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アドリオンの黒狼王  作者: 田中一義
少年期1 メリソスの悪魔
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別れの旅路 ③



「ん、ぁぁ……? 止まった……?」

「動かないでくださる、ヤコブ? ただでさえ狭くなっているのに、さらに狭苦しく感じてしまいますわ」

「何かあったのか見てきま――」

「牛……」


 荷台に座っていたカタリナが腰を上げかけたが、一緒に乗っていたソニアが小声で声を発して動きを止めた。


「牛……?」

「牛って……?」

「一体、牛が何と言うのかしら?」

「牛が……反乱中?」

「はあ?」


 ヤコブが呆れたような声を出すと、外からけたたましい音が響いてきて進んでもいない馬車がにわかに揺れ始めた。カタリナとベアトリスが馬車の荷台を降りて外へ出ると、またもやジャンソン大橋の手前で馬車は止まっていた。


「アトス! 一体、どうしたと言うの?」

「いえ、それがどうも……とても楽しそうな見世物が始まりそうでして」

「見世物――?」


 御者台でのんびり構えていたアトスの視線の先をベアトリスが追いかける。丁度、橋の向こう側で騒ぎが起きていた。興奮しきった大きな黒い牛を、武器を構えた数人の男達が取り囲んでいる。


「一体、何が起きているというのかしら……?」

「眺めていた限り、牛を輸送していたのでしょうね。何を考えてか、お調子者が牛を刺激して……暴れ出して誰も手を出せなくなってしまった――というところかと。いやはや、あれは猪よりよほど強いのでしょうね。おおっ、素晴らしいタックル……ですが、あの人は打ちどころが悪ければ死んでしまいますね」

「やれやれ……どうしてこう野蛮なものが流行などと。カタリナ、あなたも見ていたくないのなら――」

「そこ、そこ、抉りこむように……」

「カタリナ……?」

「ふふふ、彼女はお気に召したようですね」

「ハッ……い、いえ、何でも……。ただあの、逞しい牛の筋肉は素晴らしいかと……」

「筋肉? あなた、これほど離れていて見てとれますの?」

「山育ちなので。……しかしあの、ねじれ曲がった角のフォルム……ごくり……」

「そ、そう……。あなたも意外と物好きだったのね……」


 拳を握って観戦しているカタリナに呆れながらベアトリスも橋向こうを眺めやる。それから御者台へ上がって足を組んだ。



「……アトス、あれが終わるまでしばしの話につきあいなさい」

「喜んで。話とは?」

「まだきちんと話をしていなかったでしょう。王都で得たものの全て」

「ほう。お教えいただけるのですか。興味深い話になりそうですね」


 暴れ牛に追いかけられる人々を眺めながらカタリナはシュッシュと拳を打つような仕草をしている。静かにアトスは、その拳打に光るものを見つけて観察を始めてしまう。


「まず物質的に得たもの。これはメリソスの悪魔にかけられていた懸賞金。金貨で2万枚よ」

「金貨ですか……。ふむ、銀貨1枚が10ローツとは聞いたのですが、金貨は1枚でどれほどになるのでしょう? 金は銀より高等でしょうから……50ローツとかでしょうか?」

「まったく、これだから……。金貨は1枚で100ローツですわ」

「ほほう! となると、それが2000枚――200万ローツ? ……ふむ、桁が大きくていまいち分かりませんが、いかほどになるのでしょう? 分かりやすくお願いできませんか?」

「……面倒ね。アドリオンがボッシュリードへ納める税を、20年は賄えますわ」

「20年……ですか。途方もない額です」

「ただしそれは今のアドリオンならば、ということになりますわ。搾れるところからは搾り取り、搾れないところは乾涸びる程度に搾り取る……。それがボッシュリードのやり口なのですわ」

「では……そうですね、アドリオンがクラウゼンほどの立派な領地となったらどうなのです?」

「2年ね」

「……なるほど。クラウゼンとはとてつもない財力の持ち主なのですね」

「当然ですわ、おーっほほほ!」


 高笑いを済ませると、ベアトリスは咳払いをしてから足を組み替えた。


「この200万ローツの使い道はもう決めてあります。これのお陰でアドリオンの発展も、備えもはかどることでしょう。全てはあなたがメリソスの悪魔を下した功績によるものですわ」

「いえ、セオくんの手柄ということになっているのですから、彼を誉めてあげてください」

「……まあいいわ。

 次は非物質的なものの話ですわ。こちらの方が価値は高いとわたくしは見ています。

 まずは魔力の使い手であるエミリオを手駒とできたこと。彼に与えた役目は王都へ残したゼノヴィオルの護衛役。姿を変えるのは簡単と言っていましたから、本来の姿ではない別の顔にでもなっていただいてゼノヴィオルとともに行動をしていただきます。それでもユーグランドの手口にどこまで耐えられるかは分かりませんが、戦闘能力だけならば折り紙つきですわ。何せ、メリソスの悪魔様なのだから」

「確かに。ただ傍に控えて護衛するだけならば単なる剣士の身にすぎぬわたしでもできますが、魔術の方が幅広い場面で護衛に適するかも知れません」

「その通りよ。それからもう1つ、手に入れられたのはユーグランドの脅威を直接、軽減させられる人脈ですわ」

「人脈ですか」


 神妙な顔をするアトスにふふんとベアトリスは得意そうに鼻を鳴らす。


「そう、マルクースク男爵ですわ」

「確か舞踏会の?」

「ええ。エミリオに命令を与え、メリソスの悪魔を操っていたのはビラーベック男爵。彼はユーグランド卿の配下でしたわ。そしてマルクースク男爵もまた同様。だからこそ、改めて招かれた舞踏会で、一芝居打ちましたの。セオフィラスの演技がヘタくそすぎて肝が冷えましたわ」

「わたしは留守番させられていたので顛末を知りませんでしたが、それほどヘタだったのですか」

「ええ。カタリナがわたくしと嫌々に会話をする時くらい、発する言葉のいちいちに抑揚がなくって、状況が状況でなければ笑い転げてしまいそうなほどでしたわ」

「ふふふ……。セオくんですからね」

「ともかく、芝居がそれなりにはうまくいきましたわ。セオフィラスは王都の人間にとって、メリソスの悪魔を殺した小さな英雄になりましたもの。それからマルクースク男爵へ脅しをかける材料ができましたわ。マルクースク男爵とビラーベック男爵は、わたくしの睨み通りに舞踏会を利用してセオフィラスを暗殺しようと企てていましたの。だからあらかじめセオフィラスに扮装させたゼノヴィオルとカタリナを一緒にして人目につかなさそうな場所へこもってもらいましたわ」

「それで?」

「もちろん、2人揃ってきましたわ。舞踏会に潜り込ませた彼らの部下とともに。手にかけられる前に、タイミングを見計らってお芝居開始ですわ。突如として劇場に現れたメリソスの悪魔が可憐にして儚く、吹けば飛ぶ綿毛の花のごとくか弱い淑女を人質に――」

「そのような淑女、是非とも一度はお目にかかりたいものですね」

「…………怒りましてよ? 目の前にいらっしゃるでしょう?」

「これは失敬」

「ふんっ。寛大な心で許して差し上げますわ。

 お芝居の結果、メリソスの悪魔はセオフィラスに退治され、予定とは違ってビラーベック男爵が惨殺されましたわ。しかし、芝居の後こそが本番ですわ。マルクースク男爵に取引を持ちかけましたの。

『あなたはメリソスの悪魔を退治した英雄セオフィラスを暗殺しようとした。もし、このことをセオフィラスが招待された夜会で次々と吹聴していったらどのようになるのでしょうか』――とね」

「嫌らしいですね」

「お黙りなさい」


 暴れ牛の顔に布をかけて落ち着かせようと試みた男が吹き飛ばされた拍子に、ジャンソン大橋が架けられている川に落ちていった。


「マルクースク男爵は歌劇ももちろん、心の底から愛していますがそれと同じように舞踏会が大好きな方ですの。もし、そんな噂が広まってしまったら、招待状を出しても誰も来てくれなくなってしまう可能性が高くなってしまいますわ。それにメリソスの悪魔を本当に目の前で殺してしまったセオフィラスに恐怖も抱いたことでしょう。だから――これを黙っておくことと引き換えに、便宜をはかってもらうことにしたのです」

「そう言えばゼノくんを身代わりに仕立てたと聞きましたが……」

「ええ。そのことも取引が終わってからきちんと打ち明けましたわ。

 殺そうとした少年はセオフィラスではなく、その弟、ゼノヴィオルであると。だから彼がどれだけ社交界に姿を見せても、ぽろりと悪評を漏らすことはないはずと。……ただ、弟のゼノヴィオルが何かの弾みに兄へ打ち明けてしまってはその限りではないとも。だからこそ、男爵はゼノヴィオルを陰日向に守ろうとするでしょう。……まあ、もともと、彼は歌劇と舞踏会さえできれば幸せな性分でしょうから、ユーグランド卿にそこまで心酔しているのではないでしょうし」

「ふむ……。前々から少し思っていたのですが」

「あら、何かしら?」

「実はベアトリスさんは、セオくんよりもゼノくんの方が気に入っていますよね?」

「ふっ……そんなこと」

「ないと?」

「まさか! ゼノヴィオルの方が覚えもよく、セオフィラスほど直情的ではなく、頭の回転だって何倍も早いのです! わたくしとしては、セオフィラスよりよほどゼノヴィオルを領主に推したかったほどですわ! おーっほほほほ!」


 自分のことのように高笑いするベアトリスにアトスはほほえむ。


「……何かしら、その生暖かい眼差しは?」

「いえ、いつも通りのつもりですが」

「ふんっ、まあよろしく――って、ちょ、あの牛、こちらへ来ていませんこと!?」


 いつの間にか牛がジャンソン大橋を一目散に駆けてきていた。橋のたもとへ止めている馬車目掛けて一直線に、大牛が蹄鉄を響かせながら爆走してくるのだ。その振動がベアトリスを慌てさせ、カタリナもさすがに観戦とはいかなくなって馬車の方へ寄った。背の一部が大きく盛り上がっており、猛進してくる小山も同然の迫力に馬まで怯え出す。


「はてさて、殺めてしまうのは可哀想というものですし、このままどこへなりとも逃がしてしまいましょうか」」


 御者台を飛び降りるとアトスが武器も手にしないまま橋のたもとへと歩いていく。すぐそこまで迫った牛が一際大きく吼える。障害物の全てを吹き飛ばすとばかりの力強い雄叫びでもあった。


「きみは自由に、きみのまま過ごしなさい」


 牛にひかれて死ぬのではないかとベアトリスが身を乗り出しかけた。大牛がアトスに強烈なタックルをかまそうとする、寸前でのことだ。牛の顔面を真横から捉えて殴りつけた。


「ブゥモォオオオオオオ―――――――――――ッ!?」


 その場で牛は苦しげにぐるりぐるりと回っていたが、アトスを避けるように迂回して彼らの来た道を遡るように猛進していった。



「さて、では進みましょう。……しかし、怪我人が多いようですし、少し手当てでもして差し上げましょうか?」

「……もう好きになさい。あなたにはつくづく常識がないと思い知らされましたわ」

「ああ、ジョルディ……」

「カタリナ、あなた勝手にあの牛に名前をつけていらっしゃったの……?」

「ジョルディ……」

「重傷ね……」

 

 橋を渡ったところで、散々、暴れ牛に小突き回されていた男達をアトスが手当てした。カタリナもそれを手伝い、角に抉られた傷口にうっとりしては怪我人に怖がられるのだった。

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