌も泥っぽく汚らしくて屋敷の掃除が大変だとか、汗臭いのがバカにできない問題だとか……。どうにか彼らの宿舎などを用意したり、平時のふるまいについて規則を作った方が良いのではないでしょうか?」
「……分かった。夕食までに決めておく」
「はい。……最後の報告ですが、エクトル様からです」
ぴくりとセオフィラスの耳が動き、手が止まりかけたのをカートは見逃さなかった。しかし何事もなかったようにセオフィラスは書き物へ戻る。
「明日、どうしてもセオフィラス様とお出かけになりたいと」
「……やらなきゃいけないことがあるから無理」
「そう仰られた場合に、と手紙を預かりました。こちらです。すぐに読んでいただきたいと」
そっとカートが綺麗な筆致で綴られたエクトルの手紙をセオフィラスに差し出す。折り畳まれたそれをカートがテーブルへ置いたが、セオフィラスは一瞥してから脇へどける。
「すぐに、お読みしてもらいたいと言付かっているのですが」
「あとで読むよ」
「……ですが」
「……しょうがないなあ」
申し訳なさそうに食い下がるカートを放っておけずに、セオフィラスは手紙を広げて目を通す。
『親愛なるセオフィラス様へ
お忙しい中、ご拝読いただきましてありがとうございます。
大変なことが立て続けに起きている中、セオフィラス様が慌ただしいご政務で神経を張り詰めてしまっているのではないかと愚考しています。きっとセオフィラス様は心身とも鍛えられていらっしゃいますから愚かな不安とは存じておりますが、この数日、セオフィラス様がわたくしに声をかけてくださるのは屋敷の中で偶然すれ違った時に一言、挨拶をしてくださる時だけのこと。将来、夫婦として支え合うべき二人として、果たしてセオフィラス様の伴侶に相応しいのでしょうかと幾度となく考えてしまいます。
この不安は一秒を経るごとに膨れ、今では胸がはち切れんばかりです。どうかセオフィラス様、わたくしを真実の愛で包み込んでくださるのならば、明日、見晴らしの良い丘までピクニックご一緒に参りましょう。それさえも追われるお仕事で忙しく、時間を作ることができないのであればきっとわたくし達は夫婦になっても互いを不幸にしてしまうはずです。
お返事は明日、お屋敷の門前でお待ちしております。セオフィラス様がいらっしゃらなかった時は、お母様と相談して正式に婚約を解消していただくように懇願をする所存です。一方的なお手紙で大変申し訳ございませんが、わたくしは不安で仕方がありません。
きっと良い結果になると信じております。 ――――エクトル・クラウゼン』
目を疑いながらセオフィラスは手紙を二度、三度と読み直す。カートはみるみる内に顔色の青ざめていくセオフィラスを見てただごとではないと感じ取った。ようやく手紙を置いたセオフィラスが、険しい表情で考え込むのをカートは不安そうに見守る。
「て、手紙には何と……?」
「……カート。防衛隊の規則について、草稿を作って」
「僕がですかっ?」
「方針として、他人の迷惑にならない、平時はそれぞれ仕事をする、訓練後は清潔を努める。あとの細かい穴はカートが埋めて。あとで見て必要なら修正する。それからこれ、アルブスの防壁に関する諸経費について、まとめておいて。あとは――」
次から次へとセオフィラスはカートに自分でやるつもりだった仕事の手伝いを命じていった。それをやらせる一方でセオフィラスはさらに仕事のスピードを上げていく。部屋に明かりが灯っても黙々と仕事は続き、たまにセオフィラスはカートの仕事ぶりに目を通しては指示を出す。そうして夜が更けていき、ずっと主人の今日の仕事が終わるのを待っていたガラシモスが、待ちきれなくなって執務室へ顔を出す。
「坊ちゃん、失礼します」
「うん……」
「食事はすっかり冷めきっていますし、随分と夜も更けてしまわれました。今夜はもうご就寝になってはいかがです? カートももう頭が回らなくなるころでございましょう」
「ふゎっ? が、ガラシモスさん、僕はまだ大丈夫です……!」
「今、少し眠りかけていましたね……」
「うっ……」
「主人の前で居眠りなど言語道断でしょうに……。そういうわけですから、お食事になさってください、坊ちゃん。今、カタリナが支度をしていますから。彼女ももう遅いのに家へも帰らず、坊ちゃんのお食事を待っていたのですよ。さあ」
いつになく強く出るガラシモスを強引に黙らせることもできず、セオフィラスは食事のためだけに席を立つのだと自分に言い聞かせた。冷めきった食事を食べている間に空腹だったのに気がついて、もりもりと夕食を完食する。
「お風呂を温め直します」
「いい、今日は入らないから」
「臭いです」
「っ……」
「久しぶりに、坊ちゃんの体を洗いましょうか?」
「いいよ、もう子どもじゃないのに……」
言い含められてセオフィラスは風呂にも入った。それから執務室に向かい、火を灯した燭台をテーブルに置いて羽根ペンを持つ。カタリナはさっさと帰るか、屋敷で泊まっていくようにと言いつけてある。ガラシモスとカートももう休んでいるはずだった。だからもう邪魔をされることはない。
「……」
羽根ペンの先をインクに浸し、手にする。
そうして仕事を再開させながらエクトルの手紙を思い出した。ピクニックに行かなかったら婚約解消とまで言いだされては焦った。意識的に避けてはいたが、そこまで不安にさせたのかと思うとかなり怒ってしまっているんじゃないかと怖くもなった。
しかし先の戦いの後にセオフィラスは想像していなかった様々な恐怖で頭がいっぱいになってしまっていた。自分が戦いに敗れた時、遺された人間が死ぬという怖さだ。屋敷で働く使用人だけではなく、今ではたった1人だけともに暮らせている妹のレクサ、そしていずれ結婚した時にはエクトルだっている。
侵略戦争で落とされた街は、そこに住んでいた者の全てが老若男女に関係なく殺されてしまう。そんな戦争の常識はセオフィラスも知っていて、女は手酷い乱暴を受けてから無残に殺されるのだともベアトリスに教わった。
だからこそアドリオンを守ることが、ひいては自分の大切な全てを守ることに繋がるのだと強く意識した。そのために急ピッチでアルブスの防衛に関連したものを進めてきた。やるべきことは他にも山積みではあったが、予感としてまた必ずあるというものはあった。
そこへ突然、婚約破棄まで視野に入ったエクトルの手紙である。
一目見た時からセオフィラスは彼女に恋に落ちていた。森の出来事を経てから相思相愛なのだと分かり、一層、愛おしく感じられるようになった。この気持ちは弟や妹や、ヤコブやカタリナ、ジョルディらとはまた違った好きという感情で、きっと人生をともに生きていくパートナーなのだと確信を伴った。婚約破棄などとんでもない衝撃である。――が、しかし。
「……俺なんかと結婚したら、生涯ずっと……」
不意に手が止まり、ぽたりとインクが羊皮紙に落ちて黒い染みが滲んだ。
アドリオンは今後も国内外から危険にさらされる土地で、そんなところへエクトルを迎え入れたら彼女もまた危ない目に遭いかねない。手の届かないところへ彼女が行ってしまったら、両親のように消えてしまったら――それこそが悲しかった。
ならば婚約を解消できるのならばそれこそ彼女のためになるのではないか。そんな考えが湧いてきてしまい、じっとセオフィラスは思考とともに体が止まってしまう。もっと内陸の、王都に近いところならば平和に暮らせるのではないか。
「――セオくん」
「っ……し、師匠?」
「明かりが漏れていたものですから。随分と夜更けまでやっているのですね」
「師匠も、まだ起きてたんですね」
「ええ。何か思いつめた顔をしていましたが、どうしました?」
「う、ううん、何も……」
反射的にそう返したものの、セオフィラスはすぐ師の顔を見つめた。
「何か?」
「いえ、やっぱり。その、師匠って大人ですよね」
「そうですね、一応は。きみの目にそう映っているのならば幸いです」
「じゃ、じゃあ大人と見込んで……相談というか、結婚って考えたことありますかっ?」
「ありません」
あまりの即答ぶりにセオフィラスはしぱしぱとまばたきをした。きっぱり即答したアトスは表情がいつもより、幾分か真剣なものになっている。
「……じゃあ、いいです……」
「ふむ。まあまあ、そう言わずに。色恋沙汰に興味が出てくるなんて、きみの師として放ってはおけません。話してみてはいかがです? ベアトリスさんやヤコブくんにはできない相談なのでしょう?」
「じゃあ……話します――」
抱えている悩みをぽつぽつとセオフィラスは語り、アトスはじっとそれに耳を傾けた。その内に日が昇って空が白け、全て話し終えるとアトスの助言を求めてセオフィラスはじっと師の言葉を待った。
「……ふむ。朝になりましたから、今日も修行へ出ましょうか」
「えっ? 師匠、俺の相談――」
「きみが情けなくてたまりません。しっかり鍛え直す必要があるものと確信しました。以上です」
「ええええ……?」
今日はどれだけしごかれるのかとセオフィラスは渋面して、仕方ないので出かける支度をした。




