第2章 彼女色の後ろ
第1章の続きでございます。ちょっと性的で過激な
シーンがありますが、演出上必要なのでご容赦ください。
あの後、俺は2時間ほどあのバーで話をしていた。マスターは遠くの客を
相手にして空気を読んでいたようだが、チョイチョイと視線をこちらに投げかけ
てくるのは俺は長年の経験上、分かっていた。
さしずめ、部長のご機嫌取りをうかがう感覚の有効利用と言ったところか。
エミリーは俺の話をときには頷いて楽しそうに聞き、ときには俺の親身に
なって哀しそうに聞き、とても俺の心を安らかに和ませてくれた。
その時の俺は自然と笑顔がこぼれおち、彼女を抱きしめたいという衝動を抑える
はめにならなかったためとても大変だ。
彼女とこうやって特別な形で外で会うのはこれで初めてだ。
彼女を認識したのは2カ月以上前の事だ。彼女とはメトロに乗っている時、いつも
出会っていた女性だった。2車両目の2つ目のドア、いつもそこのドアのすぐそばに
俺は乗っていて、彼女によると、ほとんど同時期に乗り始めたらしい。
俺は初めて会ったときから彼女の事を自分でも気が付かないうちに愛おしく
想っていたかもしれない。
揺れるメトロの揺れに身を任せ、チョコンと肩掛けカバンを持ち吊革に手をかける
彼女。揺れるたびに彼女の金髪ショートヘアーの髪の毛は揺れ、俺の心も揺れる。
ぎゅうぎゅう詰めのメトロの中でも視線はしっかりと彼女の凛とした表情を
見つめてた。何日も、何日も・・・・・・そんな日が2カ月ほど続いたある時。
あの時は雨の日だった。冷たい雨がしんしんとニューヨークの街を包み込み、
地下鉄入口までも冷たい霧雨がぱらぱらと入り込んでいた。俺はスーツを
雨で濡らしながら傘をたたみ急いで地下鉄の階段を下りていきながら、腕時計に目を
やる。腕時計は7時9分。出る電車は7時10分、これに乗れなければ俺は会社を
遅刻し、あのブサイクで女性社員にセクハラを行う紳士とはかけ離れた部長から
陰湿な嫌がらせを受ける事になるだろう。
やばい、俺の焦りが最高潮に到達する。だが、1分あれば地下のホームまでは
たどり着く。いつ通りに電子財布を改札機に軽く触るように押し当て、人々が
ごった返すホームを疾走する。学生時代にやったアメフトの血が騒いだか、
わざと人の間を通り抜けていくと、列車がホームに就いた事を示すアナウンスが
俺の耳に届く。発射まで20秒。
俺は勢いよく階段を下りていく。すると電車が見えた。ちょうど最後の客が列車に
乗り込んだあたりの様だ。ふう、これで今日も安泰だ。そう列車を見た瞬間、思った。
そう、それが俺の失敗でもあったが、最高に人生を左右する失敗だった。
ガクッ。俺の革靴は多数の靴の濡れた客が踏んでいった階段で、まるで車が
凍り道でスリップするかのように思い切り、これでもかという具合に滑った。
喜劇の一瞬。道化師が階段からリズムをとり降りていき、最後のオチで滑り落ちる
かのように、綺麗に鮮やかに階段を滑り落ちた。そして、2mほど
ずり落ちたかと思うとケツから思い切り、プラットホームにどっすん着地。
あまりの激痛にしばし周りの目を考える事も忘れた。
しかし、数秒経って周りを見ると通勤のスーツ姿のサラリーマンやOLに
クスクス笑いが飛ばされてる事に気が付くと、凄まじいほど恥ずかしいと思う
感情がこみあげ、それゆえに列車が既に行ってしまい遅刻する事も
忘れてしまったほどだ。
俺はパンパンとスーツの埃を払いながらいつもの2車両目2つ目のドアの
定位置につく。列車を利用する客はつい先の列車でほとんど乗ってしまい、
ホームに居るのは俺や後から俺と同じように乗り遅れてきたサラリーマンだ。
こういう時、女性は雨の事を予想し早めに家を出るのだろうが、あいにく俺や
他の男たちはいつもと変わらない。その証拠にこのホームには女性がまだ居なかった。
俺はやっちまったとばかりにメトロのプラットホームの淵ギリギリに立って、
溜息を吐く。俺は遅刻するのは構わない。だが、あの似非紳士部長になじられ
目立つのが嫌いなだけだ。でっぷりとした腹、白い禿げに豚の様にちょこんと乗った金髪。
ため息は白く済んだ空気となってプラットホームの上にのぼっていき、人々の
熱気が立ち込めているところに到達するとまたたくまに俺からは
見えなくなっていき、口の中にはただ後悔と会社に行く倦怠感だけが残った。
ああ、やってしまった。そう思い一服しようかとポケットの中の煙草をまさぐる。
が、その中には何も入っておらず虚しさだけしか俺はポケットの中から
取り出すことしかできなかった。
向かいには客がごった返す。皆の顔は混雑していてつらそうだったが
平穏としていた。そして、向かいのプラットホームにライトを光らせメトロが
すーっとブレーキをかけながら入って、業務的でいつも繰り返された
飽きる動作でドアを開け、客を詰め込み始める。
俺は列車のパンダグラフを見つめ、ああ、と心で呻いた。
その時である。
「あの……いつも一緒の車両に乗ってますよね?覚えてます?」
俺の横でか弱く、だがとてもかわいらしい声が呼び掛けた。
左の方を見ると俺の方ほどのところに金髪の美しいショートヘアー。
160もない身長で上目づかいで見つめる青くくっきりとした目。こんなにも
はっきりと彼女の顔を見たのは初めてだ。いつもはごった返す人の
波の間に垣間見る天使として見ていたあの美しくかわいらしい女性が、
俺の横で話しかけてきてくれている。
「あなたも遅刻?フフ、偶然ですね」
俺はその時から彼女と親しげに話し始め、この次の日には人の
多いプラットホームから彼女を少し引き離して駅の改札口近くで
大勢の人が居ながらも、いままでの想いを伝えた。
列車の中で君を、ずっと、見つめていた。
今、この衝動を抑えられるだろうか。こんな本気の感情はいつ振りか。
大学の頃の遊びの様な感覚ではなく、ハイスクールの時の同級生に
想いを寄せるような事に似た新鮮な想い。
彼女はとても驚いた顔をしていたがすぐに顔を赤らめ、なんと俺の想いを
受けてくれた。その時の喜びと言ったら、天に昇るなんてものではない。
審判の日まで持ち込む勢いであった。
これが彼女、エミリーと俺の出会いと付き合い初めだった。
俺はあの一夜から帰って、グリニッチ・ストリート沿いにある自宅アパート
のベッドに倒れ眠りの底へ落ちた。彼女と酒を飲みながら話してとても
楽しかった。アイリッシュ・コーヒーなんて飲んだのは久々、女性と2人きりで
バーで話すのはもっと久しぶりだ。とても、とても、楽しく、楽しく。
それだけだ。とてもぐっすり、悪い夢を見ずに寝る事が出来た。
と、思ったのは思い違いだったようだ。その夜、俺はうなされた。
忘れることもできない夢である。
俺の目の前にベッドでエメリーがいる。裸だった。華奢な体がベッドに
くくりつけられ、彼女は陶酔した表情で天井をみつめている。
彼女の顔はとても赤く、可愛かったがいつもとは違う妖艶な笑みだ。
その時、俺の後ろからぺたぺたと足音がする。俺が振り向いた時、
何ものかが俺の事を通り抜けて
エミリーの居るベッドに向かっていったと思うと、いきなりベッドの上に
飛び乗り彼女の事を犯し始めたではないか。
あまりにショッキングで一瞬の出来事により、俺は思考が停止する。
彼女は輪郭がぼやけて何かはっきりしない男に黙って犯される。
止めろ、彼女に、触れるなっ……だが、俺の言葉は喉で押し返され
発する事の出来ない。
彼女は延々とギシギシとなるベッドの上で嫌な顔はせず、
やりたい放題で犯されている。しかし、悦びに入った顔ではない。
何処かうつろで陰鬱な表情だ。じっと天井を見つめている。
俺は不思議と興奮した感情は湧きあがらず、ただ嫌悪感だけが
押し寄せてきていた。
そして、俺は目が覚めた。汗はだらだら、カーテンも閉めない窓からは
寝ない街の明かりがギラギラと入り込み俺のベッドを明るく照らす。
今でも、あの光景は焼き付いている。ああ、嫌な物を見た。
俺はそう思うとまたベッドに倒れ込んだ。窓の外で蛾が一匹、
まるで何かをしっているかのようにひらりひらりと踊り美しく汚らしい街の
光にとけこみ、空へ昇っていき、そして向かいの街灯の上に泊まった
かと思うと、消えた。
朝起きて枕もとに転がる時計を無造作につかみ見ると6時、自分でも
何時間寝たかはよく分からないが昨日の酔いは完全に冷め、気持ちの
良い朝だ。俺はギシっとなる鉄製のベッドから降りて、崩れたスーツのまま
伸びをして、頭をかきむしる。昨日のムースの感覚がまだ手に染みついていた。
外を見ると相変わらずニューヨークの街は自動車の光化学スモックで
うっすらと曇っているようだが、上空の太陽は隠れようとはせず、
すぐに良い午前を見せることだろう。お向かいのアパートに住んでいる
ご婦人殿は既に朝の支度をしているのか、換気扇が回ってカーテンも開いている。
その時、右の内ポケットに変な違和感を感じる。その瞬間、俺は朝の
快活感は何処ぞへ消えたか、やってしまったな、と後悔の念が胸に
込み上げてきたのだ。ポケットから取り出すとそれは案の定、
彼女に渡すはずのブローチだ。昨日、酔いどれで結局渡していなかったらしい。
「……なんてこったい」ドジ、のろま、デレデレ野郎。俺は自分を罵りながら、
はたと気が付く。そうだ、これをチャンスに今日は彼女の家に行こう。
住所は既に彼女から聞いている。
グリニッジ・ヴィレッジの34番街11-2、あのバーからすぐのところだ。
昨日はきちんと送ったんだからたぶん、向こうに行けば分かる事だろう。
俺はまた気分を取り戻し、会社でご機嫌取りと給料をもらうために
従事する事に専念をしはじめた。
夜、太陽もすっかりと落ち、今は午後9時を回った所だ。
グリニッジ・ヴィレッジの大通りはいくら古風なダウンタウンと言っても
結構に交通量は多く、車のヘッドライト、タクシーのランプ、自転車の
照明、カーテンの隙間から洩れる光。
マンハッタンほどではないが人工の光が明るく道を照らしており、
上にあがる27日の月は申し訳な下げに暗闇でポツリと輝く。
俺は街路樹が造りこまれた歩道を会社帰りそのままの姿で歩く。
季節は5月、申し分ない涼しい夜風であり、通気性の良いスーツを
着る者にとってはまさにすごしやすくこの上ない天国だ。
今、エミリーの家を目指す俺は鼻歌を唄っていた。何故だか
わからないが、気分が高揚する。彼女にプレゼントを渡す事が嬉しいのだ。
が、しかし、俺は今違う欲求を持っていると自覚する。彼女の家に行く
目的を持つ事自体を幸福と感じているのだろう。
人は愛する者のためなら変態にも、宇宙人にも、スーパーマンにも
なれるとはよく言ったものだ。
今日はまだ彼女の事は見ていない。電車の中で見てないからだ。
彼女の携帯電話に連絡するも、電話は留守電話サービスになって
音信不通、なにかたいへんな用事でもあるのだろうか。
それがわかったら、家についてもさっさとお暇させてもらう事にしよう、
そう俺は考えていた。
彼女の家の住所はあと少し先だった。俺は歩きながら横の家の番号を
見る。1-1-0 、もうそろそろ着くはずだ。この古風なグリニッジ・ヴィレッジの
住宅街はどれもお金持ちそうに見える、一軒家が多い。彼女もアパートなど
集合住宅でなければ……いや、良からぬ考えを持つのはよそう。
そう、勝手に考えて女の家に行って自滅した童貞は星の数ほど、世界中に
居るんだ。俺は童貞じゃない。と、心で思いつつも内心、彼女の家に近づく
につれ心臓はバクバクと早鐘をうっていた。
今の俺にとっては、道端のインターロックに生える苔でさえ、こびりついた
チョコレート同然。食って食って食いまくる事もできると変な気分だ。
1-1-1 、よしこの隣の家だな。俺は勇んで家族の笑い声が漏れる
家の前を通り過ぎようとした。その時である。
ガチャ、俺の目の前でドアを開閉するような音が聞こえる。
俺は何故か、反射的に街路樹の陰に隠れ、揺れる風に身を任せる
ように気配を消すようにした。コツコツコツ、玄関前の階段を降りる音が
聞こえてくる。ハイヒールの様であった。息を殺し、音源がくるのをまつ。
すると、街路樹の枝の隙間から玄関を下りる音源の姿をとらえる事が
出来た。そのとたん、歓喜を上げるはずが何故か俺の顔の血の気が引いた。
ざぁぁぁ、車が横を通る音ではない。
本当にそういう音が聞こえたのだ。
春の風はついさっきまで俺の高揚した気分にリズムを乗せてくれる楽しい
存在であったが、いまや冷たくなった頬をさらに冷たくする最悪な連中に
なり下がる。
街灯に照らし出された派手な毛皮のコート、赤いハイヒール、そして特徴的な
金髪のショートヘアー。1-1-1 の隣の家、1-1-2 の玄関から降りた人物、
後姿だがあの可愛い姿は紛れもない最愛の女性。
エミリーであった。
お粗末でした。それとメトロはアメリカでのsubwayなので補完をよろしくお願いします。
第3章へ続く。
小説本家:http://blog.goo.ne.jp/hiro1468




