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再編の針と失われた縁  作者: 神田長十郎
第四章 動き出す針と影
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第七十八話 弟

グウェンが資料室を出てから、妙に落ち着かなかった。

書類整理を続けながらも、紡の意識はどこかグウェンの言葉に引っ張られていた。


――“縁の様子を見たい”


あの時のグウェンの声は、やはりどこか急いでいるように聞こえた。

そんなことを考えていると、ふと鈴木に声をかけられた。


「天野君、そろそろ時間じゃない?」

その声に考え事から意識が引き戻され、

慌てて時計を確認すると、時計の針が約束の時間を指していた。


「ホントですね。じゃあ、すみませんが少し行ってきます」

紡が残った書類を見つつ、申し訳なさそうに席を立つと、

3人は気にしないでと手を振って見送った。


資料室を出ると、

紡は深呼吸をひとつしてから、執務室へ向かった。


廊下は静かで、足音だけが響く。

だが、執務室の前に近づくにつれ――


中から、押し殺したような怒鳴り声が聞こえてきた。

思わず部屋の前で立ち止まる。


ふぅ、と息を落ち着かせ。

ノックをしようと扉に手を近づけた時、

一段と大きな怒鳴り声が聞こえた。


「だから、平気だって言ってるだろ!」


グウェンの声だ。


紡はそっと手を下ろし、耳をすませた。


「僕にまで隠す必要がどこにあるんですか?

大体あの夜会は、叔父上が兄上のために用意したんですよ!」


扉の向こうから聞こえる声は、間違いなくグウェンと――

会話から察するに、弟のスヴェンだった。


入るタイミングを逃した紡は、

そっと扉を開け、隙間から中をのぞいた。


――

中では、グウェンが執務机の椅子に深く座り、腕を組んでいた。

その前には、グウェンとよく似た髪色の青年――スヴェンが立っていた。


(やっぱり……グウェンさん……雰囲気が全然違う……

酒場で見た時の状態になってる……?

それに……ネロもフィーロもいない?二人だけなのか?)


紡が状況を整理していると、

グウェンの深いため息が聞こえた。


「俺のためって……また婚約者を探せって言うんだろ。

……はぁ、余計なお世話だと何度言ったら……」


こめかみに手を当て、グウェンは続けた。

「叔父上には改めて言っておいてくれ。

俺は結婚して後継者を作る気はさらさらないって」


その言葉に、スヴェンはバンと机を叩き、叫んだ。


「何言ってるんですか?!

兄上は当主なんですよ?後継者は必要です!」


グウェンは何度目かのため息をつくと、

言い聞かせるように落ち着いた声で返した。


「いらないって。俺には必要ないんだ。

後継者なんかいなくてもお前がいるだろ。

何度言われようと、俺は結婚はしない。次期当主はお前にする」


スヴェンは怒りで震える声で迫る。

「だから! なんでですか! ちゃんと説明してください!」


グウェンは面倒くさそうに顔を背け、

冷たく言い放った。

「しつこいな。だから結婚するつもりはないからだと言っているだろう」


スヴェンは何か言い返そうとして――

ふと、言葉を飲み込み、深呼吸した。


そして、おずおずと口を開く。


「兄上……そこまで頑なになるのは……

まだルカのことを気にされているからですか」


ルカ――


聞き慣れない名前が出た瞬間、

グウェンの表情が激変した。


机を激しく叩き、勢いよく立ち上がる。


スヴェンの襟を乱暴につかみ、

怒りを隠す余裕もなく低く唸るように言った。


「黙れよ……スヴェン。

お前さぁ……しつこいんだよ……

次期当主にお前を指名してやるって言ってるのに、何の文句があるんだ?」


スヴェンも一歩も引かず、睨み返す。


「兄上こそ、しつこいですよ。

僕は当主になりたいわけじゃないって言ってるでしょうが」


二人の空気は、扉越しでもわかるほど危険なほど張りつめていた。


紡はどうしていいかわからず、

扉の前で立ち尽くすくしていると――


「おい、そこをどけ」

背後から低い声がした。


振り返ると、ネロがティーセットを乗せた銀のプレートを持って立っていた。

無表情だが、目だけがわずかに細められている。


その視線は紡ではなく、扉の向こうの二人に向けられていた。


すぐに紡に目線を戻したかと思うと、

ネロは顎で下がるよう促し、

紡が数歩離れると、静かに扉の前へ進んだ。


「グウェン様。お茶をお持ちしました。

それと、アマノが来ております」


その一言で、室内の怒声がぴたりと止まった。


数秒の沈黙のあと――


「……入ってくれ」

低く、押し殺したようなグウェンの声が返ってきた。


ネロが紡に小さく頷く。

紡は緊張で喉を鳴らしながら、

両手がふさがっているネロの代わりにゆっくりと扉を開けた。


執務室に入った瞬間、

空気が重く張りつめているのがわかった。


グウェンは席に座り、

スヴェンはソファに移動し、腕を組んで座っていた。


ネロに続いて入ると、

スヴェンの鋭い視線が紡を射抜いた。


「……誰です?」


その声音は冷たく、怒りの余韻がまだ残っていた。


紡は思わず背筋を伸ばした。

グウェンが慌てて間に入る。


「スヴェン、彼がアマノ君。

例の“縁”を持っている異世界人だよ。

前に話しただろう?」


「……あぁ、あの」


スヴェンは紡を上から下までじろりと見た。

その視線は、まるで品定めをするように冷たかった。


「……ふん」


短く鼻を鳴らすと、スヴェンは視線をそらし、

ソファに深く座り直した。

その態度には、まだ怒りの余韻が残っているようだった。


グウェンは苦笑しながら紡に向き直る。


「ごめんね、アマノ君。ちょっと……いろいろあってね気にしないでくれ」

「い、いえ……」


紡は緊張で手のひらが汗ばんでいるのを感じた。


グウェンは深呼吸をひとつして、

紡の前に手を差し出した。


「じゃあ、さっそく始めようか」


その声は穏やかだったが、

どこか無理に落ち着こうとしているようにも聞こえた。


紡はそっと手を差し出す。

グウェンの指先が触れた瞬間――

空気が、わずかに震えた。


グウェンの表情が、ふっと変わる。

眉がわずかに寄り、目の奥に鋭い光が宿った。


「……これは……」

低く、押し殺した声。


紡は息を呑んだ。

スヴェンも、興味を引かれたのか顔を上げる。


「兄上、どうかされたんですか?」


グウェンは紡の手を離さず、

じっと“縁”の気配を探るように目を閉じた。


その横顔は、先ほどまでの怒りも苛立ちも消え、

ただひたすらに“何か”を確かめようとする真剣さだけがあった。


数秒――

いや、紡にはもっと長く感じられた。


やがて、グウェンはゆっくりと目を開けた。

その瞳には、驚きと……わずかな恐れが混じっていた。


「……アマノ君」

「は、はい」


「君……いつ……どこで”エルド”と会った?」

その名を口にした瞬間、

グウェンの声は震えていた。


紡は思わず目を瞬かせた。


「え……? エルド……さん、ですか?

い、いえ……会ったことなんて……」


身に覚えのない名前に戸惑いながら答えると、

グウェンの指が、紡の手をさらに強く握りしめた。


「っ……!」


痛みに紡が顔をしかめると、

横からスヴェンが素早く手を伸ばし、

グウェンの手首を掴んで制した。


「兄上、落ち着いてください!」


グウェンはハッとしたように紡の手を離し、

深く息を吐いた。


「あっ……すまない。痛かっただろう」


「い、いえ……」


紡が手を引き寄せると、

グウェンはその手を見つめたまま、

何かを必死に考えているようだった。


そして――

震える声で、もう一度問いかけた。


「アマノ君……“本当に”エルドという男に会っていないんだね?」


「はい……知らないです。

その……誰なんですか? エルドって……」


紡が恐る恐る尋ねると、

グウェンは口元を押さえ、ほんの一瞬だけ視線をそらした。


その横顔は、怯えているようにも、

どこか嬉しそうにも見えた。


「まだ……会っていないのであれば……

そうか……やっと……アイツを――」


言いかけたところで、

グウェンは自分の言葉に気づいたように口をつぐんだ。


スヴェンが苛立ちを隠せず声を上げる。


「兄上! はっきり言ってください。

エルドがどうしたっていうんです?」


グウェンはスヴェンを見た。

その瞳には、怒りでも苛立ちでもない――

もっと深く、もっと重い感情が宿っていた。


「スヴェン……

やっとエルドを見つけられるかもしれない」


そう告げたグウェンの表情は、

喜びとも、悲しみとも、狂気とも取れる――

不気味な笑みだった。


スヴェンは息を呑む。


「兄上……?……まさか……」


グウェンは答えなかった。

ただ、紡の“縁”を見つめ続けていた。


その視線は、まるで――

紡の背後に“何か”を見ているかのようだった。


紡の背筋に、ぞくりと冷たいものが走る。


その瞬間。


コン、コン。

控えめなノックが扉を叩いた。


ネロが振り返る。

「……誰だ?」


扉の向こうから、震えるような声が返ってきた。

「し、失礼します……

至急、グウェン様にお伝えしたいことが……!」


事務職員の声だ。

ただならぬ緊張が滲んでいる。


グウェンは眉をひそめ、

紡とスヴェンを交互に見た。


「……続きは後だ。入ってくれ」


扉が開く。


そして――

職員の口から告げられた言葉は、

この場の空気を一変させた。


「“無輝の徒(セヴァランス・リング)”の拠点らしき場所が……

見つかったとの報告が……!」


執務室の空気が、凍りついた。


グウェンの瞳が、鋭く細められる。

スヴェンは立ち上がり、拳を握りしめた。


紡は――

胸の奥がざわつくのを止められなかった。


まるで、

“何か大きなもの”が動き出したような――

そんな予感がした。

閲覧いただきありがとうございます。


この章では物語が大きく動くような内容にしていく予定です。

よろしければ引き続きお付き合いいただければ幸いです

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