別れの旅路 ④
「やっと火ぃ起きた……」
「でも……食べもの、ないよ……?」
「うぅーん……森の中から見つけられるのに」
時間をかけてようやく起こした焚き火を挟んで、兄弟は揃ってお腹をさすった。
「……我慢するか」
「……うん」
焚き火に手を伸ばし、セオフィラスは肩をがっくりと落とす。
パチパチと拾い集めた小枝が音を立てる。王都を出た直後と違って意気消沈しているセオフィラスを眺めながら、ゼノヴィオルはもじもじと組んだ手の指を動かす。
「……ゼノ?」
「あのね、お兄様……」
「何?」
「僕、一緒にアドリオンに……帰れないんだ」
セオフィラスが顔を上げる。
焚き火に照らされたゼノヴィオルの顔は俯いていた。
「……何で?」
「先生が、そうしなさいって。アドリオンを守るために、そうするのがいいんだって」
「何でゼノが、残るんだよ?」
「僕じゃないとダメなんだって……」
「だから何で!?」
「……ユーグランド卿って人が、アドリオンに悪さしようとするって先生は言ってた」
「ユーグランド――」
「でも王都からは遠いから……もっと近くに、アドリオンがあったらやり放題で、そのアドリオンの代わりになるのが、僕だって」
「……いつから、それ……?」
「アドリオンを出て、すぐくらいに……」
「ヤコブくんとか、カタリナは?」
「もう、お別れの挨拶したよ……」
「師匠も?」
「……うん」
ちらとゼノヴィオルは兄の顔をうかがい、表情が曇っていくのを見る。それから不機嫌そうに、唇がきゅっと結ばれる。
「……エミリオが、大人は嫌いだって言ってたのが分かった気がする……」
「お兄様……?」
「こっそり隠して進めるんだ。……俺に内緒にして」
「で、でも、アドリオンのためだし……お兄様のためだから――」
「俺のためなら、俺が決めたいの!」
「っ……ごめんなさい……」
「別にゼノには怒らないし……。でも、嫌だ……」
「嫌……?」
「どうしてゼノだけ、帰れないのか意味がわかんない。アドリオンを守るためなら、ゼノだってその中の1つなのに」
「でもね、先生が約束してくれたの。アドリオンが強くなったら、僕も帰れるって。だからそれまでは、たくさんお勉強して、色んなことを知って、領主のお兄様を助けられるようになりたいの。……お兄様、あんまり頭は良くないから」
「……うるさい」
「ごめんなさい……」
セオフィラスが焚き火の前から腰を上げると、ゼノヴィオルの横へ座った。
「……ゼノ、嫌ならやめちゃえ」
「え……?」
「だって俺もう領主だし。だから俺が1番偉い! ……ゼノが嫌だって言うなら、まあ……怒られるだろうけど、意地でも連れて帰る。船に乗せてくんないなら、歩いてアドリオンまで帰ればいい」
「お兄様……」
「レクサだって、ゼノと遊べなくなったら嫌だろうし」
「…………」
「だから、ゼノ……」
「ううん、大丈夫だよ」
「ゼノ……」
「だってね、ちゃんと役に立ちたいから……。僕、お兄様を助けてあげたいの」
『怖かったはずなのに、どうしてわざわざ向かったと思います?』
アトスの問いかけを思い出し、セオフィラスは分かったような気がした。思い返してみればどんな時だってそうだった。気がつけばゼノヴィオルは陰日向にセオフィラスを助けようとしていた。
「……お兄様? どうかしたの?」
「何でも……」
「……?」
「何でもないけど……別に、その、早く帰ってきちゃっても、いいんだからな」
「……うん」
「お腹へったしもう寝よ。風邪ひくなよな」
焚き火に小枝を突っ込んでからセオフィラスは横になる。ゼノヴィオルも同じように体を横たえた。目をつむってゼノヴィオルは寝つけるのを待つ。と、セオフィラスがもぞもぞと動いているのを聞きつける。
「ゼノ、頭上げて」
「頭……?」
言われた通りにすると、頭の下にセオフィラスの腕が差し込まれる。そのまま頭を下ろしてみてから、ゼノヴィオルは寝返りを打った。
「お兄様?」
「枕ないとダメだろ、ゼノは……」
「……ふふ、ありがと、お兄様」
「おやすみ」
「うん、おやすみ……」
静かな夜だった。たまに焚き火が弾ける他、ほとんど音はなかった。
やがて静かに睡魔が兄弟のところを訪れてまどろみに連れ込んだころ、僅かに届いた地響きが2人を起こそうとしてきた。
「ん……何……?」
「地面、揺れてる……?」
消えかかっていた焚き火に息を吹きかけ、小枝をくべてから2人は夜闇の向こうへ目を凝らす。
「何の音だろう……?」
「馬とか……?」
「こんな時間に?」
「だって、それっぽい音だし……」
身を寄せ合いながら近づいてくる音を2人が待っていると、今度は鳴き声が届いてきた。
「ォォォ……」
「何、何の声?」
「馬じゃ、なさそう……?」
「ブゥゥモオオオオオオオオ―――――――――――――――ッ!」
星と月に照らされた平原を獰猛に駆けてくるのは、カタリナがジョルディと名づけた大牛だった。黒毛は闇に溶け込むような漆黒、頭から真横へ生え、捩じれ上げるように天へ向く角。地面を抉り、力強く爆走する牛の姿を認めてセオフィラスとゼノヴィオルは互いの顔を見合わせた。
「牛……?」
「うん、牛……だと思う」
「こっち来てない?」
「きっと闘牛の牛だよ」
「見たかったけど……」
「ちょっと、これって……」
「しかも速い!」
「うわわわっ!」
「ブゥゥモォォォォ―――――――――ッ!!」
そこを退けとばかりに吼えて迫る大牛に兄弟が左右へ分かれて逃げようとしたが、ゼノヴィオルが勝手に足をもつれさせて転ぶ。
「ゼノっ!?」
「ひっ――」
牛は進路を変えようとはせず、転んだゼノヴィオルに迫っていた。あの蹄に踏まれてしまえば即死は免れない。セオフィラスが迫りくる牛に向け、焚き火から取り出した燃えている小枝の束を投げつけた。
「ブモォッ!?」
「こっちだ、かっこいい牛!」
「お兄様っ!?」
燃える枝をぶつけられた牛の瞳に怒りの炎が激しく盛り、蹄で地面を蹴りながらセオフィラスを睨みつける。
「お、お兄様……」
「だ、大丈夫だし、牛だし、師匠の方がきっと怖いし――って来たぁっ!?」
「ンモォォッ!」
突っ込んできた牛から後ずさろうとしたが、牛は止まったところで激しく足踏みをすると観察して分かっていた。だから一度は後ろへズラした重心から、一気に前へ踏み込んで跳び上がる。
「ブモォォォォッ!」
「大人しく、しろっ!」
背中へ飛び乗ったセオフィラスが長い黒毛を掴んでしがみつくが、振り落とそうとして牛はさらに必死に暴れ回る。
「うわぁ、あああっ!?」
「お、お兄様っ、あ、危ないよっ!?」
「でっでも、これっ、どうすればいいの!?」
「う、牛は、えーと……そうだ、えっと、何か、何か――これで!」
ゼノヴィオルが着ていた服のシャツを脱ぎ、それを焚き火にかざして火を点ける。燃え上がる服を牛の前に見せると、牛の顔つきが変わった。
「何してんだよ!?」
「牛の気を惹こうと思って!」
「それからどうすんだ!?」
「ブモォォオオオオオオオオオオオ――――――――――――――ッ!!」
「あ――考えてなかった」
「おいゼノ!?」
「うわあああああっ!?」
「ちょっ、止まれよ、牛ぃっ!!」
ゼノヴィオル目掛けて突撃する牛の進路を変えようとセオフィラスは思いきり、握っていた毛を引っ張った。ゼノヴィオルは熱くて持っていられなくなった服を投げ捨て、そこに牛が突っ込んでいく。その先にはぽつりと立った木が聳えている。
「ああああああっ!?」
激しい衝撃が牛ごしにセオフィラスへ伝わり、とうとう吹き飛ばされる。
「あう……痛ったたたた……」
「お兄様っ、大丈夫?」
「ちょっと、頭ぶつけた……。これ、絶対にたんこぶできるやつ……って、牛は!?」
「えっ? あ……痛そうにしてる」
「あーあ、あんな風に突っ込むから……」
兄弟の視線の先で牛はぶつかって折った木の根元で前足を折って身を屈ませていた。痛そうにしているのが牛と人間の垣根を超えても丸分かりで、少し可哀想になってセオフィラスが近づく。
「あ、危ないよ……?」
「でも今ならちょっとは、大丈夫そうだし……。そーっと、そーっと……あ、触れた。よしよし。こいつの毛、やっぱすごく手触りいい。ゼノも触ってみ?」
「え? 噛まない……?」
「牛だから、多分……?」
「そーっと、そーっと……うわあ、本当だ、すごく触り心地いい。それにあったかいし。でも毛皮の下はカチカチの筋肉なんだね……」
「こいつ強そうだもん……。絶対にチャンピオンだよ、闘牛の」
「モォォ……」
「うわ、起きるよ?」
「んー……。大丈夫じゃん? ほら、撫でてたらちょっと落ち着いてきてるような」
「……ほんと? 何だか、ちょっとかわいいかも……」
「かっこいいんだよ。この角とか、すごいじゃん」
だんだん無遠慮になる子どもの手を牛はしばらく怪訝な目で見ていたが、後ろ足も折ってその場にうずくまった。兄弟も膝をつきながら撫でると牛は大人しくなるのだった。




