後編
――十年後――
「あっ、恵子ちゃん、久しぶり!」
駅前の時計台の下で、祥子が大きく手をふりました。
「祥子? わっ、なんか見違えたわね、中学校以来だけど、もうすっかり大人って感じじゃん」
「そっか、恵子ちゃんと高校違ったもんね。でもそりゃそうだよ、中学校のときから変わってなかったら大変じゃない」
「でも、祥子ってほら、特に小学校のときとか、いつもボーッとしてるイメージあったからさ、ちょっとびっくりしちゃって」
「もう、恵子ちゃんったら」
二人はアハハと笑い合いました。
「さ、それじゃあ行こ。時間ギリギリになりそうじゃん」
「恵子ちゃんが遅れてくるからだよ。もう、ちゃんと時間守らないと」
「へいへい、わかってるわよ。愛しの江田ちゃん先生に会いたいのはわかるけど、残業で大変だったんだから」
恵子は高校卒業後、短大で保育士の勉強をして、去年晴れて保育士デビューした、先輩の社会人なのでした。祥子は「もう」とすねたようにそっぽを向きました。
「……ところで、恵子ちゃんはちゃんと先生の宿題持ってきた?」
「えっ、宿題? なにそれ?」
「あきれた、忘れちゃったの? 先生、小学校の卒業式のときに言ってたじゃんか。白紙の問題用紙に、問題と答えを書いて持ってくるようにって」
「あぁ、そういえばそんなことあったわね。大丈夫、問題も答えも、あたしの心の中にあるわ」
「なによそれ……。そんなんじゃごまかされないからね」
ぷくっとふくれる祥子でしたが、すぐにえへへとほほえみます。
「でも、楽しみ。答え合わせするのも、それに答えを提出するのも」
「じゃあホントに持ってきたわけ? まったく、律儀なやつねぇ」
「当たり前じゃん。……っていっても、あの白紙の問題用紙は、まだちゃんと家にとってあるんだけどね」
「えー、あたしなんか中学に入ったらどっか行っちゃってたわ。ホント、愛の力は偉大ね」
「そうね……」
否定しない祥子を、恵子はいぶかしげに見ていました。やがて、二人は待ち合わせの居酒屋にたどり着きました。
「こうして小学校のクラスメイトたちとお酒飲めるなんて、小学校のときは想像もしてなかったわよね」
「うん。それにみんなとまた会えるのも、すごくうれしいわ。江田先生とも……」
「ほらほら、感慨にふけってないで、早く入りましょう。江田先生の一番弟子と二番弟子、恵子と祥子のご到着よー!」
居酒屋には、先に来ていたクラスメイトたちがパチパチと拍手で迎えてくれます。そしてその中には、もちろん――
――江田先生だ――
「ほら、祥子は江田先生のとなりでしょ。みんなちゃんと席取っておいてくれたんだから、えんりょなくすわっちゃいなさい」
小学生のときと全く変わらず、面白そうにちゃかす恵子を、祥子は懐かしい気持ちで見ていましたが、やがてそっと江田先生のとなりにすわりました。
「久しぶりだね、祥子。元気そうでよかったよ」
「江田先生こそ、お変わりなくてよかったです」
祥子のとなりに恵子もすわって、祥子をひじでぐいぐい押します。
「ほらほら、そんなかたっ苦しいあいさつじゃないでしょ、小学生じゃないんだし、もうコクッちゃいなさいよ」
「もう、恵子ちゃんこそ小学生のノリじゃないの」
あきれながらも、祥子はうれしそうに江田先生の横顔を見つめました。
――先生、あのときと変わってないわ――
髪こそ少し白髪が混じっているように見えましたが、それでもその優しく、包みこむような笑顔は、十年前と全く変わっていませんでした。その笑顔に救われ、こうして今があるのです。祥子はこれ以上恵子にからかわれないように、すばやく目じりを指でぬぐいました。
「アハハ、そうか、恵子はさっそく子供たちからの洗礼を受けたのか」
「もうっ、笑いごとじゃないのよ、江田ちゃん先生! 若い先生がめずらしいのか知らないけど、みんな寄ってたかって遊んで遊んでって引っぱるんだもん。それにみんな体力ありすぎよ! いくら遊んでも全然遊び疲れないし、もう目が回っちゃってさ」
お酒が入って、みんなすでに、思い思いの席に移動して昔話に、もしくは今の生活の話に花を咲かせています。そんな中、恵子と祥子はずっと江田先生といっしょに話をしているのでした。
「……江田先生、先生、卒業式の日に、わたしたちに出した宿題のこと、覚えていますか?」
恵子がしゃべりつかれてうとうとし始めたころに、ようやく祥子は江田先生にたずねました。江田先生も少し赤ら顔になっていましたが、しっかり祥子の目を見てうなずきました。
「覚えているよ。……祥子は、問題を、そして答えを見つけられたかな?」
「答えは……まだ見つかっていません。でも、わたし、あの卒業式から、ずっと問題を探してきました。中学校、高校、大学って、大変なこともあったけれど、本当に先生がいったように宝島でした。……そしてわたし、やっとで問題を見つけたの」
祥子はバッグをごそごそとあさっていましたが、やがて一枚の紙を取り出したのです。
「小学校の、教員免許状だな」
「はい。わたし、先生みたいな教師になりたくて、ずっと勉強してきたんです。でも、それは答えではなかったんだなって、免許をもらったときに気づいたの。先生は、教師になってからも、ずっと悩みながら、それでもわたしたちに向かい合ってくれた。そして今も、問題を解いているんだなって、わたしわかったの。……だから、答えはまだ見つかっていないわ。でも、問題は見つかったから、わたし、その問題を解くために、一生を使おうと思うの」
「祥子……」
「わたしのように、笑顔をなくした子供たちはたくさんいると思う。わたしはその子たちのために、なにができるかずっと考えて、よりそってあげたいの。先生がわたしにそうしてくれたように。……だからわたしの問題は、免許を取って、小学校で先生をすることなの。答えはそこで見つけようと思います。……そのときは、先生、もう一度わたしと会ってくれますか?」
祥子の大きな目が、江田先生の温かい目を映しました。江田先生はしっかりとうなずき、笑いました。
「祥子が笑顔を見つけたように、きっと答えも見つかるさ。そのときは、答え合わせをしよう。……先生は、ずっと待っているよ」
祥子の目じりから、温かな涙がこぼれました。祥子は江田先生に見つけてもらった、とびっきりの笑顔を見せてうなずきました。
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