【悲報】リラ大王国の王太子、ただの超絶不審者でした
心地よい風が緑を揺らすある日の午後。
ルリネットは珍しく、誰も来ない庭園の最奥にあるガゼボへと足を運んでいた。テーブルに広げているのは、普段読んでいるライトな読み物ではなく、ダリス大王国の分厚い歴史書だ。
一通り読み終えて区切りがついたところで、ルリネットはふぅと息を吐き、両手を上げて大きな伸びをした。その時、視界の端に、向こうからこちらへ歩いてくる男の姿が映る。
男の周囲には、いかにも強靭そうな護衛が五人も付き従っていた。
(……どんだけ命を狙われているのよ。ここ、一応はダリスの厳重な王宮の中なのですけれど?)
ルリネットが内心で引き気味に眺めていると、男はガゼボの階段を上がり、尊大な態度でルリネットを見下ろした。
「これはこれは、こんな辺鄙な場所に……」
(は? ……何この男。どこかで見たことがあるような、ないような。いや、気のせいかしらね)
ルリネットが小首を傾げ、不思議そうに男を見上げる。すると男は、品定めをするようにルリネットの顔をじろじろと見つめ、フンと鼻を鳴らして後ろの護衛の一人に同意を求めた。
「ほぅ。社交界に一切出てこないヴェルヴァスの隠し球と聞いていたゆえ、どれほど酷い容姿かと思っておったが……まぁ、見られないこともないな」
(はあぁぁ!? ちょっと、どんだけ失礼な男なのよ!?)
初対面の令嬢に向かって放たれたあまりの暴言に、ルリネットの脳内で何かのスイッチがパチンと入った。だが、そこはヴェルヴァス王国の第一王女。内心の怒りを完璧な笑顔の仮面で覆い隠すと、ゆっくりと立ち上がって見事なカーテシーを披露した。
「お初にお目にかかります。ヴェルヴァス王国が王女、ルリネットと申します。……申し訳ございません。私は社交に疎いもので存じ上げないのですが、貴方は一体どちら様でしょうか?」
慇懃無礼極まりないルリネットの問いかけに、男は満足そうに口元を歪めた。
「おぉ、動けばそれなりに美しいな。……私はリラ大王国王太子のマクシミリアンだ」
(リラ大王国……って、あのイザベラ様のお兄様!? 嘘でしょう、まぢで!? あの聡明な彼女のお兄様が、こんなにデリカシーのない無礼な奴だなんて信じられないわ!)
あまりの衝撃にルリネットが沈黙していると、マクシミリアンは傲慢に顎を上げた。
「ふっ、驚いて声も出んか。大国の王太子を前に緊張するのも無理はない」
そう言って浮かべた彼の笑顔は、一見整っているものの、その瞳の奥は一ミリも笑っていなかった。ルリネットはふっと微笑みを深くする。
「いいえ? リラ大王国と伺いましたので、あのイザベラ様のお兄様であらせられるのかと驚いておりましたの。……ご兄弟でも、随分と『毛色が違う』ものだと感心いたしまして。イザベラ様はそれはそれは頭のキレる、お美しい才女でいらっしゃいますから」
遠回しに「妹を見習え」と言われたことに気づき、後ろの護衛の一人がピクリと殺気を放つ。しかし、マクシミリアンは片手を上げてそれを制し、冷ややかな目でルリネットを射抜いた。
「そうか。それで姫は、ここで何をしておるのだ?」
(本を読んでいるに決まっているでしょうが。お前が邪魔さえしなければね!)
「ご覧の通り、読書をしておりますけれど」
マクシミリアンは分かりやすく肩をすくめて溜息をついた。
「そんなことは見ればわかる。私が訊いているのは、そうではなく、貴女がこのダリスの国に来て何をしているのか、ということだ。──再三、我がリラ大王国よりヴェルヴァス王国へ貴女への求婚を申し入れておったが、貴女の兄ウィリアムは『王女はまだ幼い』だの『妹に政略結婚はさせぬ』だのとほざいて断りおった。にもかかわらず、何故今、ダリスの選定儀に参加している訳を問うておるのだ」
(はあぁ!? 求婚!? ちょっと待って、誰が誰にですって!?)
初耳すぎる事実にルリネットの頭の中が真っ白になる。そんな彼女の動揺を見透かすように、マクシミリアンはさらに言葉を重ねた。
「政略結婚ならば、我がリラ大王国もこのダリス大王国も変わり映えせぬではないか。それとも貴女は、ここのフリードリヒにでもご執心なのか?」
「……っ」
「答えがないのならば、よい。ならばこんな面倒な選定儀など時間の無駄だ。我が国ならば、そのような回りくどい真似をせずとも、貴女を次期王太子妃に迎える準備がすべて整っている。──ほら、行こう」
勝手に一人で納得し、勝手に結論を出したマクシミリアンが、当然のようにルリネットへと手を伸ばす。
「……失礼ながら、マクシミリアン殿下。先ほどからおっしゃっている意味が、微塵も分かりませんわ」
「よい、今は何も分からずともいずれ全て理解できる」
マクシミリアンは一歩距離を詰めると、ルリネットの瞳を至近距離でじっと覗き込んできた。
「……ふむ。まだ、あやつらに『冒されて』はおらぬな」
「え……?」
訳のわからない不気味な言葉を呟いた直後、マクシミリアンはルリネットの細い手首を容赦なくガシッと掴んだ。
「ちょっ、ちょっと待って! 貴方、お頭がおかしいんじゃないの!? いきなり人の聖域に踏み込んできて、勝手なことばかり言い散らかして、挙句の果てに勝手に連れて帰ろうだなんて、どうかしてるわ!」
手首を振り払おうともがくルリネットに、マクシミリアンは冷酷なまでに平然と言い放った。
「何か問題でも?」
「貴方バカなの!? 大有りよ! 私は今、ダリス大王国の王太子妃選定を受けにきている身なの! そんな国際問題になるような身勝手な真似をされては困るわ!」
「だから、そのような選定など受けずとも、私が王太子妃にしてやると言っているのだ。理解力の足りん女だな」
「はあぁぁ~~~!? 何も貴方にしてもらわなくても結構だわ!そもそも我がヴェルヴァス王国は、ご存知の通りどこの国の支配下にも入っておりませんの!ましてや、誰かに強要される政略結婚なんて、死んでもお断りよ!」
マクシミリアンに対する度重なる不敬と暴言に、周囲の五人の護衛たちが一斉に殺気を放ち、前のめりになる。
ガゼボが一触即発の緊迫感に包まれた──その時。
「──王女殿下! ルリネット王女殿下!!」
遠くから、普段の冷静さを完全にかなぐり捨てたエドワードの声が響き渡り、彼がこちらに向かって猛スピードで走ってくるのが見えた。
ダリスの第三王子であり、現在は執事として控えている男の介入を察したマクシミリアンは、ちっと忌々しそうに舌を打つと、掴んでいたルリネットの手首を乱暴に離した。
「……フン、邪魔が入ったか。今回はここまでとしよう」
マクシミリアンは冷徹な一瞥をルリネットに残すと、振り返り、護衛を引き連れて何事もなかったかのように王宮の奥へと戻っていくのだった。




