【悲報】我が国の王女、ダリスの王子兄弟に包囲される
マクシミリアン王太子との怒濤のダンスを終え、心身ともに疲れ果てた私は、今度こそ自ら進んで目立たない「壁の花」になろうとビュッフェ台の陰へ這うように移動していた。だが、その背中に再び容赦のない声が掛けられる。
「ヴェルヴァス王女殿下。私とも一曲、お付き合いいただけますか?」
(まぢで!? まだ踊らせる気!?)
引きつりそうになる顔に必死で営業用の笑顔を貼り付け、のろのろと振り返って顔を上げると──。
「エド!」
そこに立っていたのは他でもないエドワードだった。思わずいつもの調子で名を呼んでしまった私に対し、彼は「うん?」と小さく首を傾げ、極上の王子様スマイルを浮かべてみせる。
おっと、いけない。今は王族モードの彼だったわ。
「……エドワード殿下?」
探るように、今度は慎重に呼び直してみる。
「──お願いできますか、我が君」
いつもより低く色気を帯びた声で、ダリスの大大公国の王子としての仮面を完璧に被ったエドワードに、拒否権などあるはずもない。差し伸べられたその美しい手を取ると、私は再びきらびやかなダンスの輪の中へと引き入れられていった。
流れるようなワルツの旋律に合わせ、息を合わせるように踊る二人。エドワードの完璧なリードに身を任せながら、私はここぞとばかりに小声で得意気に話しかけた。
「ふふん、エドワード殿下が散々ご心配されていた夜会ですけれど、まずは第一関門の『壁の花』を見事にクリアいたしましたでしょ? それに、心配されていたダンスだって、ご覧の通り滞りなく済ませてみせましたわ!」
鼻高々に胸を張る私を見て、エドワードは形の良い唇を優しく綻ばせた。
「……まぁ、遠目から拝見していましたが、それなりには踊れていましたね」
「それなりとは失礼ね! まぁ、あれはリラ大王国の王太子殿下の素晴らしいリードのおかげですけれど。実のところ、私は足元のステップを頭の中で数えるだけで必死でしたのよ?」
冗談めかしてペロリと小さく舌を出してみせると、なぜかエドワードの微笑みの奥の瞳が、一瞬にして不機嫌そうに細められた。
「おや。先ほどまではガゼボで『あの失礼な男』呼ばわりをしていたはずですが? 随分と評価が上がったものですね」
意地悪く、どこかトゲのある声音で問うてくるエドワード。
「だって、あのイザベラ様のお兄様ですもの。少しは見直して差し上げないと、ヴェルヴァスの名が廃るわ」
「ほう……?」
「で? ダリスの王子様は、執事の仕事を放棄してまで、何をお聞きになりたくて私を誘いましたの?」
私はヴェルヴァス王国の王女としての気位を少しだけ装い、誇らしげに顎を上げた。
「私は今、リラ大王国の王太子殿下と高度な外交官としてのお話を交わしてきたところですのよ。ダリス大王国の第三王子殿下に、安易にお教えするわけにはまいりませんわ」
そう言ってツンと澄ましてみせる。だが、ターンで彼の身体が密着した一瞬の隙を突き、その耳元でコッソリと素の声を潜ませた。
「──ねえ、これで、合格かしら……?」
不安げに上目遣いで覗き込んでくる主人の健気さに、エドワードはついに耐えかねたように、本物の、心からの柔らかな笑顔を咲かせた。
「……ええ。文句なしの、大合格ですよ」
二人はステップを踏みながら、まるで悪巧みでも成功させた子供のようにケラケラと小さく笑い合った。
曲がそろそろ終盤に差し掛かる頃、エドワードは不意に私の腰を抱く手の力を強め、真剣な声を紡いだ。
「王女、最後の見せ場でございます。どうか全身の力を抜いて、私にその身を委ねてください」
「???」
何のことかしら、とルリネットが首を傾げた、その次の瞬間だった。
いきなりエドワードの手によって腰の芯をぐっと引き寄せられたかと思うと、気づいた時には視界が天地を引っくり返るように激しく回転していた。
重力を感じさせない滑らかな動きで、私はあっという間に宙へと舞い上げられ、クルクルと華麗に回されて静地に着地した。
何が起きたのか分からず、目を白黒させている私の目の前には、これ以上ないほど爽快で勝ち誇ったような王子様スマイルを浮かべたエドワードの顔があった。
彼がクルリと私を抱き上げ、上体を起こすのを手伝ってくれた瞬間──会場からは、先ほどのマクシミリアンの時をも凌駕するほどの、割れんばかりの拍手喝采が巻き起こった。
周囲の度肝を抜くようなアクロバティックかつ完璧な大技に、私は大パニックになりながらも、本能だけで大急ぎで美しいカーテシーを披露してその場を下がった。
(……ちょっと、後で絶対に覚えておきなさいよ、エド!!)
◇
しかし、私の災難はそれだけでは終わらなかった。
この後、なんとダリス大王国の第一王子、あのフリードリヒ殿下ともダンスをする羽目になってしまったのだ。
一度ならず二度までも、他国の王女たちの前でアクロバットのような派手なダンスに付き合わされ、完全に寿命が縮まる思いをした私は、流石に学習した。音楽が始まる前に、差し出されたフリードリヒ殿下の手を掴み、必死の形相で申し出た。
「フリードリヒ殿下、お願いでございます。どうかあのような、アクロバットの結末のような派手な大技だけはお控えくださいませ! 私、これ以上やられたらそろそろボロが出ますわ!」
ほとほと疲れ果てて懇願する私を見て、フリードリヒ殿下は驚いたように一瞬瞬きをした後、フッと楽しそうに吹き出した。
「ふふ、心配しなくても大丈夫だよ、ルリネット王女。私にはエドやマクシミリアン殿下のような、ダンス中に令嬢を宙に放り投げるような破天荒な技量はないからね」
いつもの、絵本から飛び出してきたような安定の王子様スマイル。その優しい言葉に、私はようやく張り詰めていた肩の力を抜き、心底安堵した。
「本当に、助かりますわ……。エドワードも、同じ大王国だからって、何もあんなところでリラ大王国に対抗して張り合うことなんてございませんのに。私を巻き込まないでほしいものですわ」
私がステップを踏みながら不満げに愚痴を漏らすと、フリードリヒ殿下は何とも言えない苦笑いを浮かべながら、優しく私をリードした。
「……エドは、別にそこに張り合ったわけじゃないと思うけれどね?」
「え? どういうことですの?」
よく分からないフリードリヒ殿下の言葉に、私が不思議そうに首を傾げているうちに、ワルツの曲は静かに終わりを迎えた。今度ばかりはアクロバットも起きず、至って静かに、優雅にダンスが締めくくられる──はずだった。
その時。繋いでいた手を離し、お互いに一礼を下げるまさにその刹那。
フリードリヒ殿下は私の手を離さず、そのままそっと引き寄せると、私の白く小さな手の甲に、極めて自然な動作で、静かに唇を落としたのだ。
リップ音が聞こえそうなほどの至近距離で施された、吸い付くような、熱い極上の口づけ。
「……ッ!?」
あまりの出来事に、私の脳細胞は完全にフリーズした。目をパチクリとさせ、金縛りに遭ったように固まる私を見つめ、フリードリヒ殿下は悪戯っぽく、低く囁いた。
「──どうかな? 私にも、少しはドキドキしてくれたかい?」
人生で初めて経験する、異性からの熱烈な「キス」。
少女漫画や小説の世界でしか知らなかった衝撃を前に、ルリネットはもはや声一つ出すこともできず、真っ赤な顔のまま、ただただ壊れた玩具のようにコクコクと首を縦に振り続けることしかできなかった。
◇
──その甘やかな一幕を、会場の遠くから、リラ王国のマクシミリアン王太子が冷徹に目を細めてじっと見つめていた。
そして同時に、アリア王国のマリアンヌ王女をはじめとするライバル候補の王女たちもまた、嫉妬と憎悪に満ちた目でルリネットを睨みつけていたのだが……当の本人は心臓のバクバクを抑えるのに必死で、そんな周囲の「嵐の予感」など知る由もないのであった。




