小さな英雄セオフィラス ④
「あのガキめ、生きているではないか……! 何がメリソスの悪魔だ、裏切り者の小僧めが!」
「しっ、ビラーベック卿、誰が通るか分からないのですからお静かに。閉めなさい」
「ハッ!」
指示を受けた男の1人が開け放たれていたドアを閉める。
「これが噂のセオフィラス……。何ということもない小僧だな」
「ええ、確かに。ですがあの方の不興を買うほどに愚かな子どもには見えませんね……。もう少し、芋臭いのかとも思っていました」
「何でも良い! おい、貴様ら。……女は死のうが生きようがどうでもいいが、この小僧は殺すな。肩を砕いて全ての歯を折ってからあの方に献上するのだからな」
「坊ちゃん、お下がりになってください」
「カタリナ――」
カタリナに庇われるまま壁際へ寄り、不安そうな面持ちで少年は入ってきた6人の男達を見る。
「なぶりすぎないでくれよ。顔は悪くない。そう言えば先代のアドリオン卿とは一度会ったが、舞台映えのしそうな顔立ちだった。きっとあの方が気に入るはずのお顔だ」
「注文は以上だ。さっさとやってしまえ。さあ、早く!」
4人の男達が前へ進み出ると、それぞれ服の下や、ステッキの中から獲物を取り出した。ナイフや、細剣といった武器だった。彼らが構え、下卑た笑みをたたえて襲いかかろうと腰を下げる。
「――きゃあああっ、ああああああああっ!!?」
通路で発せられた金切り声が一同の注意を逸らした。
「ええい、何だと言うのだ……!」
「何かは知りませんが、騒ぎに乗じてしまいましょう。
メリソスの悪魔が小さな英雄を呪い殺したと言うことにすれば良いだけですと――も? は?」
僅かに目を離した隙に、目の前にいたはずの2人が消え去っていたことに気がついてマルクースクが室内を見渡す。
「なっ、消えただと!? どういうことだ!」
「あなたの銅鑼声は響きます、ビラーベック卿。瞬時に人が失せるなどありえないのですから、何かのトリックを用いたのですよ。しかし、どこへどうやって……」
「外の騒ぎがいっこうに収まらんぞ! ええい、お前ら、その物騒なものをしまえ! マルクースク卿、一旦、この騒ぎを収めてから仕切り直しだ!」
「しかし彼らにはもう――」
「それがどうした! 我々に変な噂を吹聴したとて、それがどうなる! あんな子どもとメイドごときの言葉を信じて、我々にあらぬ罪をなすりつけるなどできるはずもなかろうが! さあ早く!」
強引なビラーベックの指示でマルクースクは渋面したが、すぐにドアを開けて通路へ出た。騒ぎの声は大きかったが、人が押し寄せてくるということはなかった。一般の客が出入りをするような区画ではない。ホールに近づくほどに騒ぎの声は大きくなっていた。
建物の2階部分、特設された大階段の上からマルクースクとビラーベックが中へ入る。
そこからホールは見下ろすことができていた。壁際に寄ったり、詰まっている通路の入口へ逃げ込もうとする人々。そしてホールの中心部では、エミリオが禍々しい魔剣を握ってベアトリスを人質に取っていた。
「早く出てきてくれないかなぁ? このメリソスの悪魔を殺したなんて嘘をついた悪い子がここにいるんでしょう? 出てこないと、このおばさ……………………違ったおねーさんが死んじゃうのにさ」
その光景にビラーベックは絶句し、マルクースクは理解が追いつかずにただただ眺める。それからハッと我に返り、ビラーベックに声をかける。
「ど、どういうことです? あの少年が……メリソスの悪魔……? 彼は何をしているのですか」
「分かるはずがなかろう……! どうしてこのようなところへ堂々と姿などを現す……! 台無しではないか、これでは……! あの、小僧めが……!」
「あっれえー? そこにいるのはビラーベック男爵? 男爵だよね。ご機嫌いかがー、男爵ー?」
白々しくエミリオが魔剣を振りながらビラーベックに声をかけた。
ホールは音がよく反響するように作られている。ざわめき立っていても少年の声は相手に聞こえてしまうものだった。
「な、何だ、貴様はっ……! し、知るものか、何者だ……!」
「何者だって? そういうこと言っちゃうの、男爵? へえー、へええー? いいのかなあ? 男爵が僕を使ってしてきたこと、ちゃんと覚えてるよ? えーっと、たーしーかー、1年前に急死した何とかって子爵の死因は病死じゃなくって、毒殺によるものだったとか」
「なっ、何を言っているのだ、貴様はっ!?」
「だってあの毒を作ったのはこの僕、メリソスの悪魔だからさあ! 僕さあ、嫌いなんだよね。汚ったないおじさんが! 脂ぎってて、毛むくじゃら! いっつも違う女と、ぱんぱんぱんぱん……! 豚の交尾の方がよっぽどかわいらしいよね、あははっ!」
ビラーベックの顔が真っ赤に変わっていくのをマルクースクは目の当たりにした。
「殺せ、殺してしまえ! あの小僧を、早くっ! 殺した者には褒美をやる、いくらでもだ!」
「そうやって僕をさんざん使ってきておいて、今さら? ていうかさ、忘れてない?」
「何をだ!?」
「悪魔を利用できるとか、無理がありすぎ?」
エミリオが魔剣をマルクースクへ向けると、その刃が意思を持った蛇であるかのように伸びて襲いかかった。ホールを横切っていく剣の大蛇に誰もが息を呑む――その最中に、美しき天上の様子を描いた天井から小さな影が落ちた。ギャリンと激しい金属音が鳴り、大蛇があらぬ方向へ弾かれてそのまま壁へ激突する。
「……め、メリソスの悪魔! 覚悟をしろぉー!」
降り立ったのはセオフィラスである。
何だかちょっとおかしな発言に幾人かが首を傾げかけた。しかし。
「ああ、セオフィラス……! いけなくってよ! その悪魔はきっと不死ですわ! 恐るべき不死の悪魔を殺す術などありはしないのです! 早くお逃げなさい!」
悲痛にベアトリスが叫ぶと、人々はようやくセオフィラスのことを認知した。今まさに、グライアズローで話題が持ち切りになっている少年。若きアドリオンの領主。悪魔討伐の少年勇者。不安と恐怖が渦巻く中には、しかし、噂の真偽を見届けたい、新しいセオフィラスの逸話をこの目に焼きつけたいとさえ思う者も確かにいた。
「ちぇっ……あわよくば殺しちゃおうと思ったのに。まあいいや。――セオフィラス、よく、僕を殺したことにしてくれたよね? 本当に、何か……腹が立つなあ。軽んじられたみたいでさ」
「……え? 何て?」
「っ……はあ、ほんっと、最悪だ……。死んじゃえば、いいんじゃないの!」
エミリオがベアトリスを突き放して魔剣を自分の右腕と同化させながら駆け出した。セオフィラスも大階段の上から駆け下りながら握っていた剣を振り上げる。先に剣を振るったのはエミリオだった。刃が枝分かれし、その先端がまた蛇のように牙を剥いてセオフィラスに襲いかかっていく。地面を打ち壊して足場を崩し、姿勢を傾けたところへと蛇頭が次々と襲っていくのだ。
だがセオフィラスは必要なところだけを剣で弾きながら前進していき、蛇達の根元部分を切り飛ばした。それまでは生きたようにうねり踊っていた蛇は動かぬただの木へと成り果ててしまう。――そして2人が交錯する。
「全然、先生の言う通りじゃなかった……」
「アドリブさ。本物のように見せるためのさ」
セオフィラスの持っていた剣がエミリオの腹部を貫いた――ように見せかけられている。小声で交わされた2人の会話を聞いた者もいない。
「にしてもきみ、演技がヘタすぎるよね……」
「うるさいなあ……」
「まあいいや、約束さえ守ってくれるのなら。違えた時は、本気で殺しにいくよ――」
エミリオが耳元でセオフィラスにそう囁くと、剣から抜け落ちた――ように見せかけながら後ろへよろよろと下がった。口からは血のようにしか見えないどろりとした液体を吐き、胸と背からは、剣が刺されていたかのように同じような液体が夥しく溢れ出す。
「あ、ああああ……何故……こんな、子どもに……」
「演技上手……」
「黙っててくれない、邪魔しないで……」
大袈裟な演技を前にぼそりと呟いたセオフィラスにエミリオもぼそりと言い返す。
「だが……僕はメリソスの悪魔だ……。ああ、憎い、憎い憎い――!
呪ってやる、呪い殺してやる! いつの日か、この憎しみで全て鈍い殺してやる! だから、今は……今は――」
演技の最中で、エミリオはギロリと鋭い眼光をビラーベックに向けた。
その視線に射すくめられてビラーベックが腰を抜かしそうになって、マルクースクが支える。このような段取りはベアトリスの筋書きにはないものだった。
「――死んでしまえ」
エミリオの体が黒いもやのようなものに変じて宙を飛んだ。
驚愕に目を見開きながらセオフィラスはそれを目で追う。まっすぐエミリオはビラーベックに向かっていた。
「ひっ、やめ、何をするやめろ、やめ――ああああああああああっ!?」
「ビラーベック卿――あ、あああ……!?」
黒いもやと化したエミリオに全身を包み込まれたビラーベックは、焚き火にかけられた材木のように黒く変色しながら体積を急速に減らしていっていた。皮膚がただれて黒くなっていき、腕や足が細くなり、顔のしわがたるみながら溶け始める。
「ぁ……ぇぁ……」
そしてビラーベックはタールのような真っ黒のどろりとした塊と化した。
黒いもやはそれとともに消え去り、エミリオの姿もどこにもなくなっていた。