ずるいことをしたら死刑判決も覚悟しろ
アインヘルムに着いて四日。サーラルの体調も完治ではないがよくなり、無理をしない程度に机に向かって地図を書いていた。欺くことをしないと約束してくれたので、現状ロスタインとハイランドが掴んでいる分の情報が判明するわけだが……
「嫌な雨だ」
サーラルが取り乱した夜が明けてからというもの、どんよりとした重たい空から桶をひっくり返したような雨が降り続いている。多少の雨ならともかく、これでは旅道具の買い足しに行くのも一苦労だ。
各々部屋で読書なりしていようにも、急な雨で宿はどこも満室になり、初日に二部屋しか借りていなかったので、プライバシーもクソもない。
「チェックよ」
「ならボクはレイズ」
結果、サーラルが無理をしないように看病するのを含めて、ニオを入れた四人で同じ部屋にいる。トランプならあったので、隣の部屋から持ってきた机でポーカー対決をしていた。
「アタシは降りるわ」
「男勝りなお前にしては弱気だな」
「それ、全然誉め言葉じゃないから。ていうか、負けたら薬屋にウナギの代金払いに行かされるんでしょ? 嫌よこんな日に」
「仕方ねぇだろ、思ったよりサーラルが回復しちまったんだから」
ニオが初日に薬屋で予約したウナギだが、もう普通の食事が食べられるサーラルには必要なくなった。早々に違約金を払って予約のキャンセルをしなくては、どんな額を吹っ掛けられるか知れたものではない。
ということで、アリスの財布の底にあった硬貨の中で一番価値のないボトム銅貨をチップに見立てて勝負をしている。現状ニオが若干有利。カイムとアリスはあまり増えもせず減りもせずといった様子だ。
「で、ボクはレイズしたよ? カイムも降りるかい。それともベットかな」
「……オールインだ」
ボトム銅貨二十枚ずつの持ち数で始まったポーカー勝負。カイムの手元には、十八枚。ニオの手元には二十二枚ある。
「手持ち全部乗せとはね……ここでボクが受けて負けたら、手持ちは四枚……アンティが払えなくなって、結果的に負けか……」
「大切な精霊だから付け足してやるが、お前一人じゃ運べねぇ額だ。必然的に、二位の奴が付き添うことになる」
「んなっ! アンタ今考えたでしょ!」
「スブレンドーレは精霊の保護が仕事だろ? なんなら、さっきの降りる発言を撤回したらどうだ」
「ぬぅ~……なら、アタシもオールインよ」
「これで勝負が決まるね。カイムの運のなさは身をもって知ってるし、アリスは一度降りた手札――わかったよ。ボクもオールインだ」
勝ちを確信したニオ。冷や汗をかきながら手札と睨めっこしているアリス。そんな最中、全員がオールインした結果は――
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「私は賭博をしたことはありませんが、強いのですね」
サーラルと二人、のんびりとベッドに寝転がっていた。
「なに、ニオもアリスも手札ってより負けた時を考えて外の雨ばっかり見てたからな。正式なディーラーが取り仕切る賭場ならともかく、そういう奴がいねぇなら、すり替えなんて楽なもんだ」
二人の視線の隙を突き、カイムは何度か勝負で手札に来ていたキングとエースを隠し持っていた。それを最後のオールインの時にすり替えて、キング二枚とエース三枚のフルハウスを作った。
「あの手札に勝てる現実的な手はストレートフラッシュくらいだ。あいつらには悪いが、俺には盗人時代に培った経験があるんだよ。頭は馬鹿だが、悪知恵は働いて手癖も悪くてな」
「自慢げですけど、イカサマで仲間を負かして雨の中を行かせるんですね」
「俺は神を信じる信心深い信仰者ってわけじゃねぇ。人殺し以外はあらかたやってきた悪党なんだよ」
サーラルから冷ややかな視線を感じるが、雨よりは生ぬるい。外は相変わらずの土砂降りで――
「そういや、シールと出会ったのもこんな雨の日だったな……」
口うるさい二人がいないからか、気が抜けてつい口に出していた。別に隠すことでもないのだが、どうにも話づらくて黙っていたのだ。
「シール、とは、半年前に亡くなったハイランドの王女、シール・シルトベイル様ですか?」
「ん? まぁな。王女っていうより、放蕩姫って感じだったが」
「なにやら親しい間柄のように聞こえますが……」
「そうだな……もう二年半以上前になるが、仲良くやってた。同い年で、子供もいた」
子供と聞いて、地図を書きながらのサーラルがガタッと椅子を揺らして驚いていた。
「いえ、その、他人の家族関係に口出しする気はないのですが……成人しているとはいえ、早すぎるのでは」
「ちげぇよ。俺とシールの子じゃなくて、捨て子だ」
もっとも、柄にもなく本当の家族のように愛していたが。
「ロスタインの領内に、作物が育たねぇ痩せた土地があった。管理が面倒だったんだろうが、そこの権利が売りに出されていたらしくてな。ハイランドを出たシールが買い取って、元々あった傾いたボロ屋に捨て子集めて面倒見てたんだよ」
「カイムさんは、そこでシール様と?」
「俺をさん付けで呼んでくれた人間の女は、シール以来だとお前が初めてかもしれねぇな――そう、シールが俺を『カイムさん』にしてくれた。名もなかった俺に、たくさんの宝物をくれた」
「……亡くなってしまったこと、お悔やみ申し上げます」
いや、違う。悔やまれるようなこと、カイムにはない。そこだけは明確に否定した。
「俺とシールの関係は、二年半前に一度途切れて、半年前にチョコッと顔を合わせてそれっきりだ。お前ともしばらく一緒にいるかもしれねぇし、俺が血の石碑を目指す理由。シールのこと聞くか?」
コクリと頷いたサーラルヘ、「あの日もこんな雨だった」と切り出す。
「三年半前――十五の時だ。一匹狼気取って、盗みと喧嘩の毎日だった。馬鹿だが腕っぷしには自信があったから、戦場跡に捨ててあった大剣振り回して、好き勝手やってたが……喧嘩を売る相手間違えてな。必死に逃げたが、相手は馬で追ってくる。運よく今日みてぇな雨が降ってくれたから逃げきれたが、満身創痍だった」
「そこで、シール様に救われたということですか」
「救われた――そうだな。泥まみれで血まみれの俺を家まで運んでくれた。最初は気遣いが鬱陶しかったが――自分でも不思議なんだが、いつの間にか、居心地がよくなっててな。傷が治っても出るに出れないでいたら、子供たちが俺のことを『お父さん』とか呼び始める始末だ。十五歳で十人の子供の親になった――お母さんは、シールだった」
ああ、やっぱり、まだダメだ。あの頃のこと――毎日の暮らしに苦労しながらも、シールと子供たちと笑い合っていたあの日々は、宝石のように輝いていて……その輝きは、もうほとんど拭いきれないほどに汚れていて。
思い出すと、涙が頬を伝った。まだ、シールのことを……
「会いてぇな……会いてぇよ……なんで、そんな遠くにいるんだよ」
血の石碑に着けば、シールを生き返らせられる。ニオはそう言った。だが、本当にそんなことが可能なのか。死んだ人の魂は天の国へ登ると、孤児院では教わった。
シールの意思はここにあっても、魂が――シールをシールたらしめている物がなくなっていたら、クラッドから遺体を取り戻しても意味がない。シールの体で動く別の誰かになるかもしれない。
それがいつも不安で、隠していて、でも、こういう時に限って抑えがきかなくて……
気づけば、目元を押さえて嗚咽を漏らしていた。
「……あなたは、私に思いやりをくださいましたね」
スッと立ち上がったサーラルが、教会で出会った時より柔らかい声を投げかけてくる。一人にしてほしかったが、サーラルはカイムを優しく抱きしめた。
「こんな形で恩返しをするのは気が引けますが、私の体でしたら、いくらでもお好きに……」
ここにも『楽な道』があった。ちょっと慰めただけで体を捧げてくれる女がいた。
欲に任せてサーラルを抱けば、この不安を忘れることはできるのだろう。サーラルが怯える相手も倒して、貴族の仲間入りだってできるかもしれない。
しかし、抱きしめるサーラルの手が異様に強くなり、息遣いが荒くなった。
「私を愛してください。愛しますから。私を愛して、愛して……」
「サーラル?」
サーラルの様子が豹変した。優しく語りかけてくれた様子から一変、体を離して目にした赤い瞳は、暗く、深い。底知れぬ闇を感じさせるものだった。
「愛して? 愛して? 私を愛して?」
「おい、どうした。なんか、変だぞ」
「愛してくれたら愛しますから。快楽も愉悦も好きなようにしてください。あなたは、初めて私に優しくしてくれたお方。だから愛してください。愛して……あいし――」
「サーラル!」
声を上げれば、サーラルは目を見開いて固まっていた。その唇が微かに震えると、「忘れてください」と、自らの体を抱きしめた。
「おかしく、なっていましたよね。たまにあるんです。自分が自分でわからなくなる時が。ですから忘れてください。私も忘れますから……」
素直に不気味だった。愛して愛してと繰り返すサーラルは、とても弱そうに見えて強欲な願いを併せ持つように見えて……正直、怖かった。『楽な道』ではないと、考えが改まるほどに。
しばらく、嫌な静寂が流れた。なにかを話すべきなのか、馬鹿な頭で考えていた。
そんな時だった。
『それは突然やってきた』
「カイム! 逃げて!」
雨に濡れながら駆け込んできたアリスが血相を変えて叫ぶ。胸元に抱えられていたニオはすぐに飛び、窓の外へ目をやる。
「追手が二十人はいる……!」
なんだ。なんだなんだ。
「いったいなにが起こった」
声に出すと同時に、宿の廊下をバタバタと駆けてくる音がする。見れば、ロスタインの騎士が剣を抜いて、大声を上げた。
『あの男を国家反逆罪で捕えよ!』と。