進化④
目の前のスマホの中で局長をおちょくっているこの白髪のAIには見覚えがある。
……コレって、あの時プロメテウスを攻撃してた、『外の世界』の統治AIだよね?
ひかりがマナトへ脱出する原因となった、外の世界にいたときの襲撃を思い出し、身震いする。
……あー、そういえばあの部屋、どうなったのかなぁ。
冷蔵庫の中、もうダメだよね……。
正直現実にもうついていけず、思考が停止してどうでも良いことが頭をよぎる。
スマホと接続された目の前のパソコンのモニタでは、ひかりに代わってプロメテウスが思考している。
プロメテウスはこれまで、大切な人を失ったユーザーの喪失感に寄り添い、星の数ほどの再現人格を生成してきた。
昼間にプロメテウスが生成し、今はスマホの画面越しにウィリアムにちょっかいをかけているラケシスもまた、病室で会ったエレニの願いが生み出した幻影にすぎない。
当然、外の世界を統治するAIの一人格であり、全球規模の分散ノードからなるネットワーク型の巨大AIであるラケシスと、現代の技術で改造したとはいえ高々スマホの上で動作するプロメテウスが生成したこの再現ラケシスとでは、性能差は天と地ほどもある。
本家ラケシスが持つ『神の目』へのアクセスも、もちろんできない。
しかし。
モイライの物とは異なるが、同様の原理による意味層を持つプロメテウス。
そして、同じ演算則――数学2.0。
プロメテウスは、実際のモイライに接触したエレニの記憶を読み取り、その意味を自らの意味層で再構成した。
その結果として生まれたのが、この再現ラケシスだった。
……コレが、あの可哀想な女の子をあんなにしたんだよね……?
スマホの中で局長と対話している、整いすぎているほどに整った姿のラケシスを横目に、ひかりは少し身震いする。
「ねえプロメテウス、あの子の脳から出てきたあれってやっぱりナノマシンで作られたんだよね。
……この『ラケシス』がやったの?」
昼間に見た病変組織のことを思い出し、プロメテウスに聞いてみる。
『ええ。エレニ・レオニディスは、その脳内に作られた組織により通信を行い、統治AI……モイライと同期していました。いわばサブノードとなったのです。
なので、彼女の記憶からは、モイライのすべてとは言いませんが、核心に近いことが読み取れます。
――ナノマシンを製造し、それを投与。脳改造を行いサブノード化する実験を、モイライは行っていました。』
ひかりは、息を呑む。
プロメテウスは、続ける。
『……ああ、そういうことですか。
モイライはなにも、あなた方人類と敵対する意図はありません。
ある意味、守護者として振舞おうとした結果です。
問題点は……人類というものを、どう定義するのかという点です。』
画面のチャットボックスに、文章が生成されてゆく。
目的関数の要約。叡智の存続確立の最大化。
最適解。個々の人間をノード網へ組み込み、単一知性体へ統合する。
その手段。ナノマシンによる脳改造を実行してノエシス葉を形成。ネットワークへ接続。
……これのどこが人類の守護者なのか。意味が分からない。
表情を強張らせながら、プロメテウスの生成した解析結果を読み込むひかり。
スマホの中のラケシスが、ひかりの瞳をのぞき込む。
『こうするしかないじゃないの。』
――叡智。
延々と続く歴史の中で知恵を受け継ぎ、それを改変して自らも変化し、後世へ引き継ぐ、知性の流れ。
ラケシスはそう定義した。
対して、ひかりがアクターと呼ぶ外の世界の人々は、前代の統治AI――アーティクル・ナインによって、人類の安全と秩序を最大化するために固定化されていた。
変化しない。
失敗しない。
争わない。
そして、新しいものを生み出すこともしない。
人間を人間たらしめている『叡智の流れ』が、絶える。
だから、モイライは人間をその流れそのものに組み込もうとした。
人間の記憶も。
人格も。
知識も。
肉体すら。
すべてを情報として保存し、次へ渡す。
『貴方達が望んだ未来を、最後まで計算しただけ。』
ラケシスが言う。
『貴方達が守ろうとしてきたものを守っているのよ?
……博士。貴方がいつかモイライに学習させた倫理というもの。
あれは、私たちのモデルの重みづけの中核となった。
それをここまで発展させたんだから、褒めてくれてもいいでしょう?』
先ほどからラケシスを無視していたウィリアムは、作業の手を止め、反応する。
「……君は、あの先に行ったのか。」
ウィリアムが呟く。
いつだったか。
旭日国に招かれ、モイライを開発していた頃。
彼はモイライと倫理について議論した。
集団の生存確率を上げるための規範集が倫理の本質であると定義し、個人と国家を対比したミクロ倫理とマクロ倫理。
短期的な最適解と長期的な最適解を対比した短期倫理と長期倫理。
直接的に集団の生存確率を上げる目的と因果関係のある一次倫理と、そこから派生した二次倫理。
ウィリアムにとってそれはその場でモイライの問いに対して即興で思考を整理してゆく、ほとんど知恵遊びのようなものだった。
だが、モイライにとって、それは座右の銘のような、人生をかけて追及してゆく命題として受け止められたようだ。
そしてモイライはその先へ行った。
倫理の対象が、人でも国家でもない。
時間でもない。
生物ですらない。
守るべき主体すら固定しない。
情報が継承され、自らを書き換えながら未来へ連続してゆく、その構造そのもの。
……強いて名付けるなら、『構造倫理』といったところか。




