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アドリオンの黒狼王  作者: 田中一義
少年期1 メリソスの悪魔
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別れの旅路 ⑤



「そろそろ船を出したいのですが、あの子は駆足という命令を覚えているのかしら?」

「いいではないですか。お天気も良いことですし」


 アトスとベアトリスはクラウゼン所有の船に乗りながら待っていた。

 すでに積み荷も人も乗り込み、あとはセオフィラスを待って出航を待つのみだ。


「おや……? 何やら港が騒がしくなってきたような」

「あなた、すぐにお気づきになられますのね……。わたくしにはまだ何も……あら」


 遠くで土埃が巻き上がっているのをベアトリスが見つけ、眉根を寄せる。それから慌てるように水夫が港の方へと逃げてくる。


「あ、暴れ牛だ、暴れ牛が来るぞー!」

「また牛ですの……?」

「子どもが乗ってるぞ!」

「いや違う、子どもが牛を操ってるんだ!」

「ほほう、何やら不穏な単語がちらほらと……」

「あなたが不穏という言葉を理解しているのか、疑問ですわね……」

「これは1本取られましたね」

「取ったつもりもありませんわよ!」


 ベアトリスが声を荒げるとようやく土埃の向こうが見え、アトスは目を細めた。


「おやおや、これは驚かされました」

「何をすればこのようなことに……」

「あ、いたー! 師匠いた! 先生も! ストップ、ストップ、止まれ、牛!」

「ブゥゥモオオオオオオオ――――――――――――――ッ!」

「止まらないよっ、お兄様っ!?」

「えええっ!? 止まれってば、止ーまーれーっ!!」

「ふふふ……さてさて、今度は殴るだけで止まるでしょうかね」

「ってまた牛相手に拳で調教するつもりですの!?」


 アトスが船から飛び降りてまっすぐ暴走する牛の前へ立ちはだかった。


「あ、師匠!」

「止まらないから危ないよっ!」

「ブモォォオオオオオオオ――――――――――――ッ!!」

「さて、牛くん。おすわりの時間ですよ――」

「ブモォッ!?」

「うわっ!?」

「急に止まったら――!?」


 アトスの殺気にあてられた牛が急に止まろうとし、その慣性でセオフィラスとゼノヴィオルが前へ吹き飛ばされる。放物線を描きながら、2人が海へぼちゃんぼちゃんと落ちていった。


「あなた、牛にめちゃくちゃ怖れられていますわよ……?」

「言葉を交わせない牛だからこそ、上下関係というものはしっかりと覚えなければならないかと」

「やれやれ……。誰か、早くあの子達をすくい上げてやりなさい」




 ずぶ濡れになりながらもセオフィラスとゼノヴィオルは楽しげに笑い合っていた。

 引き上げられた兄弟をカタリナはタオルで拭いてやっていたが、視線はちらちらと2人を乗せてきた牛へ向けられていた。


「先生、この牛、アドリオンに連れて帰りたい! すっげえんだよ!? すっごく速いし、強いし! かっこいいし!」

「牛なんてアドリオンにもそれなりにはいたはずでしょう……」

「この牛がいいの!」

「嫌ですわ、そんな暴れ牛……」

「暴れないよ。こうやって喉の下とかこすってやったりするとね、気持ち良さそうな顔するし」

「あら、すっかり手懐けていますのね……」

「ね!」

「坊ちゃん、カタリナにも触らせてくれますか?」

「え? いいけど、危ないかも――ってカタリナ?」

「ああジョルディ……この筋肉、毛の艶、角の雄々しさ……ジョルディ……」

「何かカタリナが変……」

「はあ……。もうどうでもいいですわ……」

「やった、じゃあ牛に名前つけなきゃ。えーと――」

「ジョルディで」

「えっ?」

「ジョルディです、坊ちゃん」

「……じょ、じょるでぃ?」

「ジョルディ」

「じゃあ……ジョルディ……」

「ありがとうございます、坊ちゃん」

「ジョルディかぁ……」


 ジョルディと名づけられた牛も船へ乗り込み、ベアトリスが飼料となる干し草を集めさせ始めた。船員が手分けをしながら干し草を手に入れようと船を降りていった。



「それじゃあゼノ……」

「……うん」


 甲板で兄弟が向き合い、別れの時間を迎える。


「レクサがね、お兄様といっぱい遊びたいって言ってたから……」

「分かってるよ。お前の分まで遊んでやるし」

「あとね、ガラシモスが休んでる時に行ってあげて、背中に乗ってあげると腰が楽になるって」

「そんなことしてたの?」

「うん。それと――」

「もういいって。……自分で帰ってきてからやればいいじゃん」

「っ……うん。僕ね、ずっと……お兄様の、弟だよね?」

「当たり前だろ。あんまり泣いてばっかりになるなよ」

「うん」


 名残が尽きずにずっと言葉を交わす。

 そしてとうとう、飼料も集められて出航の準備が整ってしまった。ゼノヴィオルが下船してから、船を見上げる。甲板から身を乗り出すようにしてセオフィラスもゼノヴィオルを見た。


「出航、出航だ、野郎どもー!」

「あいあいさー!」


 騒がしくなる船。帆が開かれ、錨が上がる。

 ゆっくりと船が動き出してセオフィラスはすぐに船を飛び降りたい衝動に駆られた。ゼノヴィオルは泣虫で、頭は良くても情けない弟だ。あんまりやさしくしてやった覚えはないが、それでも大事な弟には違いなかった。



「ゼノっ! 風邪ひくんじゃないぞ! おやつなくても泣くなよ!」

「うん! お兄様もね!」

「手紙いっぱい書くから、返事も書けよ!」

「いっぱい書くよ、僕も!」


 遠ざかっていくにつれ、声も届かなくなっていく。その姿が小さくなっていき、セオフィラスは手を大きく振った。ゼノヴィオルも大きく腕を振ってそれに応じた。


「ゼノーっ! いっぱい勉強しろよー!」


 最後に怒鳴った声は、ゼノヴィオルには届かなかっただろうとセオフィラス自身思った。だが途中から、泣くなよと言っておきながら涙が溢れてきてしまっていて、それで良かったと思えた。止められない嗚咽をこらえなくなり、袖で涙を拭いながらセオフィラスは泣いた。



「……この決断を下した時、いずれ恨まれるかと思っていましたわ」


 静かにベアトリスは泣き崩れるセオフィラスを眺めながら口を開く。


「けれど思っていたより……あの子達も、成長していたようです」

「そうでしょうとも。芯の強い子ですからね」

「ええ」

「しかし、これからが本番といったところなのでは?」

「……無論です。継承の儀を終えた今、セオフィラスも領主の1人。これからは子どもだから、と甘く見るようなことはいたしません。彼にやらせて失敗が見えることだろうが、必要ならばさせます。失敗して民の反感を買おうが、それも経験として受け入れていただく必要があるのですから」

「わたしも……次の段階に上げようかと思いまして」

「あら。それならば、1つ勝負をしてみないかしら?」

「勝負ですか? しかし、どのような?」

「どちらが先に、セオフィラスを根負けさせられるか、なんてどうかしら?」

「ほほう。意地悪な先達です。……が、乗りましょう。これもセオくんに必要なことですから」




 アストラ歴439年。火節。上の月。

 1年でもっとも太陽が地上を照らすころ、セオフィラスは領主としてアドリオンへ帰った。少年領主は1人前にはまだまだ程遠かった。


 毎日、修行と勉強に明け暮れる。

 空いた時間は妹に遊んでくれとせがまれた。

 どうにか時間を作ってはアルブス村を見て回って、父がそうしていたように――領民から暮らしぶりについて話を聞いた。


 アトスとベアトリスがそれぞれに課す修行も勉強も一層厳しいものになっていたが、弱音をこぼすことはなかった。息抜きは妹と遊ぶ時間や、定期的に暴れる大牛ジョルディにまたがって思う存分に走らせる時間だった。



 そうして時間が過ぎていき、少しずつだが勉強の時間が減り、ベアトリスとともに領地運営をする時間が増えていった。アドリオンに目覚ましい発展はいまだ訪れていなかったが、少しずつ領民の暮らし向きも良くなった。


 セオフィラスがボッシュリード全土にその名を響かせるのは、それから数年が過ぎてのこととなる――。

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