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39. 幽霊さんと星空

(幽霊さんと星空)


 漆黒の闇、何も見えない。

 空を見上げて始めて星だけがキラキラ蒔絵の金粉のように光輝いている。

「星が奇麗よー!」

 私は昇さんに声をかけた。

 彼はテントから首だけ出した。

「うん、そうだね……」

「山の人たちって、いつもこんな星空を見ているの?」

「いつもじゃないけどね。月夜はあまり見えないし、ガスが掛かってもこんなにたくさんは見えないから……、君は運がいいよ!」

 昇さんは、それだけ言うとすぐに中に入ってしまった。

「嵐の中で遭難していても?」

「それを言われると辛いけど、まあー、いろいろあるね!」

テントの中から言葉を濁すお兄さんの声。

「星が出ているから、もうカッパは脱いでもいいよね……」

「そうだね、寒くなかったらいいんじゃないかな。僕も脱ぐよ……」

 私は、その場でカッパを脱いで、飽きることなく星空を眺めた。

 天の川が真上に流れている。

 銀河鉄道の夜ってこんな感じだったのかなって思った。

 ちょっとこのまま散歩したくなるような気分……

 でも、ここは崖の下だ。


「本当に奇麗な星空ね……」

 私は声のする方に振り向いた。

 ボムヘアーの女の人が、ヘッドランプに照らされた。

「ごめんなさいー、眩しかった……」

 慌ててヘッドランプをはずして下に向けた。

「大丈夫よ……、星、好きなの?」

「どちらかというと好きなほうかなー、都会ではこんなにたくさんの星空は見られないからね。もしかして生まれて初めて見たかもしれないわ。山に来たのも生まれて初めてだから……」

 下に向けたランプの明かりと、テントからもれる薄明かりで、女の人は薄っすらと闇に浮かび上がっていた。

「お姉さん、その人死んでいるわよ……」

 由加ちゃんの声がした。

 私は、もう一度彼女を見た。

 胸元が大きく開いたパールに輝くネグリジェが膝元でゆれていた。

「そうよね、こんな崖の下で女の人がいるわけないわよね……」

「驚かせちゃったー、貴方ならお話ができると思って……」

「そうなんです……、もう由加ちゃんで慣れてしまって、幽霊でも人間でも驚かなくなってしまいましたー」

「私も始めてみた、幽霊って本当にいるのね……」

 由加ちゃんが呟いた。

「何を言ってるのー、現役の幽霊さんが……」

 女の人の笑い声が聞こえた。

「一言お礼がいいたくて、妹を助けてくれて……」

「じゃあ、さっきの救助した十九歳女子のお姉さん!」

「そう、幽霊じゃ何にもできないから……」

「お礼だなんて、助けたのは私じゃなくて山岳部の人たちよ!」

「でも、私がお礼に出て行かないほうがいいかと思って……」

「でも、その格好で出て行ったら彼らも喜ぶよ。凄く色っぽくって、奇麗なお姉さんだから……」

 ネグリジェの大きく開いた胸元から、豊かな胸の谷間が見えた。

「本当に、でも好きになってもらっても、それにお答えできないし……」

「まあー、そうねー、幽霊だもんねー」

「あなたから、彼らにありがとうって伝えて欲しいと思って……」

「もちろん伝えておくわー、妹さんに伝えることはないの?」

「やっぱりありがとうかなー、元気になれなくてごめんねって……」

「伝えるわ……」

「私が入院しているときに山登りに行きたいなんて言ったものだから、マリが私のために山登りに来てくれたの……、それで心配で付いてきたんだけど、あの子朝寝坊で、今日も奥穂山荘を七時に起きたのよ。他の人たちは六時には出発していったのに……、それから朝ごはん食べて奥穂高に行こうとするんだから無謀よね。高校生の時は、いつも私が起こしていたのよ。未だにその癖は治らないようで、一度寝ると起きないのよー」

「私と同じだ……」

「それから、前穂まで行って、岳沢から上高地に下りようとして、その崖のけわしさに驚いて、また引き返すのよー、それで、涸沢から帰ろうとして嵐にあったのよー、もう、見ていられなかったわ。それから、妹の思い込みで、私が山に登りたいと言ったのは、山に登れるほど元気になりたいという意味で、本当に山に登りたかったわけではないのよ。でも、今日登ってきて、こんな星空を見て、生きているうちに一緒に来たかった……」

「それも一緒にマリさんに伝えておくわー、きっと今、下でこの星空を見ているわよ!」

「そうね、ありがとうー、私、妹のところに行くわ……」

 もう一度目を凝らしてみると、彼女はいなかった。

 その時、ブルっと体が震えた。やっぱり寒い……

 慌ててテントの中に入ると、コンロで暖められた空気と、コーヒーのいい香りがした。


「お客さんどうぞ……」

 彼は、コーヒーを作って待っていてくれた。

「嬉しいー、ありがとうー、何かとても遭難しているなんて思えないわねー、星空は夢のように奇麗で眺めていられるし……」

「本当だー、僕もだよー、シュラフを出してその中に入っているといいよ。夜は冷えるから、そのまま寝ても構わないから……」

 私は、チョコレートを一つ摘まんでから、昇さんのいうようにシュラフにくるまった。

「今、外で真理子さんのお姉さんに逢ったわ……」

「お姉さんって?」

「多分、最近亡くなられたのね……」

「もしかして、幽霊……?」

「決まっているじゃん!」

「由加ちゃんがいるくらいだから、周りにはたくさんの幽霊がいるんだろうねー、山ではたくさんの人が死んでいるから……」

「そんな、怖いこと言わないで、本当は私、怖がりなんだから……」

「ほんと―、やっぱり、怖がりの人のところに出てくるっていうから……」

「もう、そんなことないわよー、それで妹を助けてくれて、ありがとうって、山岳部の人に伝えてって……」

「どういたしまして……」

「もういないけどねー、妹さんのところに行ったから……」

「そんなに、たびたび幽霊に出会っているのかい?」

「こんなの初めてよー、由加ちゃんに出会ったおかげかなー、由加ちゃん効果ね、多分……」

「凄い効果だねー」

本当にそうだ、ここに来て、どうして由加ちゃんが見えるようになったのか分からないが、多分由加ちゃんが私を必要としていたのだろう。

「でも本当に会いたい人には会えないけどね……」

「お母さん?」

「うん……、お母さん!」

「だんだん熟練して、見えるようになるかもしれないよ」

「でも、あたりかまわず見えても困るわねー、どうせなら、由加ちゃんとお母さんだけにして欲しい。でも、最近なれちゃったけどね……」

 私は、一口コーヒーを飲んだ。体が温まる……

「それも凄いことだけどね……」

「昇さんが高い山や崖が怖くなくて、山を登るのと一緒よー、すぐに慣れるのよ……」

私はカップを置いて、両腕をシュラフの中に入れて首までかぶった。

「僕は、そんなことないよー、本当は高いところが苦手なんだ……」

「うそー、でも、好きなんでしょう?」

「好きというほど好きじゃないけど、この岩を越えなきゃあ、目的地に着けないとなれば越えるしかないから、いわば障害物競争の障害物っていうことかなー、目的はあくまでもゴールだ!」

「そうね……、でも、ちょっと面白いわねー、登山家が山を怖いというのも……」


 昇さんも、一口カップのコーヒーを飲んだ。

「でも、多分みんな口にしないけど、みんな怖いと思うよー、怖くないという人は、ちょっと神経が壊れているんだよー」

「そうねー、だからますます分からないのよね。山好きな人とか冒険家かなんか、だったら止めればいいのに……、他にやることないの?」

「その恐怖を乗り越えて得られる達成感かな……」

「ただの優越感、自己満足、自己顕示欲……」

「たくさん並べたねー、でも、僕は崖の途中で人生を学んだよー」

 昇さんは、もう一口、コーヒーを飲んだ。

 私は、シュラフから片手だけ出して、プチチョコレートケーキを食べた。

リュックに押されて、だいぶ形が崩れていたけれど……

「昇さんって、本当によく学ぶのねー」

「そうだねー、山は人を育てるよ……」

 昇さんの嬉しそうな顔……

「それで今度は、崖の途中でなにがあったの?」

 この人、何故か話の尽きない人だと思った。

 それに、お話が上手だ。

「死ぬ気になれば何でもできるっていうこと……」

「それは、崖の途中でなくてもみんな知っているわー」

「そうかな? 本当にみんな知っているかな?」




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