メニュー4 黄金比のベリータルト
瀟洒な喫茶店の前に一人の女子高生が立っていた。勝ち気な瞳は真っ直ぐ店の扉を見て、確かに今日は営業していることを確認した。
その女子高生は誰であろう、実来である。
彼女は以前、定休日だった時に喫茶店に来てしまい三段ティースタンドを食べられなかったことを心の奥底から悔やみ、今日、改めてリベンジに来たのである。
………単純に営業日を確認していなかった実来の不手際なのだが。
実来は良し! と気合いを入れて店の中へと入っていった。店の中は以前来たときと同じく英国風のコーディネートが優雅な雰囲気を醸し出している。
「いらしゃいませ」
前回と同じく店の店員が入店した未来に笑顔で接客する。実来は軽く会釈すると前と同じテーブルに腰を下ろした。
店員の青年はすぐに実来の下に水を差し出す。
「ご注文がお決まりになりましたらお呼びくださいませ」
「いえ、もう決まっているのでこのまま注文します」
青年は「はい、わかりました」と応えるとエプロンに入っていた伝票用紙を取り出した。
「お待たせしました。それではご注文をどうぞ」
「三段ティースタンドをお願いします」
実来は速攻でティースタンドを注文する。しかし店員は申し訳なさそうな顔をして。
「申し訳ございませんお客様。……現在、当店は一時的ではございますが三段ティースタンドの販売を中止しております」
「え!?」
店員の言葉に実来は驚きの声を上げる。
私の三段ティースタンドが、無い?!
「大変申し訳ございません。一身上の都合ではございますが、当店は人手不足の為、手の掛かる品をいくつか販売するのを抑えております。誠に勝手とは思いますが、どうぞ、ご容赦くださいませ」
実来はガックンと落ち込んだ。
(楽しみにしていたのに………。いや、待て。私の三段ティースタンドはまだまだ機会はある。せっかく来たのだ。今日はとりあえず、他のメニューを楽しむことにしよう……)
店員はご注文がお決まりしましたらお呼びくださいと去っていった………。
気を取り直し、未来はメニュー表を開く。そしていくつかの品を見ていたら、ふと目に止まったものがあった。
(ブルーベリー、ラズベリー、木イチゴを乗せた三種のベリータルト………良し! これにしよう!!)
早速頼まねば!
「すみません!」
元気よく実来は店員に声をかけた。
そしてそれから十分後、生クリームの添えられたベリータルトの乗った皿に良い香のする紅茶が未来の前にそっと置かれた。
「お待たせ致しました。三種のベリータルトとダージリンのストレートでございます。ご注文は以上でよろしいでしょうか?」
「はい。ありがとうございます!」
勢い良く返された返事に店員に一瞬驚き、小さくクスッと微笑んでごゆっくりどうぞ、と静かにカウンターに戻っていった。
その様子を見ることなく、実来は備え付けてあったフォークを手にし、いそいそとタルトに差し込んだ。
柔らかな果実とカスタードの層を抜け、サクッとしたタルト生地をバラバラにならないように慎重にフォークの上に乗せて口に運んだ。
「!!?」
果実の酸味と、艶だしの為に塗られた蜜が見事に調和している。カスタードも舌の上でとろけて、サクサクの生地の香ばしさが鼻を突き抜ける。
そう、特にこの生地は素晴らしい。
タルト生地は崩れやすく、尚且つ硬いものが多い。しかしこの生地は程よい硬さを維持しつつ、フォークで割った際にもバラバラになってこぼれ落ちることがなかった。
一体どうゆう配合率で作られているのだこのタルト生地は。
果実の酸味と蜜の甘さ、そしてカスタードによる舌のリセットからタルト生地によってのサクサクとした歯ごたえと香ばしいさ。そう、これはまさに黄金比!! このベリータルトは絶妙な配分で完成された黄金比(大事なので二回言った)によるタルト!!
実来はふにゃ~と幸せそうな顔でもぐもぐとベリータルトを頬張っている。
(美味しい美味しい………幸せ………)
だから気付かなかった。
穏やかな顔でグラスを拭いている店員の肩が、僅かではあったが若干揺れていることに。
時たま不自然でない程度に顔を背けていることに……未来は気付かなかった。
もぐもぐ、もぐもぐもぐもぐ…………美味しい。
●○●○●○●○
「ありがとうございました。またのご来店をお待ちしております」
カラン、カランとドアに付けてあったベルが音を立てて実来の帰りを告げている。
宮部ヨシトはドアの窓越しに実来か完全に立ち去ったのを確認した後に、まるで耐えきれないといった風情でカウンターにふっつぶした。
影となったところから僅かに笑い声が漏れている。駄目だ……どうしても笑いがこみ上げる!!
(いやはや……あんなに幸せそうに食べていただけると作り手冥利につきますが………なにせ彼女よく似た顔であんな風に食べられるとどうしても笑いが……!! ふにゃ~としている様がまるで猫みたいに見えて……! 頬張っている様子がハムスターかリスを連想してしまい……!!)
彼女に似た顔で。
別人と分かっていても笑いの虫が腹の底から湧き上がる。彼女に小動物の雰囲気はとてつもなく似合わない。確かに彼女も甘味を食べている時は一般人に見えましたが……!!
「っつ……ふぅ、やれやれいけませんね………。仮にもお客様相手に笑うなど……店主失格ですね。それにしても………まさか簡単に『騙される』なんて、あの子、大丈夫なんですかね?」
宮部の笑いの虫が落ち着き始めたころ、喫茶店に新たな客人がやってきた。
「大丈夫ですか!? 宮部さん!!」
「これは倉木さん」
やってきた倉木は血相を変えてカウンターに居る宮部のもとに駆け寄った。
「宮部さんが例のアイツに店で襲われたと聞きましたが大丈夫なんですか!?」
「私は大丈夫ですよ。営業時間も終わった後だったのでお客様には被害はなかったのですが………」
はぁ、とため息を吐いて宮部はカウンターの下からあるもの取り出した。
「………宮部さん、これは?」
「三段スタンドです。せっかくカップと同じ種類の物を揃えていたのに台無しですよ……」
カウンターの上に置かれたのは見るも無惨な三段スタンドのなれの果て。
色が変色したもの、形が歪になってしまったもの。中には完全に原型を留めていないものまであった。
そう、宮部は未来に人手不足で三段ティースタンドの販売を止めていると言ったが、実際は三段スタンド自体が倉木に頼まれていた人物によって壊された為に提供できなかったのだ。
三段スタンドに乗せるもの自体はすでに作り置きしているものを乗せるだけなので手間はさほどかからない。スタンドがすべて壊れた理由を話せなかった宮部は、咄嗟に嘘を吐くしかなかった……。
「新しくスタンドを探すしかありません。まったく……どう落とし前をつけましょうかね?」
19世紀半ばのイギリス貴族のティータイムでは、カップやソーサーの色や柄を、その日のファッションに合わせるなど、こだわって選ぶ風習があった。この店は訪れるお客様のファッションがわからないので、代わりに三段スタンドをカップとソーサーの雰囲気に合わせて調節していた。
宮部自身がこだわってこだわり抜いた食器の数々は商売としてだけではない彼の譲れない店の象徴でもあった。
「すみません宮部さん……。宮部さんはあくまでも協力者でしかないのに、宮部さんの大切なお店にまで迷惑を掛けてしまいまして………」
「倉木さんが謝ることなどありませんよ。このようなことも含めて私もあなた方に関わっているのですから……。しかし、流石に今回は頭にきました。アレ《・・》は、近日中に必ず見つけ出してみせます。必ず、ね」
倉木はお願いしますと宮部に頭を下げる。
宮部はただ微笑みながら無惨な様になったスタンドを片付けるのだった。