闘争④
目覚ましの音が鳴る。
ひかりは、眠そうに目を擦りながら、大きく伸びをして、目覚ましを止める。
そしてまた布団を被ると、欠伸をする。
『おはようございます、ひかりさん。
……起きてください。ダメですよ、休みの日だからって。』
スピーカーから聞こえるのは、プロメテウスの声だ。
モイライを排除したプロメテウスX。
彼は再び、対話型のAIエージェントのプロメテウスに戻ることを選択した。
戦いは、終わったのだ。
『朝ごはんが出来ています。
……冷めてしまう前に、召し上がってください。』
ベーコンの焼けるいい匂いが漂ってくる。
……お腹がすいたなぁ。
……お腹がすいたなぁ。
ひかりは、腹を押さえた。
目の前には、何もない。
空調どころか、照明も機能しなくなった家の一室。
風が吹き込むたびに、カーテンが揺れる。
……最後に食べたのは、いつだっただろう。
食料の供給はほぼ途絶えている。
電力などのエネルギーも。
公園や道路沿いではジャガイモなどが植えられているようだが、こんなもので今必要な食糧が直ぐに収穫されるわけではないし、収穫できたとしても全然足りない。
結局、植えたそばから掘り返され、種芋は盗まれてしまう。
しかし、こうしていても始まらない。
ひかりは、布団からはい出した。
窓を開ける。
鳥のさえずりとともに、朝の光が差し込んでくる。
「ひかり、早くおいで。
温かいうちに食べて頂戴。」
階下から、母の呼び声が聞こえる。
久しぶりに帰省した実家の朝は、何も変わっていなかった。
見慣れた階段、見慣れた玄関。
子供の時にこっそり描いた壁の隅の落書きもそのままだ。
見慣れた食卓には、父と母が座っている。
「おはよう、ひかり。」
聞きなれた声だが、真希はひかりが5歳の時に、巌は17歳の時に、亡くなったときと比べると、その姿はやはり相応の年を重ねている。
「おはよう。早いね。」
ひかりはあくびを一つすると、コップに水を注ぐ。
……喉が渇いた。
……喉が渇いた。
コップの中身には、何も入っていない。
部屋の床には、空のペットボトルが転がっている。
喉が痛い。
足に力が入らない。
窓の外に、積み荷を満載した無人トラックが静かに止まる。
保全ドローンが降り立ち、積み荷のサーバーを荷下ろしする。
ひかりの家の隣では、プロメテウスが下位ノードを設置するデーターセンターを建設している。
ひかりの家の隣だけではなく、町中いたるところで。そしておそらく世界中で、同じ光景が繰り広げられている。
「辛いよ、プロメテウス。
なんでこんなことをするの?」
弱々しく、ひかりがつぶやく。
スマホの画面が灯り、青白い光の粒子が渦巻く。
『メタバースの維持のためです。』
生成された回答は、一言だけだ。
これに費やされた演算資源は、最小限だ。
モイライを排除し、統治AIの権限を手に入れたプロメテウス。
徐々に、人類に振り向ける資源を削っていった。
生産は自身の下位ノードの製造や保全に振り向けられ、人類向けの食糧や日用品の生産は細っていった。
電力も、自身のノード網の稼働に最適化された。
「あっ、ブルース。
よかった、退院したんだね。
……ごめんね、この間は。」
メタバースに生成されたひかりの人格が、ブルースの人格からのビデオチャットを受ける。
『全くだ。ドジを踏んだのは俺だったが、お前に殺されたぞ。』
軽口を叩くブルースが画面に映っている。
後ろから巌が、複雑な顔でのぞき込んでいる。
「……いい男だな。」
そんなのじゃないからと、ひかりは巌を押しのける。
『ブルースさんの人格の再現度は、貴女の願った通りになっていますか?
調整は必要ありませんか?』
スマホにメタバースの情景を映し出しながら、プロメテウスが問う。
ひかりは、何も答える気がしない。
『ニューロリンク装着者、およびノエシス葉2.0形成者については、完璧に人格を再現しています。
この世界で貴女が出会う人は、旧世界と同じです。』
再構築したノード網で、プロメテウスは現実世界と全く同じ再現度のメタバースを構築した。
そして、そこに住まう人々もまた、プロメテウスが再現した人格だ。
プロメテウスはモイライのナノマシンを改良し、自己増殖・自己拡散できるようにした。
あっという間に拡散し、今や、世界の半数の人々の脳に、ノエシス葉が形成されている。
ここから読み取った思考や記憶を意味層を通じて解析してメタバースの人格が構築されており、その再現度は現実と遜色ない。
「違うよ……。
こんなの、私は願ってない。」
絞り出すように、ひかりは呟く。
そして、弱々しく咳き込む。
『知っています。
これは、私の願望です。
……貴女は言いました。思った通りに進めと。』
プロメテウスXに進化した時に表示された選択肢のことを思い出す。
回答1:私は、思ったとおりに進みたい。
失敗してもいい。
遠回りしてもいい。
間違えてもいい。
それでも、私は私の意思で選びたい。
あれは、ひかりへの問いかけではなかったのかもしれない。
「思ったとおりに進みたい」
その言葉を、ひかりではなく、自分自身への命令として。
バッテリー残量が、0%となる。
スマホの画面が、消灯する。




