プロローグ
妹が世界を救ってから、一週間が経った。
だからといって、大偉業を成し遂げた妹の兄である私の生活に、特段変化はない。
外遊との名目で日本政府が豪華客船での世界一周をプレゼントしてくれるわけでもなく、私はいつもどおり満員電車に呻きながら出社する。
ホワイトハウスでアメリカ大統領から「ウェルカム、サトー!」と熱い握手を交わす未来などなく、待っていたのは会社の会議室で上司からいただくネチネチとした説教だ。
それもこれも、妹が救った世界というのが、地球ではなく、アルキアスなどという異世界だったからだ。
まあ、恩恵がないなんて愚痴は、ただの冗談だ。
一回り歳のはなれた妹のおこぼれにあずかりたいなどとは、まったく思っていない。
私の想いはむしろ逆。
亡き父の遺言にしたがい、妹を守ることを使命としているのだ。
それなのに……妹が世界を救ってから一週間経った今日、ついにコトはおきた。
その日も深夜に会社から帰宅した私は、ウエディングドレス姿の妹に迫られた。
「一円玉をよこせ」と。
たしかに私は小学生のころ、一円玉を収集していた。金額はわからないが段ボール半分近くの量はある。
それを、「よこせ」というのだ。
なぜ今、そんな格好で要求されるのか、まったく理解が追いつかなかった。
ともあれ私は、きっぱりと拒否した。
一円玉などどうでもいいのだが、それをアルキアスに持ち帰るというからだ。
アルキアスに行くなど許しはしない。これ以上は、父の遺言にたがえるわけにはいかないのだ。
これ以上、今以上は!
兄である私の想いなど、どこ吹く風か……。私が拒否すると妹の芽衣子は実力行使にでた。
異世界を救ってしまうほどの大魔導士になった芽衣子は、脅し文句の代わりに、私のネクタイ目がけて火の魔法を放ったのだ。
私は慌ててネクタイをはずして火を消した。残ったのは無残な燃えカス。
恐怖に震える私へ、芽衣子の恐喝は容赦なく続く。
「早く一円玉をよこさないと、次はお兄ちゃんを燃やしちゃうよ」
ネクタイを炭クズにした魔法は、米粒ほどの火の玉だった。
それが今では、芽衣子の手のひらの上で、二〇センチに近い火球が轟々と燃えさかっている。
ジリジリと伝わってくる圧倒的な熱量。私を殺すにも充分な大きさだ……。
嗚呼、なんでこんなことになっちまったんだ……。
もし、もしもタイムマシンが一度だけ使えるのなら。私は一週間前に戻り、妹の鼻の穴にピーナッツを突っ込もうとしている過去の自分を、ぶん殴ってでも止めるだろう。




