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顔面偏差値で役目が決まる都で、僕らは徳札を復活させる  作者: 乾為天女


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15/15

第15話 新しい朝の掲示板

 夏至の夜が明けるまでに、真澄津の噂は町を三周した。


 役場の会議室で古い掲示板が光ったこと。

 消えた結界灯が戻ったこと。

 顔の点ではなく、町の礼が灯を支えたこと。

 徳札係が怪しい集まりどころか、かなり役に立つ連中だということ。


 噂というものは、たいてい尾ひれをつけて広がる。だが今回は、少し大きく伝わっても困らない種類の話だった。


 三日後、西会議室の赤札は外された。

 さらに五日後、部屋の入口へ新しい木札が掛かる。


 『徳札の間』


 字は碩樹が手配し、板の縁の金具は徳信が打ち直し、掲示板の台はあき子がぐらつきを直した。りゅうのすけは由来を書いた紙を作り、友莉亜は町へ向けて「もう隠し部屋じゃありません」と言って回った。桜都は掲示板の前に置く作法を整え、泰雅は誰が来ても困らないように、札と筆と案内の位置をきっちり決めた。


 顔面偏差値の記録は残った。

 鑑顔鏡が急になくなったわけではないし、町にはまだ、それを便利だと思う人もいる。

 だが少なくとも、役場の正式な文書からは『役目は顔の点を優先する』という一文が消えた。縁談の仲立ちで数字を口にすると、神守社の総代に嫌な顔をされるようにもなった。看板商会は露店の場所決めで露骨に点数を使えなくなり、祭礼方は来年の先導役の選び方で、感謝札の集計表を見なければならなくなった。


 仕組みは一晩で全部変わらない。

 けれど、一晩で向きは変わる。

 その違いは大きかった。


 朝の徳札の間には、すでに何人か人が来ていた。

 橋番小屋の喜助が、筆を持ったまま難しい顔をしている。菓子屋の主人は、氷菓の箱を直してくれた礼を書いていた。学問所の子どもが、誰に渡すべきかわからないまま握りしめていた紙を、友莉亜が横で手伝っている。


 「だから、名前がわからないなら『いつも掃除してる背の高い人へ』でもいいって」

 「背の高い人、多い」

 「じゃあ『鐘が鳴る前に廊下にいる人へ』」

 「それなら一人かも」

 「かも、でも出す」


 にぎやかなやり取りを聞きながら、泰雅は机の端を整えた。

 整えなくても困らない。けれど、整っていたほうが人は札を置きやすい。そういう小さなことを考える手つきが、もう癖になっている。


 「忙しい人」

 声をかけられて振り向くと、桜都が立っていた。

 今日は神守社の装いではなく、役場の出入りにも馴染む落ち着いた小袖だった。それでも襟元も袖口もきちんとしていて、紙を持つ指先まで無駄がない。


 「忙しい、は余計です」

 泰雅が言う。

 「事実です」

 「事実でも」

 「では、よく動く人」

 「馬みたいです」

 「文句が多いですね」

 「朝なので」


 桜都は小さな札を一枚、差し出した。

 普通の礼札より少しだけ細い。端がまっすぐ揃い、字に迷いがない。


 『忙しい人へ。

 ちゃんと休んでください。

 あなたが倒れると、困る人が多すぎます』


 泰雅は札を見て、それから桜都を見た。

 「これ、掲示板に貼るやつですか」

 「あなたに渡すやつです」

 「私信」

 「礼と忠告です」

 「忠告の比率が高い」

 「倒れられると困るので」


 言い方はいつもどおりきっぱりしているのに、最後の一言だけ少し早かった。

 泰雅はそれを聞き逃さなかったが、そこでからかうほど器用でもない。札を受け取り、胸の奥で何かがほどけるのを感じた。


 「じゃあ、返事を書きます」

 「今ですか」

 「今です。後回しにすると、たぶん照れて書けない」

 「自覚はあるんですね」


 泰雅は机へ向かい、筆を取った。

 書類の字は速く書ける。人に渡す言葉は、少し遅い。

 それでも迷いすぎないうちに、紙へ置く。


 『昔の作法を、今日の暮らしに間に合わせてくれてありがとう。

 あと、休む努力はします』


 書き終えて見せると、桜都は二行目だけじっと見た。

 「努力」

 「努力です」

 「まだ足りません」

 「前にも言われました」

 「同じことを二度言わせる人なんです」


 でも、その声は少しだけやわらかかった。


 掲示板の前で、小さな子どもが札を読んでいた。

 背伸びをして、声に出しながら一文字ずつ追っている。


 『橋でころばないように、手をひいてくれてありがとう』


 子どもは読み終えると、満足したように頷き、隣にいた祖母の袖を引いた。

 「これ、いいね」

 「そうだねえ」

 「また書いていい?」

 「助けてもらったらね」

 「じゃあ、こんどは私が助ける」


 そのやり取りを見て、桜都が目を細めた。

 泰雅は横で札を受け取りながら、ふと思う。

 あの夜、町を持ち上げたのは大きな奇跡そのものではなく、そこへ届くまでに積もっていた無数の小さな言葉だったのだろう、と。


 役場の窓からは、海へ続く坂道が見える。

 朝の風は相変わらず潮の匂いがした。橋のほうでは今日も誰かが荷を運び、神守社では掃き清めの音がして、鍛冶場からは鉄を打つ響きが届く。町は前と同じ顔をしている。けれど、前と同じではない。


 顔だけで決まっていた順番のあいだに、誰かの働きが割り込むようになった。

 見えなかった手が、少しずつ見える場所へ出てきた。


 徳札の間の入口では、友莉亜がまた誰かに説明していた。

 「だから、うまいこと書けなくていいの。助かったこと、ひとつでいい」

 あき子は掲示板の裏の留め具をいじっている。徳信は勝手に新しい札箱の寸法を測っていた。りゅうのすけは集計表の欄を増やしたほうがいいと一人で興奮している。碩樹は入口で渋い顔のまま靴の泥を払っていたが、その顔のままちゃんと列の整理をしていた。


 泰雅は受け取った札を揃え、横に立つ桜都へ言った。

 「これから忙しくなりますね」

 「はい」

 「会議室より広くなったぶん、やることも増えます」

 「はい」

 「でも、前よりはましです」

 「何がですか」


 泰雅は徳札の間の中を見渡した。

 人がいて、紙があって、声があって、誰かの助かった一日がここへ流れ込んでくる。

 それは見栄えのいい舞台ではない。けれど、立っていたい場所だった。


 「自分のやってることが、ちゃんと次へつながってるってわかるので」


 桜都は返事の代わりに、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。

 そのまま二人は、同じ掲示板の前へ並ぶ。

 急いで言葉を決める必要はない。結論を急がなくても、同じ方向を見て立てる朝は、もう始まっていた。


 柔らかな掲示板の表面が、朝の光を受けてかすかに揺れる。

 その揺れは、海風とも、人の気配とも似ていた。

 真澄津の新しい一日は、誰かの顔より先に、誰かの礼から動き出す。


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