24. 2人で一緒に
「ここ……」
通りがかった廊下の一角。
セラフィーナが思わず呟いたのは、セラフィーナを抱いたまま移動するアルバートが、そこで歩みを止めたから。
学園祭、と考えるとそれらしい物は何一つなく、皆がただ通り過ぎて行くだろう場所。
けれども、見上げると、セラフィーナにとってはいろんな記憶が蘇る場所だった。
『あれだけ勉強ばかりしておきながら、成績はたいしたことはないんだな』
アルバートからはそんな一言もかけられたこともあった、いつも成績が貼り出される場所だった。
「やっぱり、覚えてる?」
「ええ、まぁ……」
当時も、こうして成績を見上げたものだった。
今は何も貼り出されていないのに、同様に見上げるとそこに自身の成績やアルバートの成績が貼り出されているような錯覚を覚える。
いつも自身の名前より下にアルバートの名前がないことを確認しては、ほっとしていた場所だった。
「はじめてここに成績見に来た時、僕が最初に探したのはセラフィーナの名前だったんだよ」
目を見開いたセラフィーナに、アルバートはおかしいよねと言って笑いかける。
その後、遠い記憶を手繰り寄せるように、アルバート成績が貼り出されていた壁へと視線を移した。
「セラフィーナは成績優秀だったし、絶対に1位だろうって思ってた」
それを確認して、やっぱり、さすがだ、とアルバートはまるで自分のことのように喜ぶつもりだった。
「その先は、君もわかってると思うけど、一番上に君の名前はなかったんだ」
「そう、ですね」
「それでも、上の方にはあるだろうって上から確認して、でも、先に見つけたのは僕の名前だった」
「そう……ですね……」
当然である。
セラフィーナはそうなるように、努力したのだから。
「最初はただ驚いて、もしかして試験の時、体調が悪かったんじゃないかと心配もした。でも、すぐに君も成績を見に来たんだ」
そう言うと、アルバートはふたたびセラフィーナへ視線を戻した。
「あの時、どんな顔してたか、知ってる?」
「え……?」
「あれだけ勉強してるのに1位じゃなくて、残念がるかと思ったのに、心底ほっとしたような表情をしてた」
「あ……」
そう言われれば、いつもそうだったかもしれない、とセラフィーナは思った。
毎回、自身の名前がアルバートよりも下にあることを確認して、安堵していたのだから。
「その時、気づいちゃったんだ。君はきっと、わざと僕より下の成績になるようにしたんだって」
「あ、あの、それは……っ」
まさか本人に気づかれているだなんて思っていなかったセラフィーナは、今さらながらに慌てふためく。
だが、アルバートは怒っている様子はなく、変わらずセラフィーナに笑いかけている。
「だから、僕もセラフィーナを困らせようと思って、ちょっと成績を下げたりしてみたんだけど、なかなか上手くいかなくてさ」
当時のアルバートは、自分のために本気を出さないセラフィーナが恨めしくて、ちょっと意地悪をしたくなったのだ。
セラフィーナが自身の成績を上回れば、きっと慌てふためくだろう。
そうして少し困らせてやるくらいいいだろう、と思っていたが、結局それが最後まで成功することはなかった。
いっそ全て白紙で提出して最下位を取ればなんて考えも少しは浮かんだけれど、さすがに王太子という立場を考えると下げられる範囲も限界があった。
(やっぱり、あれは、わざと、だったの……?)
セラフィーナは目に見えてアルバートが勉強しなくなった、とは思わなかった。
それなのに、成績は目に見えて落ちていくことに、当時少しだけ違和感を感じていたのだ。
下がり方もがくんと大きく下がることはなく、少しずつ緩やかに下がっていった。
そのため、セラフィーナが次の成績を予想しやすかったという反面もあり、結果的にアルバートの成績を上回ることはなかったのである。
「思うようにいかないのが腹立たしくて、ここで酷いことも言ったよね……」
いっそ、怒らせてみれば、もしかしたらこんなこと辞める気になるかもしれない。
アルバートの一言は、そんな考えから飛び出したものだった。
けれど、その言葉を放った瞬間、困ったような表情で俯くセラフィーナを見て、すぐに間違えたと思った。
それなのに、アルバートはその時、セラフィーナに謝罪することができなかった。
「悪いって思う気持ちはあったんだ。でも、セラフィーナも悪いって自分に言い訳して、あの時の僕は謝ろうとはしなかった」
「仰る通りです、わたくしだって……っ」
「母上のせい、だったんでしょ?」
「えっ?」
なぜ、知っているんだ、そんな視線が向けられて、アルバートは苦笑した。
「母上が君に言ってたんだよね。情けないことに、あの時の僕はそんなことも知らなかったんだ」
「で、では、いつから……」
「恥ずかしながら、知ったのは、アカデミーを卒業する直前だった」
「そう、だったんですね」
きっと、その時のアルバートは非常に驚いたのだろう。
セラフィーナの中に最初に浮かんだのは、そんな感情だった。
不思議と当時のアルバートに対する怒りや悲しみ、なんていう負の感情は出てこなかった。
「ずっと、ずっと、気づかなくてごめん」
セラフィーナは、驚いたようにアルバートを見上げた。
それは、決して、謝罪に驚いたわけではない。
(震えて、いらっしゃる……?)
わずかだけれど、抱かれている腕を通して震えがセラフィーナに伝わってきたからだ。
「今回は絶対、そんなことさせないって、約束するから」
そう言ったアルバートの声もまた、震えているように感じられた。
(すごく、力が入っている気がするわ)
セラフィーナを抱く腕の力には、あまり変化は感じていない。
痛みを感じるほど、強く抱きしめられているわけではない。
けれど、アルバートの震える腕と強い意志を感じる瞳が、セラフィーナにそう感じさせた。
同時に、セラフィーナの中に少し前のある光景が思い浮かぶ。
中身は成人済みだったというのに、上手く喋ることができなかったこと。
そして、かつては嫌と言うほど練習したはずだったのに、小さな身体では上手く踊ることができなかったこと。
(わたくしも、力が入りすぎていたんだわ)
そう思うからこそ、今のままのアルバートでは上手くいかないような気がした。
「一緒に、やりましょう」
「え?」
「今回は、2人で協力しましょう?」
震えるアルバートの腕に手を添え、セラフィーナはね?と微笑んだ。
アルバートは、ただ驚いたようにセラフィーナを凝視している。
そんなアルバートを見て、セラフィーナはくすりと笑みを漏らした。
「それに、今回はきっと、そんなことは起きませんよ。だって、わたくしたち、同じ学年にはなれませんもの」
「僕が言いたいのは、そういうことじゃなくて……っ」
アルバートとセラフィーナは、今では10歳の年齢差があり、共にアカデミーに通うこともできなければ、成績を競うことはできない。
だから、王妃がセラフィーナに対して、アルバートの成績を上回らないように言うことは、まず考えられないだろう。
だが、アルバートが止めたいのは、それだけではないのだ。
他にも、セラフィーナに辛く当たることが多々あったことを、アルバートは知っている。
その全てを、今回はなくしたかった。
「わかっていますよ」
そう言うと、セラフィーナは降ろしてほしい、と訴えるようにアルバートの腕をとんとんと軽く叩く。
すると、アルバートは察してくれたようで、セラフィーナを優しく床へと降ろしてくれた。
「でも、せっかくなら、ここからはじめませんか?」
「え?」
「わたくしも、いずれ、アカデミーに通うことになります。その時はわざと成績を落としたりせず、全力を出すと誓いますわ」
今度は何を言われようと、正々堂々と1位を取ってみせよう。
セラフィーナは、この場でそう心に誓った。
本当は、1度くらい1位を取ってみたかった、そんな思いもあったから。
「だから、殿下も今回は1番を取ってください。そうすれば、この先何があっても、きっと王妃様も安心なはずです」
王妃がおかしくなってしまったのは、様々な不安が重なったからこそだろう。
その不安が1つなくなるだけでも、王妃が以前のようになってしまうことを、少しは防げるかもしれない。
なんといっても、今の王妃は、セラフィーナにとても好意的に接してくれているのだから。
「そっか。そうだよね。2回目なんだし、それくらいは、頑張らないといけないよね」
アルバートとしては、それほど勉強に自信があるわけではない。
けれど、他の生徒と違って2度目だという、アドバンテージもある。
「うん。まずはそこから、頑張ってみるよ」
「わからないことがあれば、仰ってください。いつでも、お力になりますわ」
「うーん……今のセフィに教わるのは、ちょっと嫌かなぁ……」
中身は同じ年齢だと理解している。
自身よりもずっと優秀であることも理解している。
それでも見た目は幼い今のセラフィーナに勉強を教わるというのは、アルバートにとって想像すらしたくないことだった。
「ふふっ」
アルバートのものすごく嫌そうな表情、それがセラフィーナの笑いを誘い、セラフィーナは笑うことを止められなくなった。
「もう、そんなに笑うことないだろ?」
不満気にそう言ったアルバートもまた、おかしそうに笑っている。
そうして二人で笑っていると、セラフィーナはこの先何があったとしても、2人でならなんとかできそうな気がした。




