エピローグ
目が覚めて数秒は茫然としていたが、すぐに「芽衣子!」と叫びながらベッドを飛びだし、階段を転げるように降りる。
「芽衣子! 芽衣子はどこだ!」
私が叫ぶと、朝からうるさいわね、と母の声がした。洗濯籠を抱え、不機嫌な顔をしている。
「芽衣子はどこだっ!」
「学校にいったわよ」
「学校? 中学校か?」
「そうよ」
「なぜ、中学に⁉」
母は壁に掛けてあるカレンダーに目をやった。
「今日は夏休みの登校日なんだってさ」
「夏休みの登校日……。だから中学にいったというのか?」
「そうよ」
「中学生の登校日だぞ。それに行ったのか!」
「だから、そうよ! 何度いわせるの!」
いらだたしく母は答え、洗濯籠を持って洗面所に消えた。
いったいなにが……。まさか、タイムマシーンが……。
そうだ、それしかない。あの日に戻ってきたのだ! まずはなにをすればいい? いや、特になにもしなくていい。
芽衣子の鼻にピーナッツは入れない。ただ、それだけでいいのだ。
まて、美姫だ! 今は美姫の兄弟たちと戦う戦力がない。芽衣子はただの中学生で、ミオリさんもシグゥアさんもいない。
くそっ、逃げるしかないのか! いや、それでいい。あのときもそう決めて、美姫とともに家を出たではないか。それと同じことだ。
違う……。同じではない。
あのときの芽衣子はアルキアスを救った英雄で、しかも年上になっていたが、今の芽衣子は甘ったれで一回りも下の一三歳だ。その芽衣子を置き去りにして、逃げ回ることになるのか……。
不意に玄関扉が開く音がした。そして、うー、と泣くようなため息が聞こえる。リビングにいる私から声の主は見えないが、間違いなく芽衣子の声だ。
ついに、あの芽衣子に会える。数歩進んで、リビングの扉を開けるだけで……。
それなのに私は、時間が止まったかのように動けなくなった。緊張しているからだろうか……。
磨りガラスの向こうに、セーラー服が見えた。いよいよだ。長く深く、息を吐いた。
扉が開く。セーラー服を着た芽衣子が立っている。……言葉がでなかった。
いつの間にか隣に母がいて、「で、どうだったの?」と早口でいう。
「途中で引き返した……。なんか、すれ違う人が……変な目で見てきたから……」
「あたりまえじゃない! 二七にもなってセーラー服なんて着て……。身長もそうだけど、胸も尻も昔の大きさじゃないのよ! 胸はパンパンだし、スカートも尻を隠すのがやっとじゃない! いやらしいビデオじゃないんだから、そんな恥ずかしい格好で近所をうろつかないでくれる!」
「うるさい……」
芽衣子はうつむき、ぼそりとつぶやく。母は聞き流すことはせず、反抗的な態度にでた娘を睨みながらいった。
「うるさい、じゃないわよ! 何が、『私は若くて童顔だから中学生でも通用するかも』よ。バカなの!? そんなわけ、ないじゃない。だいたいね、私が二七のときにはすでに一児の母よ。それなのにあんたときたら、どこまでバカなの! ほんと、恥ずかしいわ!」
「うるさいっ!」
芽衣子は顔をあげて怒鳴り、母を睨み返してから階段をあがっていった。母は大きな舌打ちを落とし、吐き捨てるようにいった。
「夏休み最初の登校日で大人になって、最後の登校日で恥をさらす。おつむは中学のままね、芽衣子は」
やはり、タイムマシーンなんてものはなかった……。私は大きく息を吐いてから、リビングに座った。
何も考えたくない……。
テレビを眺めながら、タバコを吹かす。やがて、母はパートに出かけたようだ。雑音はテレビだけになった。
何本タバコを吸ったのだろうか? 一〇時頃に二階から降りてきたのは、ミオリさんだ。
やっぱりいたか、とぼやくようにいうも、ミオリさんの右腕がないことに気づき、タバコを落としかけた。
「ミオリさん、どうしたんだ!」いいながら、私自身の腕はなくなったはずであることを、思いだす。
なるほど、そうか。
私はタバコをはさむ右手を見た。いまさら気づいたが、実に白くて綺麗な指だ。記憶に残る自分の指ではない。
左手も綺麗なものに変わっていた。右とは違って白すぎはしないが、強くてしなやかな腕だ。
「おはようございますぅ、お兄さまぁ」ミオリさんはちょこんと、隣に座った。「タバコ、臭いですぅ」
たしかに、ニコチンはもう充分だ。火をつけたばかりのタバコを灰皿に押しつけた。
「この右腕は」といいかけるも、玄関が開く音がした。
リビングに入ってきたのはジンだ。その後ろにはセーラー服のシグゥアさんがいた。芽衣子とは違ってセーラー服がよく似合っているが、どうしても存在しない左手に目がいった。
さらに遅れてリビングに入ってきたのは、小学校の制服をきた少女、ニ〇九代目のオニヅカミキだった。
「あれからどうなったか、説明してくれ」
私はジンに視線をやる。
「ええ、もちろん」
ジンはいいながら、ネクタイを緩めた。
両腕を失いながらも辛うじて生きている私を抱え、芽衣子は始まりの草原に戻った。少女に顛末を説明する暇もなく、すぐに地球へと飛ぶ。
次の日の夜に私は目覚めたのだが、再び芽衣子の魔法で眠ってしまった。そして、芽衣子がアルキアスに旅立つと決めた明朝に、この家を訪れたのがニ〇九代目のオニヅカミキ。今、目の前にいる少女だ。
少女が、宿敵の討伐を知ったのはニ〇〇日ほどあと、帰郷した反乱軍からの吉報だった。
そして少女は、美姫が残した最後の遺言を決行する。
『もし、ヨウスケが世界を救ってくれたら、その時代の王はこの世界を離れてでも恩を返すように』
芽衣子は渋ったが、結局、少女もアルキアスへ連れ立つことになった。
いざ同行させてみると、鬼の王の力はパイントルタを破壊するにはうってつけだった。
それは、人を操る三本目のツノだ。少女はイコウル皇帝を操り、パイントルタを解体せよ、との勅令をだしたのだ。
それはすぐに施行され、パイントルタはバラバラになった。そして、コアと呼ぶべきバスケットボールほどのアルミニウムの塊が、芽衣子に返された。
それを持ち、芽衣子は日本に帰ってきた。直後にイコウル皇帝は古代門を破壊したはずだ。少女の三本目のツノで、そのように仕向けていたのだ。
実際、例の神社で呪文を唱えてみても、アルキアスに飛ばされなかったとのことだ。
これで、アルキアスからパイントルタは永久に消失したことになる。同じく、芽衣子も……。
「それって、みんな……アルキアスには戻れないってことだよな?」
私が問うと、いの一番に答えたのはシグゥアさんだ。
「私は、いついかなるときでも、メーコ様のそばにいます」
その答えは予想の範疇だ。次に私はジンを見た。
「いたらいたで、私は役に立ちますよ。ほら、今だって」
ジンは、シグゥアさんと少女を紹介するように、手を広げた。シグゥアさんはセーラー服。少女は、私も通った小学校の制服だった。
「二人とも、学校に行くのだな」
「ええ。夏休み明けから」
「それは、いいことだ」
「どうです。役に立つでしょ」
「アンタが有能なのは認めるが、俺が訊きたいのはそうじゃない。アンタ自身は、アルキアスにもう未練がないのか?」
ジンがなにかいいかけたが、ミオリさんが割り込んだ。
「ジン君がアルキアスにいると、危ないですぅ。眠らせてこっちに連れて来ましたぁ。だって、酷いのですよ。ジン君ったら、アルミニウムを持ち帰って、あの悪魔の兵器を増やそうとしたんですよぉ」
悪魔の称号はミオリさんにこそ相応しいと思うのだが、もちろんそんな指摘はしなかった。
「ミオリさんこそ、よかったのかい? もう、アルキアスには帰れないのに……」
「いいのですよぉ。だって、私はお兄様と、結婚するのですからぁ」
この人はなにがどこまで本気なのだろうか? 理解不能だ。
拒絶して殺されてはたまらないので、否定も肯定もせず、笑顔で応じておいた。ずいぶんと苦いものになっていたかもしれないが……。
次に少女を見た。
「えーと、ミキちゃん、と呼んでもいいかな?」
「もちろんです」と、ミキが答える。
「ミキちゃんもよかったのかい? 今から戻っても、すでに何千年と経っている。もう、お母さんや仲間とは会えない」
「別れはすませました。それよりも、私たちを救っていただき、ありがとうございました」
カタコトではなく流暢な日本語でミキはいい、深く頭を下げた。
「こちらこそ、ありがとう。ミキちゃんのおかげで、芽衣子は死なずにすんだ」
私もお辞儀で返した。心から感謝したい。そうだ。感謝を述べるべき相手は他にもいた。
「今さらだが、まだ、ミオリさんとシグゥアさんにもお礼をいってなかった。俺の腕は二人のなのだろ」
「そーですよぉ」
「二人の心遣いには感謝するよ。でも、受け取れないよ。俺の都合でしたことだから」
シグゥアが首をふる。
「いいえお兄様、是非ともお使いください。お兄様の腕の代償があってこそ、オニヅカ様の助力でメーコ様は救われたのですから」
私が答えあぐねていると、品のない騒がしさで階段を下りる音がした。
リビングの扉を騒々しく開けたのは、やはり芽衣子だ。母の説経などおかまいなしに、未だにセーラー服を着ている。
「なに? 今、なんの話?」
「陽介君の腕の話です」
ジンがいった。
そうそうと、頷いてから、芽衣子は私を指差した。
「感謝しなさいよ! その腕はミオリとシグゥアのよ。必要ないって私がいってるのに、二人がどうしてもって」
その腕を返そうという話をしていたのに、余計なちゃちゃを入れやがって……。
芽衣子など無視して、私は隻腕の二人に向き直った。
「ミオリさんとシグゥアさん、ありがとう。でも、やっぱりこの腕は……」
「ありがとうで、すますつもり! 感謝が足りてないんじゃないの!?」
芽衣子が割り込んできた。
「うるせぇな!」
「なによ、その態度! いっとくけど、巫女や騎士の腕には特別な意味があるのよ! 陽介には分に過ぎる贈り物なんだからね!」
「だからその心遣いには感謝の想いを伝えた。それにこの腕はどのみち……」
「口先だけならなんとでもいえるわ! 土下座して、ありがとうございます、っていいなさいよ。ほら、早く!」
さすがに、カチンときた。
「うるせー、話が進まないから芽衣子はだまってろ! だいたいいつまでその格好でいるんだ! 佐藤家の恥め、エロビデオじゃねーんだぞ!」
直後に背中が燃えあがった。それはすぐに全身にまわり、酸欠で意識を失った。
ああ、熱い! 痛い! 辛い!
私は自室のベッドの上で身悶えながら、蝉の絶叫に耳を塞いだ。芽衣子に燃やされてから三日経ったが、私はいまだに全身の火傷に苦しんでいる。
ずいぶんな火傷をおってしまったので、ミオリさんに治療してもらったのだが、完治には遠い状態で芽衣子がストップをかけたのだ。
「当分の間、苦しめばいいんだわ!」とは、火にまみれて気絶してから半日後、いっときだけ目を覚ました私に、芽衣子が放った一言だ。
「熱い……苦しい……」
そう呻きながら、エアコンのリモコンを確認するのは、本日何度目のことだろうか? そしてやはり、設定は一番低い一八度なのだ。
いくら部屋を冷やしても、火照った身体から熱は全然引かない。私は身をよじりながら、願った。
もし、もしも。タイムマシーンがあったなら……芽衣子に暴言を吐こうとしている自分を、ぶん殴ってでも止めるだろう……。
そんな妄想にふけっていると、ふいにドアが開いた。入ってきたのは芽衣子だ。
「いちおー、返しとく」
芽衣子は遺書をこちらに放り投げ、すぐに部屋を出ていった。
私は遺書を睨みながら、あのヤロー、と憤るも、口に出たのは別の言葉だった。
「父さん……なんとか、芽衣子を守れたよ」




