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お約束の裏で膨らむ疑念

 馬とは賢いもので、黒い血を手の形にして手綱を握らせておくだけで勝手に荷馬車を走らせてくれる。子供たちの意思が宿っているから、手の形にして浮遊させて、「川とか森とかに突っ込まないよう」注意しておけば安全面も問題なし。

なまじ意思があるので、学習もしているようだ。馬鹿なカイムの頭より柔軟な頭をした子供の意思が宿った血は、すっかり荷馬車の旅では欠かせない存在になっていた。


「酒が切れちまった」


 なので、カイムは荷馬車で寝転びながら酒を飲む毎日だ。


「おいおいどうすんだよ。リンゴ種も蜂蜜酒も空っぽだぞ。あー、あれは残ってたか? 搾りかすだらけで飲めたもんじゃなかった葡萄酒。あれも空っぽか?」


 ひっく、と、飲んだくれと化したカイムへ、ついにアリスが額に血管を浮かび上がらせた。


「空っぽなのはアンタの頭よ馬鹿!」

「なんだぁ? そんなに怒らなくてもいいじゃねぇか。どうせ次の街まで急いだって四、五日はかかるだろうが」

「アインヘルムを出てから十日経ってもそんだけかかるから行商人に頼んで譲ってもらったんじゃない! アタシだってお酒もっと飲みたかったわよ!」

「譲ってもらったって……あれはお前の金じゃねぇだろ。なぁサーラル」


 荷台の端で羊皮紙へペンを走らせるサーラルは、カイムの声にピクリと反応し、「はい!」と、輝く笑顔で答えた。


「カイム様はお酒が好きだとニオさんより聞いておりましたので、三種類ほどご用意させていただきました!」


 しかし、サーラルは顔を曇らせる。


「十分にご用意したはずでしたのに、なくなってしまい申し訳ありません。すぐにでも買い足したいところですが、まだここは未開拓地域。行商人も新たな行商路を作り途中ですから……」

「様はいらねぇっての。まぁ次の街に着いたら酒場なりあるんだろ。そん時まで我慢だな」

「いえ! なんでしたら箒で飛んで買ってまいります! 全速力なら、馬よりももっと速く……」


 そこで、アリスの手がサーラルの頭をポンと叩いた。


「あの馬鹿に付き合うのも程々にしときなさい。人生の大先輩として忠告しておくけど、男を調子に乗らせてもなんの得もないから。こいつみたいなのはその典型よ。今はまだ若いから許されても、こんな態度のまま三十路超えたら……ってなにしてんの!」


 サーラルの周囲には、炎の玉が飛んでいた。顔つきも影があるとかそういうレベルではなく、くすんだ赤い瞳がどんよりとした雪の日の雲のような顔で鈍く光る。


「カイム様のこと、あまり馬鹿馬鹿と仰るのはやめていただけませんか? その忠告とやらも、まるでカイム様がダメ男のような口ぶりですよ?」

「今のこいつよく見なさいっての! 酔っぱらって寝っ転がってお尻掻きながら酒瓶並べてんのよ? 誰かがキチンと矯正してあげないとダメ男一直線でしょうが!」


 アリスも得意の風魔術で防御しながら、飛んでくる炎を弾いて反論する。やかましいアリスに、「今を生きて」と涙ながらに頼んできたのは誰だと言ってやれば、「事と場合による!」だそうだ。


「二人ともそのくらいにしといたらどうだい? アインヘルムからこっち、ボクから見たらまともなパーティーに見えていたんだからさ」

「ニオちゃんもねぇ……お金持ってるサーラルにあいつの好きなもの教えちゃだめよ。なんだかよくわからないけど、あの子甘いんだから」

「甘い、ね。そういう見方もあるか」


 なにかを含むような物言いへアリスは首を傾げるが、「そんなことより」と、ニオは空を指差す。


「せっかくいい天気なんだ。地図も完成してきて、とりあえず南へ進めばいいってわかってから七日以上経つ。季節も春真っ盛りだし、そこの森で水浴びでもしたらどうだい?」

「……ニオ、お前」

「なにかな」

「いや、なんでもねぇ」


 二年半共に過ごしてきた相棒が腹になにか隠している。なんとなくだが、カイムはそう感じたが、本人に悪意はなさそうだから追及はしない。

 それにこの陽気なら、水浴びで体を冷やすこともないだろう。


「それじゃ休憩にするか」


 流石に木々の間を正確に進めるほどには、黒い血の手も学習していない。御者台に移って手綱を握り、花々を咲かす木々の森へ入っていった。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 惚れた云々は抜きにして、裸をそう簡単に見せるものか。百六十年を生きるアリスは変なところで純粋さがあり、ニオへカイムの監視を任せ、覗かせないようにしている。


「だから、俺はもっとふくよかな体つきの方が好きだってのに」


 昼飯のため乾いた枝を集めるカイムはぶつくさ文句を言うが、近くを飛ぶニオは「ならアリスが嫌いなのかい?」と意地悪な質問をしてくる。


「なんかアインヘルムを出てからその手の話題を吹っ掛けてくるが、いつまでもお前から見て面白い反応すると思うなよ」

「別に面白いからやってるわけじゃないよ。少しは」

「おいなんだ少しはって」

「人をおちょくるのはボクの趣味さ。契約者だからってとやかく言わせないよ――でも、アリスの裸、見たくないのかな?」


 バキッと拾った枝を折ってしまった。誤魔化そうにも、すでにニオは悪そうな笑みを浮かべている。


「この旅が上手くいったら、君はシールとアリスのどちらかを選ばないといけない。シールも半年前にちょっと見た感じ、アリスと似通った体つきじゃないか。選んだあとは、当然大人同士の裸の付き合いも出てくるんだよ? 下調べしなくていいのかな?」


 これが悪魔のささやきという奴か。ニオは不敵に微笑んだまま「どうする?」とけしかけてくる。


「……いや、待て待て。覗きなんかバレたら、二人にどんな目にあわされるかよく考えろ」

「自問自答の中悪いけれど、ボクはさっき君の今後のために覗ける場所を見つけてある。まずバレない。今ならお得な事に、サーラルも生まれたままの姿だろうね」

「……借り一つ、だな」



 悪魔――ニオに誘われ、木々の隙間からぽっかり空いた川辺が見られる茂みへやってくる。かなり近くで、物音一つでも立てたら見つかる。この先しばらく軽蔑の眼差し――だけで済んだら運のいい方だ。


 だが男とはやはり惚れた女の体の欲には勝てないようで、心の中、シールに何度も謝りながら目を凝らす。


「ぉ、ぉぉ……」


 見える。ハッキリ見える。アリスとサーラルが素っ裸で水をかけあって戯れている。

 やはり、二人とも細い。細いが、しっかり女性らしい体のラインがあり、一応出るところは出ている。ドングリの背比べだが、胸ならサーラルの勝ち、尻ならアリスの勝ち、といった具合だ。


 サーラルは背中の傷を隠すためか、薄手の服を身に着けているが。

 もう少し、もう少し顔を出せば、大切なところも見える。慎重に、特に森育ちのアリスに気づかれないよう、慎重に慎重に身を乗り出していくと――


「ックシ!」

「なっ!」


 ニオがくしゃみを――それもいつもなら、気取って隠しているくしゃみをこのタイミングでやりやがった。アリスとサーラルは即座にこちらへ視線を向けて、驚いたのもあって、屈んで隠れていた茂みから川辺へ出てしまう。


 目と鼻の先とまでいかないが、十分近くで三人は固まった。


「――枝を、だな。焚き火用の。この季節、そろそろ乾燥した枝がなくてだな。それを探し」

「ごめんシール! 殺しちゃったらごめん!」


 護身用か、近くに置いてある矢筒の中の矢を風の魔術で操ると、容赦なく飛んできた。


「悪かった! ニオに騙されたんだよ!」

「知るかぁ! アタシ処女なのよ? ハイエルフの処女なのよ! 国宝もんなのよ! ってか騙されても来るんじゃないわよ!」


 まさかこんな形で黒い血を盾代わりに使うことになるとは。矢の嵐を防ぐ固まった黒い血の中で、子供たちもシールもどんな顔をしているか。


「チッ! やけに固いわねその壁。サーラル、アンタも魔術で吹っ飛ばしてくれない?」


 魔女レベルの魔術は矢の嵐なんかとは比べ物にならない。本当に命の危険を感じて、壁をなくして、生まれて初めて女に頭を下げようとしたら――


「こんな汚れた体でよろしければ、いくらでも見てください――それでカイム様が満足されるのでしたら……」


 最後の砦というか、背中の傷を隠すための服を脱ぎ始めた。男としては眼福だが、人間として踏み入ってはダメな気がする。

 いや、男としても、シールとアリスで揺れている時に他の女の裸を見るのはダメだ。


「とにかく悪かった!」

「逃げんなぁ!」


 知るか。逃げた。じゃなきゃ血の中で愛想つかされる。


「テメェニオ! なにしやがる!」


 矢が相変わらず飛んでくる中必死に逃げながら、ニオをとっ捕まえて問い詰めるが、「花粉症かな」などと、まったく悪びれた様子はない。


「覚えてやがれよ! これでアリスに見放されたら一生恨むからな!」

「――それは大丈夫だよ」


 アリスも裸だからか、川辺を離れたら矢は飛んでこない。念のため木の陰に背中を預けていると、ニオが状況に合わない……いつもならこういう時にからかうニオが、真面目な顔をしていた。


「リャナンシーはある意味、この世の誰よりも人間について詳しい。エルフとか女は契約が結べなくても、そこを経由して――君ならシールを経由して契約した。だから詳しい。その観点から言わせてもらうと、アリスは裸を見られた恥じらいこそあれ、本気で拒絶してたわけじゃない。むしろ興味を持ってくれたって喜んでたかも。今のは純粋な乙女として、『意思』より先に『常識』からの行動だと思うから」

「突然やけに、小難しいこと言うな」

「人間観察の一環だよ。それにしても――ねぇ、一ついいかな」

「頭を下げずに女へ謝る方法か?」

「真面目な話だよ。君、元々アリスの好意に気づいてたよね。ボクとしてもそう確信していたから、アインヘルムで君にアリスをぶつけた。間違いないよね」


 答えづらいが、なにやらニオは真剣だ。咳払いをして、「ある程度は確証があった」と返せば、ニオは「これは忠告だ」と前置きをした。


「君の馬鹿ながら獣のような感性が緩んでいるよ。この旅を乗り越えるつもりなら、戦う力は十分にある。でもそれ以外の要因で旅が終わることもある。だから頼むよ? アリスの好意に気づいていた感性を取り戻してくれないか」


 なんだ、これは。ニオは失態をしてもそのまま謝る奴じゃないのはよく知っている。あれこれと理由をつけて否定するが、今のニオは、そういうその場しのぎのあれこれじゃない。


「まずは、アリスたちに許してもらってからだ」

「たち、か……」


 ニオの中で、とある懸念が大きくなりつつある。カイムのため、自らのため、今後の方針を固めつつあった。

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