悪魔と剣士と兄弟と ④
体に入っていた悪いものは随分と薄れた。
そう感じ取りながらセオフィラスはじっと古びた玉座に座っているエミリオを見た。前屈みになり、膝に片肘を立てながら顔を支えている。表情は険しく引き締められていた。
行動を起こそうと思えばできる自信がある。しかし、また麻痺毒を食らわされてはたまらないとセオフィラスを慎重にさせている。夜明けまであとどれくらいだろうかと表の様子を窺おうとしたが、ただただ暗いだけでよく分からなかった。
「……きみ、何て名前だっけ? 僕はエミリオ」
不意に立ち上がったエミリオに尋ねられ、セオフィラスも顔を引き締めて答えた。
「……セオフィラス・アドリオン」
「ふうん……。セオフィラスか。それじゃあセオフィラス、ひとつ尋ねるけれど……ジャンソン大橋で僕の部下を殺しまくったほどの剣士は何人かいるのかい? きみがさっきから強いと主張していた師匠って人の他にさ」
「師匠くらいの剣士……?」
「じゃあ、違うのかな。それならそれでいいよ」
玉座にかけていたマントを羽織り、その内側――腰の裏へエミリオは円卓をマウントする。それから短剣を腰に佩く。
「――セオ坊ちゃん、ご無事ですか!」
「っ……ヤコブくん?」
外からの声が届いてセオフィラスは天幕の入口の方を見た。
やはり外は暗い。しかし幻聴のはずはなかった。
「ヤコブくん! ここ!」
「坊ちゃん!?」
声を張ると外から地面を蹴る音が聞こえてきた。今まさに、ヤコブが駆けつけてくれる。知らずに抱いていた不安がようやく表出し、それが安堵に変わりかけた――その矢先。
「勝手に入らないでくれるかな?」
天幕の入口にかかっている布からヤコブが入り込もうとしたと同時、エミリオが静かな声を発した。するとヤコブが何かにぶつかったかのように真後ろへ弾き飛ばされてしまう。
「なっ……何?」
「セオフィラス。きみが師匠って人をどれほど信頼してるか分からないけれど、僕の力を見れば気が変わると思うよ。大した使い手じゃないようだけど……見せしめくらいにはなってくれるだろうから」
エミリオは言いながら入口の布をゆっくり巻き上げて外に出る。セオフィラスも出ようとしたが、入口を通ろうとすると見えない壁にぶつかって後ろにひっくり返った。
「痛っ……? 何これ、壁……? 見えない、壁がある――」
「結界。この天幕は今、外と切り離されてる。出入りできるのはエミリオとわたしだけよ」
「っ……」
ソニアの解説でセオフィラスは胸がぶるりと震えたのを感じた。
魔術――。トレーズアークの三式のひとつである、魔力を用いた技術。アトスが刃もついてないもので果物を切って見せたことを思い出す。普通に考えたらできないことができてしまうことの恐怖が、初めてセオフィラスにも実感として理解できた。
「お前がメリソスの悪魔ってやつか……? 坊ちゃんと大して変わらねえガキじゃねえかよ」
「そうだよ、おじさん」
「おじさ――!? お兄さんだ!」
天幕の外でヤコブとエミリオは向かい合っていた。すでにヤコブは剣を抜き、盾を持った左手で体を隠している。
「毛むくじゃらの男は全員おじさんだよ。胸の大きい女が全員おばさんなのと一緒で」
「はっあああああ!? 毛も生えてねえガキが抜かせっ!」
「大人なんて嫌いだから、僕」
「ひねくれたガキめ……。これが悪魔たあ、王都の連中はさぞやビビりなんだろうな。おしおきしてから坊ちゃんを返してもらうぞ!」
ヤコブがエミリオに突撃する。はあ、と呆れたような、あるいは憂うつそうなため息を漏らしてからエミリオは腰裏から出した円卓でヤコブの剣を受けた。そのまま角度をつけて弾き、短剣を振るい上げる。上体を反らしてかろうじて避けたヤコブだったが、その無理な姿勢のところで足払いをされて倒れ込んだ。スッと刃がヤコブの顎の下へ差し込まれて止まる。
「っ……」
「ヤコブくん!」
「……おじさん、弱い」
「弱いね、あのおじさん……」
「だってヤコブくんだし……」
双子に揃って弱いと言われカチンときたヤコブだったが、セオフィラスが肯定するようなことを漏らしたので肩の力が抜けてしまう。
「これじゃあ魔力を使うまでもないね……。つまらな、――っ!?」
「もらったぁ!」
いきなりエミリオが短剣を引いて頭を押さえた。その理由は分からないまでも、ヤコブはその隙を見逃さなかった。がばりと起き上がりながらエミリオに組みついて押し倒すと、右手を後ろ手に押さえつけて少年の体を地面に強く押しつける。
「動けば腕が折れるぞ……!」
「だから?」
「だ、だからって……?」
「そっちこそ――動けば燃えるよ?」
「何を強がってんだ!」
「はあ……。バカなおじさんって手に負えないよね。せめて物分かりが良ければいいのにさ」
「斜に構えやがっ――」
ちり、ちり、と空気が急速に乾燥したのをヤコブが感じると、すぐにそれが熱に変わった。
「熱っ――あ、あああっ!? 熱っち、ちいいいっ!」
「ほら、手に負えなくなっちゃった」
赤い炎がヤコブを包み上げた。地面を転がりながら火を消そうとするが、火勢は衰えない。炎に酸素を奪われる苦痛、そして直接身を焼かれる苦痛――転がり悶え叫ぶ姿にセオフィラスは見えない壁へ顔をつけた。
「ヤコブくん! ヤコブくんってば!」
苦しげにもがき転がるヤコブにセオフィラスが叫ぶ。それとほぼ同じタイミングで炎が消え、エミリオがこめかみを押さえながら右手側を向いていた。
「そっちか――」
握っていた短剣をエミリオが投げる。茂みの中で何かが壊れる物音がする。
「一度、場所さえ分かれば……あれ? 卑怯な3人目だと思ったけど、何か違う事情とかあるのかな? 出ておいでよ。大人は嫌いだけど、そうじゃなければやさしくないわけじゃないよ」
エミリオが語りかけている方をセオフィラスは覗こうとしたがどうしても見えなかった。見えない壁に邪魔されて覗き込めない。ヤコブはどうにか起き上がろうとしているようだったが、うずくまってなかなか動けずにいる。そのヤコブが、顔を上げると表情を変えた。
「きみの名前は?」
「……ゼノヴィオル」
「ゼノっ!?」
「ゼ、ノ……坊ちゃ……?」
「で……何しにきたの?」
「お兄様が、帰ってこないから……」
「……だからこそこそしながら森を抜けて、ここまで来てから僕に石ころ投げてきたの? 血が出ちゃったよ」
エミリオが額に手を当て、付着した血を見つめた。
「まあいいや……。嘘はつきたくないし、うん。いいよ。セオフィラスときみは、帰っていい。出ておいで、セオフィラス」
それまでずっと見えない壁に顔をくっつけていたセオフィラスは、いきなりその壁がなくなって前に転がり出た。そのまま慌てて向かったのはヤコブのところだ。ゼノヴィオルも茂みから出てきてヤコブのそばへ走り寄る。
「ヤコブくんっ!」
「ヤコブくん、大丈夫……? 痛そう……」
「俺は、いい……坊ちゃ……たち……ケガ……」
「ないよっ! ヤコブくん、喋っちゃダメで、えっと……カタリナが、火傷の時は耳たぶ触れって――はいっ、楽になった!?」
「お兄様……それ、あんまり意味ない……と思う」
ヤコブの火傷の患部にセオフィラスが自分の右耳を当てたがゼノヴィオルに言われて、大人しく顔を上げた。
「……ゼノは何でいるんだよ!?」
「えっ……だ、だって、お兄様が……帰ってこないから……」
「危ないだろ!」
「っ……ごめんなさい……」
ゼノヴィオルを叱ってからセオフィラスは痛々しいヤコブを見つめる。それからエミリオを振り向いた。いつの間にか投げた短剣を回収してきたようで、右手にそれをぶら下げていた。
「バイバイ、セオフィラス。ゼノヴィオルも」
「……ゼノ。何か武器」
「ぶ、武器?」
「ないなら、えっと……ヤコブくん、借りるから」
「セ、オ坊ちゃ……? そんなも……痛っ……」
ヤコブの剣を勝手に持ってから、セオフィラスはエミリオを向いた。その腕を止めるようにゼノヴィオルが引っ張る。
「お兄様っ……こ、これ、本物の剣だよ……?」
「だっていきなり来て、馬車の上から攻撃してきた。それにつまんない話聞かせるし、ヤコブくんをこんなにした。……だからやり返さないと気が済まない。ゼノはヤコブくんみてろよ」
剣をエミリオへ向けてセオフィラスが睨みつける。
「ふうん……。折角やさしくしてあげたのに。
でもそのつもりなら、いいよ? 肩ならしくらいになってくれると嬉しいんだけどね」
向かい合うセオフィラスとエミリオを見て、ゼノヴィオルは迷った。これから、止めたところでどうせセオフィラスは戦おうとしてしまう。勝ち目がない。大人のヤコブでさえ歯が立たなかったのだ。
「……僕も」
「ゼノ……?」
「僕もやる。……僕だって、お兄様と一緒に教えてもらったんだもん」
馬車の中に用意されていた短剣を取り出し、ゼノヴィオルはそれを鞘に納めたまま構えた。
「……ゼノ、鞘。入ったまま」
「い、いいの……。それに、重い方が強そう……」
真剣を向けるのは、例え相手がどれだけ強くて怖い人間でも怖かった。だから鞘に納めたままゼノヴィオルはぎゅっと柄を握り締める。
「まあいいや。でも、やる時は徹底的に、だぞ!」
「うんっ」
「かかっておいで。手加減くらいしてあげるから」
「そんなの、いるかっ!」
セオフィラスが剣を振り上げて駆け出した。身構えたエミリオだったが、ゼノがスリングで小石を放って円盾で防ぐ。顔を狙われた投石を防ぐために上げた円盾はそのまま視界を遮っていた。再び盾を下ろせばセオフィラスの姿はない。
「っ――」
「もらった!」
「上っ!?」
ジャンプしていたセオフィラスが剣を振り下ろし、エミリオはとっさに短剣で防ぐ。体重を乗せたセオフィラスの一撃を受け止めきることはできずに短剣は払われた。それでも足を下げながら避けたが、そこにゼノヴィオルが迫って剣を振るっている。側頭部に鞘つきの短剣が叩き込まれ、エミリオが転がっていく。
兄弟は無言で手をパチンと叩き合わせた。
あらかじめ打ち合わせたわけでもない即興の連携は、完全にエミリオの想定を上回っていた。
 




