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リーガを見送ってから約一ヶ月後、道場の裏でアリッサがゴミを焼いていると、表の方で声がした。
「ごめんくださーい。誰かいませんかー?」
「はーい」
返事をしてアリッサが振り返ると、見覚えのある少年がこちらに歩いて来るのが見えた。
「あら、こんにちは。ノルド君じゃない、一体どうしたの?」
「こんにちは、アリッサさん。先日は大変お世話になりました。旅の途中で、こちらの近くを通ったものですから、また立ち寄らせて頂きました」
「近くって言っても、ここはかなり人里から離れてるけれど。もしかして、また山道に迷った?」
アリッサが少しからかう様にそう言うと、ノルドは少し顔を赤くして、
「いえ、実は白状すると、再戦を申し込む為に来たんです」
「再戦?」
「この道場の子供達に、手も足も出なかったのがどうにも情けなくて。あの後、色々自分なりに修練しました。またあの子供達と、立ち合わせてはもらえないでしょうか?」
「ああ、そういう事ね。もちろんいいわよ。子供達も喜ぶと思うわ。ノルド君、人気者だから」
「ありがとうございます。ちょっと複雑な心境ですが。ところで、こちらにヴォーンさんはお戻りになられていませんか?」
「旅に出てから、まだ一度もここに戻った事はないけれど。また父が何かしでかしたの?」
「いえ、この前、懐中時計をこちらに届けた後で、僕の荷物の中に、こんな紙切れを見つけたもので」
そう言って、ノルドが背負っていたデイパックから取り出したのは、折り畳まれた小さな古い紙切れだった。
広げてみると、破り取られた様ないびつな形をしており、そこには「ミディ・フェロン」と、現大統領のフルネームが署名されている。
「ヴォーンさんの手紙の一部だと思うんですが。確かフェロン大統領ともお知り合いだった筈ですよね。懐中時計を預かった時、一緒に紛れこんだんじゃないかと思って。一応、アリッサさんにお返ししておきます」
「紙片」を受け取ったアリッサは、一瞬で全ての真相を理解した。
懐中時計の蓋の裏に貼り付けていたテープが古くなってはがれ、何かの拍子にノルド君の荷物の中に落ちたのだろう。
そう、やはり父は何も特別な事など考えていなかった。
いつもの様に、ただ面倒事を娘に押し付けていただけだったのだ。
一応、これを受け取った時にどんな反応をするか、少しは気にしていたらしいけど、何の説明も無しに、この「紙片」がどれだけ物騒な代物なのか、私に分かるかっての。
って言うか、最初から押し付けるなそんな物。
さて、どうしたものか。
もし仮に、この「紙片」を手に入れたのが、シェルシェさんの様な策士だったら、渡りに船とばかりに、有効活用する方法を、何十手先までも一瞬で思い付くことだろう。
私にそんな芸当は無理。「逃げ」の一手を考えるだけで精一杯。
だったら、その一手を実行するしかない。
「ああ、フェロン大統領から父に来た手紙なら一杯あるから、これ、そんなに大したものじゃないわよ。単なるゴミ」
アリッサは、つとめてさりげなく振舞った。
「そうでしたか。まあ、一応、念の為と言う事で」
「うん、気を使ってくれてありがとうね。ゴミを燃やしてた所だから、ちょうどいいわ」
そう言って、焚火の中にアリッサは「紙片」を落とした。
「紙片」はあっと言う間に火が燃え移ると、黒い灰となって舞い上がり、そのまま四散して宙に消えた。
証拠隠滅完了。
「じゃ、父はカリョーの街にはもういないの?」
アリッサは何事も無かったかの様に、話題を変える。
「はい、僕が戻った時には、もう宿を出て行かれた後でした。それで――」
ノルドはそれからの事を、喜々としてアリッサに報告し始めた。
アリッサは笑顔でその話に耳を傾ける。
ふと見上げれば、晴れた空に、白くたなびく雲。今日も明日もきっとのどかな日が続く。
神様、これ以上、私を面倒事に巻き込まないでください。
聞いてますか、神様。