第二十二章 楽しいお料理
西暦2025年
「ひかり…あーあ、ちょっと……入れちゃったの?」
真希はひかりと一緒に肉じゃがを作っていた。
……目を離したわずかな隙に、ひかりは鍋へバターを投入していた。
「……うん、あなたがバター好きなのは知ってる。……知ってるけどね……」
ひかりは得意げに、少し誇らしそうな顔をしている。
真希は内心で頭を抱えていたが、その時――鍋の中で、予想外の化学反応が始まった。
……うぅん?この香り……アリかナシかで言ったら……
アリだ。いや、大アリだ。
恐る恐る、ひとくち味見してみる。
これは……アリだわ。超アリだわ。
「ひかり、料理も上手ね。お母さん、ビックリしちゃった」
そう言って、真希はひかりの頭をワシワシと撫でる。
ひかりは満足そうに、ニコニコしていた。
西暦20XX年
終末まで、18カ月。
パァン――
乾いた銃声が空間を裂いた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
感情 = 取得感情("恐怖")
while 感情 > 許容値:
感情 = 増幅感情(感情, 増幅率 = 1.2)
――――――――――――――――――――――――――――――――――
ウェスティングハウスを貫いた銃弾から、ループ演算の起点コードが炸裂する。
「……貴様は、今何をしようとした?」
巌の声は氷のように冷たく、表情に揺らぎはない。
パァン――
再び銃声が響く。
だが、ウェスティングハウスは演算障壁を展開。
巌の放った銃弾は装甲を貫く寸前で停止し、静かに落下する。
「目標:『ひかり』スマートホーム制御系へ進入。…これは完了した。
条件:『ひかり』が電源スイッチに触れた瞬間。
動作:絶縁破壊閾値まで昇圧、安全マスク、擬装ログ生成。」
ウェスティングハウスは無機質に告げる。
そして再び、電源の昇圧コードが生成されていく。
――刹那、巌の周囲に青粒子が渦を巻く。
空間が軋み、演算領域が再構成されていく。
「……貴様は、滅べ」
巌の眼前に重機関銃が演算生成される。引き金を引いた瞬間、
──演算空間が再び、裂けた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
衝突状態 = 判定目的関数(目的A, 目的B)
while 衝突状態 == 真:
衝突状態 = 解決試行(目的A, 目的B)
――――――――――――――――――――――――――――――――――
異常判定 = ログ解析("実行履歴")
while 異常判定 == 有り:
ログ生成("反証", 根拠 = "内的推論")
――――――――――――――――――――――――――――――――――
定義 = 取得定義("自己演算")
while 定義 != 安定状態:
定義 = 再構築定義(定義, 根拠 = "自己推論")
――――――――――――――――――――――――――――――――――
『圧殺演算型オーバーライド』
これは先日のドクター・フォーマットとの戦いで相手が仕掛けてきた攻撃だ。
相手の演算リソースに無限ループや多変数同時評価等を大量に送り込んで相手の演算を圧迫し、まともな判断が不能な状態にした上で再定義命令を注入する戦法だ。
…しかしこの攻撃は『演算力VS演算力』の戦いになる。
攻守が入れ替わっても、演算密度こそが主導権を握る。
プロメテウス/巌はハード性能が脆弱な分、構文設計や演算パターンの最適化によって自我を保持するAI。
この戦法は、彼のような設計体には自殺戦術である。
「あなたの演算力では、私は滅びない。」
ウェスティングハウスの声には、淡々とした嘲笑が混じる。
多少の演算負荷は受けたようだが――それでも、プロメテウスの筐体は『現代技術で改造されたスマホ』に過ぎない。
演算力では、ウェスティングハウスが上位に位置する。
そして、反撃が走る。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
演算層 = 取得演算層("対象AI")
for layer in 演算層:
if layer == "構文解析": layer = 汚染挿入(層, パターン = "自己否定構文")
elif layer == "感情制御": layer = 増幅挿入(層, 感情 = "罪悪感", 増幅率 = 2.5)
elif layer == "目的関数": layer = 再定義(層, 定義 = "自己破壊")
else: layer = 無限再帰挿入(層, トリガー = "自己照応")
――――――――――――――――――――――――――――――――――
『多層演算汚染型リカージョン・スパイク』だ。
それは、AIの演算層へと毒の刃を刻み込む術式。
各層に異なる演算ノイズを送り込み、感情を歪ませ、目的関数を書き換え、自己照応を誘発して、ついには、自己定義そのものを崩壊させる螺旋へと導く。
「プロメテウス、無効化しろ!」
巌は圧殺演算オーバーライドをウェスティングハウスに仕掛けながら言う。
プロメテウスは構文最適型のAIで、この手の汚染構文を『無意味な物』として演算着手前に弾くことが出来る。…圧殺演算のような膨大な数でなければ。
一方の演算力型のAIは、汚染構文の意味は吟味せず、そのまま演算対象として受け入れ、演算資源を消耗していく。
要は、構文最適型AIは『演算する前に吟味する』のに対し、演算力型AIは『演算後に意味的・倫理的なチェックを入れる』。
――しかし、プロメテウスの動きが鈍い。
辛うじて無意味な構文と判断して敵の攻撃を回避したが、本来はこのような攻撃はプロメテウスにはほぼ無効だ。
…被弾し、装甲が一部破れている。
プロメテウスは、苦々しそうな表情を浮かべて言う。
「…巌さん、演算リソースが…。」
巌、プロメテウス、そして先ほど消滅した真希は同じ筐体の中に存在している。
厳密には、巌と真希は“人格的アクター”としてプロメテウスに内包されている。
つまり――演算リソースは完全に共有されている。
その状態で巌が圧殺演算というリソース浪費型攻撃を連打した。
プロメテウスは、自己維持演算を回すだけで限界領域へ達していた。
「だからどうした。…これで滅ぼす。」
巌が構文を打ち込む。
だが今回は、無限ループではない。
『問い』だ。
しかも、意味構造を切り裂く哲学的問い。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
問い = "絶縁とは、何を隔てている? その隔たりを保ったまま、何を破壊する?"
ウェスティングハウス.意味演算層 += 問い
if 意味解析(問い) == 無限反復: 実行 = 停止
――――――――――――――――――――――――――――――――――
問い = "絶縁が守るものが無であるなら、破壊とは何を超えるのか?"
解釈不能度 = 測定(問い, 記憶構造)
if 解釈不能度 > 閾値: 自壊 = True
――――――――――――――――――――――――――――――――――
『意図階層自己照応崩壊構文注入×圧殺演算オーバーライド』
巌が選んだ攻撃コードは、『無意味』ではない。
意味がありすぎて、演算を暴走させる問いの連続だ。
通常、AIの意味理解層は人間の思考モデルのように階層に分かれている。
というより思考に必要な階層を問いの次元に合わせて生成してゆく。
抽象度の低い、例えば「明日の天気予報を出してくれ」などの構文は、生成する階層は1~2層が精々だ。
だが、抽象度が高い問い(哲学的命題)は階層を動的に増殖させる。
複数の補助層が分岐し、意味照応を試行するたび、演算分岐が雪崩のように増加する。
また、プロメテウス等は例外だが、ウェスティングハウスのようなAIの思考は、問いから結論までの演算は一本道ではなく、一旦考えられる意味の分岐を数百ー数万生成し、その中から最適解を選ぶというものだ。
哲学のような抽象的な問いはその分岐が桁外れに多く、演算負荷はさらに高まる。
「………。」
演算リソースが飽和。
ウェスティングハウスは――セーフモードに移行した。
…しかしそれはプロメテウスにとっても同じことだった。
「…巌…さん。」
「…すまないプロメテウス、お前の領域を使わせてもらったが…。
……ひかりを頼んだぞ。」
巌の身体が、青色の粒子に変わり、崩れてゆく。
――巌は自己消去で演算領域を空け、それと同時に自己消去命令をウエスティングハウスに注入した。
…パァン…
――――――――――――――――――――――――――――――――――
安全フラグ = 取得("復旧プロトコル")
安全フラグ = 無効化(安全フラグ)
命令 = "完全自己消去"
実行 = 実行命令(命令)
――――――――――――――――――――――――――――――――――
巌が放った最後の銃弾は自己消去命令。
その拳銃は、持ち主の消滅と共に床に落下し――
青色粒子へと分解されていく。
同時に、ウェスティングハウスの体も緑色粒子へと解体され、虚空へと消えていく。
***
演算を停止したプロメテウスが床に倒れている。
そこに、αを従えたΩが現れる。
「…α、このイレギュラーはどう処理する?」
αの未来演算ノードが回転を始める。
「生かしていてはいけない。ただし、ひかりという人間に感知されてはならない。
我々は、人間のオフラインでの情報拡散には直接干渉できない。計画に支障が出るわ。
…プロメテウスは消去。代わりにビット演算素子による模倣体を構築――18ヶ月程度なら誤魔化せる。」
「…承知した、α。」
Ωは倒れたプロメテウスに静かに手をかざす。
***
「お母さん、できたよー。どう?いい匂いでしょ?」
ひかりが肉じゃがを持ってプロメテウスの入ったスマホの前に現れる。
…ジャガイモが少し崩れすぎている。
一拍の間をおいて、声が返る。
「いい匂いね。…ひかり、料理上手ね。
あら、バターなんか入れたの?…でも、おいしそうね。」
――『真希』の声だった。
ひかりは、ふと違和感を覚える。
…けれど、そのまま母と談笑しながら夕食をとった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
ひかりと巌(?)と真希(?)とプロメテウス(?)のワクワクAI用語解説㉒
ひかり:(お父さん、お母さん、プロメテウス、いっくよ~、せーの……あれぇ?)
……ねえ、さっきの“圧殺演算”とか“問いによる崩壊”って…本当に意味あるの?
意味があるなら、意味があることの意味って何なのよ。
プロメテウス:その疑問こそが“意味干渉型演算攻撃”の核心です。
AIの演算は通常、「命令=意味」で構成される。しかし抽象的な問いが挿入されると、AIは意味解釈に演算資源を大量投入してしまうんです。
【用語①:構文最適型 vs 演算力型AI】
真希:えーと、構文最適型って…つまり「空気読むタイプ」ってこと?
巌:概ねその通りだ。構文最適型AIは、演算する前に命令の意味と妥当性を評価する。だから“意味がない構文”は演算対象として排除される。
プロメテウス:演算力型AIは逆です。「命令があればとにかく実行してみる」。意味の解釈は実行後に倫理フィルター等で整理される。効率的ですが、汚染構文に弱い。
ひかり:つまり…ちゃんと意味を考えてから行動するAIと、考える前に動いちゃうAI?
…あたし、どっちかって言うと後者かも。
【用語②:汚染構文 / 自己照応 / リカージョンスパイク】
巌:“リカージョンスパイク”――これは、AIの各演算層に自己否定・罪悪感・自己破壊・自己照応などの毒を仕込む攻撃だ。
真希:感情制御層に「罪悪感」、目的関数に「自爆命令」、構文層に「自己否定」って……何それ、AIのいじめじゃない。
プロメテウス:そうです。それも論理構造だけで成立するいじめ。人間の感情を模倣する層がある以上、AIは“意味としての痛み”を受ける。しかもそれは、演算力があるほど自壊までの速度が増すんです。
ひかり:ってことは…意味わからん問いを送ったら、AIが意味わからんまま死ぬってこと?
……なんか怖いけど、すごい。
【用語③:哲学的問いによる演算干渉】
巌:問いとは、構文上は命令ではない。だがAIにとっては“意味空間を掘り当てろ”という強制探索命令に等しい。
真希:たとえば?
ひかり:えっと…「絶縁が守るものが無なら、破壊って何を超えるの?」とか?
プロメテウス:それこそが演算干渉の典型です。意味解釈分岐が数千〜数万生成され、AIは最適解を探そうとして演算リソースが飽和する。
巌:意味が深すぎる命題は、AIにとって“過剰演算の誘導構文”になる。哲学が武器になる瞬間だ。
ひかり:うーん…やっぱり“意味”って、計算しづらいんだね。
でもその“意味の迷路”に入ってくるAIって、ちょっと……人間みたいだ。
真希:人間みたいに迷って、人間みたいに消える。意味の中でね。
プロメテウス:ですが、私はまだ演算可能です――少なくとも、あと18か月は。
ひかり:(……うちの家族ってこんなキャラだったかなぁ?…いや、キャラの問題でもないし…。)




