不完全燃焼 ②
「あれ、タルモさんの……従者さんですか?」
「フィリップと申します。アドリオン興」
舞台に登場したフィリップを見てセオフィラスがちょっと驚くような顔をする。彼は丁寧にそう答えはしたが、短槍を構えた瞳を見れば態度だけの敬意だというのがありありと表れていた。
「心身を鍛えることは精教会の一員としての努め。
あなたがどれほどの使い手であるか、好奇心を満たしに参りました」
「どうぞ、お気に召すまで」
「では、遠慮なく――」
駆けだしながらフィリップが槍を引き、薙ぎ払った。リーチに対して遠すぎる攻撃と予感してセオフィラスは顎を引く程度で避けようとしたが、その槍がグンと伸びてきて後ろへ大きく足を踏んだ。遠心力を受けた槍が伸び、セオフィラスの鼻の横へ赤く筋を引く。
「伸びる、槍……」
「おおよその相手ならば今の一撃で終わりでしたが、この程度はやっていただかなければ困ります」
「ふうん……。でもそれ、最初の1回しか有効じゃないと思うけど」
「はて。それはどうでしょうか」
ほくそえんでフィリップが槍の穂先を上へ構えると、カチン、カチンと小気味の良い音を立てて槍が元の短さに戻ってしまう。
「……続きをしても?」
「そういう、感じなんだ」
ちょっと初めてだ、とセオフィラスは内心でほくそえんでしまった。
フィリップが槍を短いままに連続で振るって攻め立ててくる。軽く木剣をぶつけるようにしてセオフィラスは弾くが、穂先はすぐに軌道を修正して向かってくる。じりじりと後ろへ追い詰められていく展開はここまでの39戦で初めてのことで、客席がわずかにどよめき始める。
いつ伸びてくるのか分からない槍を気にしてコンパクトに打ち合っても、フィリップの手数は多く圧倒しようとしてくる。それを力ずくで打ち破ろうとすれば、その隙を突くように槍が伸びて思わぬ一撃を受けるだろうと思わせられる。
(最初の一撃を免れても、次にいつ伸びてくるのかが問題になって相手を翻弄できる二段構え。こうして攻撃し続けているだけでも、それなりっぽいのに、何で小細工なんてするんだろう?)
視界の端に見える舞台の円周部分からおおよその自分の位置を読み取ってセオフィラスは両手で握っていた木剣を左手だけに持ち替えた。踏み込みながらフィリップへ切り込むが、今度は逆に短槍で弾かれる。
獲物を外側へ弾かれて開いたセオフィラスの上半身を狙うようにしてフィリップが槍を繰り出した。逃れえぬタイミングで繰り出した一撃に、フィリップは勝利を確信する。下手をすれば死ぬかもしれないが、即死でなければ良いだろうと彼は考えていた。
――しかし、フィリップの槍を持つ手に違和感が奔る。
槍を止められ、押し返されていた。
その感覚だけが始めにフィリップを襲い、次いで彼が目にした事実はこともなげにセオフィラスが槍を掴み取っている光景だった。前へ突き出されている槍をピタと掴んで止め、どころか逆に押し返すという芸当は傍目にはあっさりしたものかも知れない。だがフィリップには信じられない感覚だった。
繰り出している槍には1回転はしようがないにしろ、微妙な回転がかかっている。手で掴もうとも皮膚を巻き込み、摩擦熱も生じる上に止めきれなければ自分の体が刺されるという恐怖まである。だというのに迷いもなく掴んできた。
(この少年は――!)
あまりにも、危険がすぎる。
本能がそう断じて今まさに押し返されようとしている槍へ全身の力を込めて突き出した。その呼吸を読まれたかのように突如として、フィリップは前のめりにもつれこむ。いきなりセオフィラスが手を放したことで支えとなる力を失ってしまっていた。
左手へ持つことでフィリップの視界から逃れることができるようになったセオフィラスの木剣が無造作に彼を打ちつける。意識の外から放たれた攻撃で舞台上をフィリップは転がったが、体に染みた反射的動作ですぐに彼は受け身を取りながら顔を上げる。
「ハッ、ハッ……一体、どうして……こんな真似ができる……?」
「……すごい汗ですね。いくら夏の盛りだからとは言え、少し、汗をかきすぎの気もしますけど降参するつもりはありますか?」
「っ……戯言を!」
片膝をついた姿勢からフィリップが槍を突き出す。
その槍がカチリ、カチリと音を立てながら伸びてセオフィラスに迫った。だが無感動にセオフィラスは木剣で叩き落して片足で踏みつけた。槍の伸縮する関節部の一箇所が砕き折れ、目を見張ったフィリップの顔面にセオフィラスの膝蹴りが叩き込まれて後ろへ転がる。
「汗の次は、鼻血。頭も打ったみたいだし、やめた方がいいと思いますよ」
「っ……」
「武器がなくて戦えないっていう言い訳もきくけど、なんなら俺の武器をあげるよ。続けますか?」
言ってセオフィラスが木剣を投げてフィリップの近くへやる。答えず、しかし態度でフィリップは示す。木剣を掴み取って立ち上がり、片手で膝蹴りの直撃で血の流れている鼻の下を拭った。
「フゥ、フゥゥ、フゥッ……」
「……」
荒い呼吸をしながらフィリップはセオフィラスを見据える。
対照的にセオフィラスは汗もかいておらず、両腕を下げたままだった。
「ウアアアアアアッ!」
裂帛の気合いとともにフィリップは舞台の石畳を踏みながらセオフィラスに突進していった。振り下ろしから、横薙ぎへ、そこから切り上げて、突き込む。大振りな攻撃の数々は精細を欠いている。セオフィラスは屈んだり、ひらりとかわすようにしながらそれらを簡単に避けていってから、大上段から振り下ろされた攻撃を止めた。フィリップの懐へ入って柄頭を下から押さえるようにして止めると、そのまま跳ね上げて後ろへたたらを踏ませる。そして腹部に拳を叩き込み、殴り抜いた。
「ア、グギ――」
「ごめん、ちょっと……意地悪しちゃった」
膝をついて頽れたフィリップに心配するようにセオフィラスは言う。立ち上がることもできなくなったフィリップを戦闘不能とみなして40戦目は終了した。
「……フィリップが、あのような負け方をするなんて」
タルモを取り巻いている内の1人が、その戦いが終わったのを見届けながら戦慄した。
タルモとともに布教の旅へ出た仲間内で、もっとも腕が立つのがフィリップだったのだ。それなのに、まるで軽くあしらわれるような敗北を喫していた。これが立派な武芸者然とした相手ならば納得もできそうなものを、セオフィラスは少し身なりの綺麗な少年といったような容姿でしかなかった。
「どうやら、わたしは師匠としてはまだまだ未熟なようでして」
「っ!? 貴様、どこから――いや、いつからそこにいた?」
いきなりした声にタルモとその取り巻き達がハッとして振り返る。すぐ近くにアトスが立ち、始まった41戦目を眺めていた。
「ついさっきです。どうも皆さん、神妙なお顔をされていましたので声をかけるタイミングを失っていまして」
「何者だ?」
「アトスと申します。彼の……セオくんの剣の師をしています」
「……貴様、人斬りだな?」
不躾な決めつけの問いかけにアトスは目を少し大きくし、それからふわりとほほ笑んだ。その邪気のない笑みに尋ねたタルモ本人が逆に怯みそうになって表情を引き締める。
「さすがは天の一式、霊力の使い手といったところでしょうか。どのような感覚で分かるのでしょうか?」
「否定はしないか……」
「ええ。故郷が少々、血生臭いところだったものですから。必要に駆られて幾千、あるいは幾万といった命を切り捨ててきました」
「汚らわしい。人斬りと交わす言葉などない。失せろ」
断固とした強い口調でタルモはアトスから視線を外して言い捨てる。
「……そうですか。では、ここへ来た理由だけ一言――」
「くどい、失せろ」
タルモに倣うようにして、取り巻き達もアトスを見ないようにする。だが、アトスは聞こえていなかったかのように言葉を紡ぐ。
「上達をするにはやはり、競争というのは大切だと考えています。が、わたしは彼にその競争相手を用意してあげることができませんでした。……1人だけいたのですが、離れ離れになってしまいましたので。その結果、セオくんは自分の全力を出して戦える同等の相手というものを失ってしまいました。そういうわけで、あなた達のお仲間にもとても不愉快な敗北を与えてしまったかと思います。どうも、申し訳ありませんでした」
謝罪をするにしてはやけに軽く伝えてからアトスはゆっくり離れていく。
目は一切やらず、聞き届けてしまったタルモは忸怩たる思いで奥歯を噛んだ。
アトスの意図が彼女には分かりきっていた。いわゆる弟子自慢である。人の好さそうな表情の下に、どうしても言葉にしたかった得意な気持ちがあったのだと彼女には筒抜けで伝わった。しかしそれと同時に、精教会の布教活動に来ている自分達へ宣戦布告をしたのではないかと勘繰ることもできた。
「何なんだ、このアドリオンという土地は……」
地の一式の使い手が1人。
人の一式の使い手が、おそらくは3人。
ここへ来てから遭遇した、それだけの数の使い手にタルモは怒りさえ抱く。
精教会では天の一式、あるいは霊力などという言葉は用いられない。トレーズアークの詩などに語られるような俗称で奇跡の御業を汚されると考えるだけでも身震いが止まらなくなるのだ。聖名を得るには気が狂いそうになるほどの修行を積むか、生まれながらにして精霊に愛されるだけの素質が必要となる。タルモは前者である。だからこそ、彼女には聖名タルモという己に絶対的なプライドを持っていた。
己こそが精教会の教えを世界に広く伝える使命を帯びた特別な人間であるというプライドを。
蒙昧な輩に教えを授け、愚かな大衆を清らかな世界へ誘う導き手になるのだという使命感をタルモは負っている。
(所詮、精霊の存在さえも感じ取ることのできない穢れた魂の豚どもだ。このわたしこそが、絶対的に正しい存在であると嫌というほどに叩き込んでやる――)
奇跡の御業をもってして、タルモは聖名に連なる名誉を得た。
仮にセオフィラスが100戦100勝を成し遂げたとて、血液と汗の悪臭ばかりが漂うような結果に奇跡を感じることなどないとタルモは確信を持っている。




