第95話:秩序と混沌
それから十分ほどして、アニエスは最低限立ち上がれるだけの回復を果たした。本人の要望としてもう少しくつろげる場所に移動したという事で、三人はリビングルームへと移動する。その道中、アニエスは自身の状態を意識してか大層不愉快そうに悪態をつく。
「……最悪。この有様じゃ魔力が回復しないと次の星に出向くのは無理ね。……まったく、こんなくだらない事で時間を無駄にさせられるなんて」
アニエスの魔力は先ほどまで起きていた魔法現象である“若返り”を解除するためにほぼ残量ゼロというところまで使い切られており、ただでさえ魔法器が万全でない彼女としては静養に努めざるを得ない状況となってしまった。
アニエスの愚痴に、事の発端たるレティシアが抗議する。
「おいおい、諸悪の根源かのように言われるのは心外だぞ。第一、余のことを待っていればマシンで魔力を吸い出してから戻すことだってできたのだからな?」
「あんたが紛れ込ませた玩具が原因でしょう。つまらない言い訳でイラつかせないで」
取り付く島も無い、真正面からかつ正当性のあるの非難にレティシアはバツが悪そうにアニエスから視線を逸らし、助けを求めるようにフィーネに尋ねた。
「なんか魔力資源は無いのか? こう、ドレインすれば使える系の備蓄とか」
「外付けの魔力なら“機兵”があるけど、アレもちょっと前の戦いで壊した分の補充がまだだからね。それにアニエスはドレインなんてできないから、その場の使い切りにしかならないよ」
「不便なものよ……ちなみに、実際回復するのにどんくらいかかるのだ?」
「これ以上消費しないなら、全快まで二日かからないくらいじゃない? アニエス、ゆっくり休んで寝れば一晩で半分くらい回復するし」
「なんだ、割と早い方ではないか。ちょっと責任感じて損したわ」
アニエスは鼻を鳴らし、それ以上はレティシアに取り合わない。
そのような会話をしている間に、三人はリビングルームへと到着した。アニエスは本を手に取り一人掛けソファに深く沈み込み、フィーネは特に理由無く気が向いたからというだけで大きなソファに飛び込んで、レティシアは何か思案しているのか立ったままでいた。
十秒ほど無為に埋めていた顔を起こしたフィーネが、興味本位でレティシアに尋ねる。
「そういえばどんな魔法器を作ったの?」
「ウルトラドレインマシン。対象から死ぬんじゃないかと思うレベルの魔力を秒で抜ける代物で、なんなら抜いたことに気づかせない麻酔特性持ちの逸品よ」
発明品に対するレティシアの能書きに、アニエスは冷めた感想を口にする。
「なにそれ、人殺しの道具? あんたらしいわね」
「ハハッ、この女うぜー。おまえのがよっぽどやべー魔法器持ってそうじゃんか」
レティシアはそこで言葉を切り、時計を見てから寝そべるフィーネへ視線を向ける。
「……と、そんなことより。うん、晩ご飯にはもうちょっとだけ時間があるな」
そうして、挑発的な表情を浮かべ、口調と共に身に纏う空気を一変させて言った。
「――フィーネ。私は、退屈だ」
レティシアの変化を受け、アニエスが微かに眉を寄せる。
張り詰めた冷たさと弛緩した暖かさ。
二つの気配をない交ぜにしたレティシアが急かした。
「と、云うわけだ。戦うぞ、準備しろ」
「いいよ。今日は負かしてあげる」
「ぬかせ。吠え面をかくのはお前だ」
フィーネは特に気負わず、普段通りの態度で挑戦を受けた。レティシアもまた強い意気込みを持っている様子というわけではない。二人はどこで戦うかを話し合い始めるが、部外者のアニエスが冷ややかな水を差す。
「なんでもいいけど。暴れるなら外でやって」
「おおん? 我々の世紀の決闘を見学したいとは思わないのか?」
「あら、私に解るレベルの勝負になるのかしら? どうせ今日も引き分けなんだから、さっさとやってくれば?」
アニエスの態度に対し、二人の御子は珍しく団結した調子で非難する。
「なんだこいつ、感じわるぅー」
「アニエスったら、自分は仲間はずれだって拗ねてるんだよ」
「ふははは。おいおい、図星を突いてやるなよ。こやつあとで泣いちゃうぞ!」
アニエスは言いたい放題の二人へ鬱陶しそうに手を払い、夕食までの時間はテーブルの上に置いたままにしていた書物を読んで過ごす事にした。相手にされないとわかったフィーネとレティシアはいそいそと船外へと通ずる搭乗口へと移動する。
アニエスが読み始めた本はつい昨日まで滞在していた星で得たもので、世界の成り立ちについて魔法の見地から分析したものであり、発行者は星の寵児の一名だった。なお、書籍という媒体についてはアニエスが希望したためこの形となっていて、内容はエッセイのようなものだ。
書かれている見聞を咀嚼しつつ、アニエスは並列で思索する。その対象は、先ほどは興味無さそうに振る舞っていたフィーネとレティシアの勝負についてだった。
(……いつ勝負しても互角、か。きっとそうなるように仕組まれているんだろうけど)
フィーネとレティシアは出会ってから度々全力での決闘をしているが、今まで『双方共倒れ』以外の決着に至った事は一度として無い。
どちらかが相手よりも強くなったと見て勝負を挑んでも、実際に戦っている間にその差が均されてしまう。ゆえに二人の力関係はその時々で完全な五分であり、ある種その関係性はこの世界の奇妙さを示唆してもいた。
この宇宙において、秩序と混沌が持つ力もまたおおよそ対等とされている。
本来の意義通りであれば秩序という概念が混沌という多くのものを包括した概念に及ぶはずはない。それが拮抗している理由は単純明快であり、現在の混沌は原初のそれと異なり多くのものを切り離して総体を減らした概念だからだ。その分離された概念の代表格は秩序である。
万物の源たる混沌と、そこから抽出された概念である秩序が相克するのはひとえに混沌が秩序に対しそれだけの力を分け与えたという事に他ならない。
その挙動は日常において理性的に振る舞うため自ら幼い姿を取っている《混沌の御子》も同様だと言えた。フィーネとは違う意味で自らを戒める彼女がそれを解いた時、アニエスはあの少女に対し最大の恐怖を抱いてしまう。混沌の化身たる御子と比べれば、他の神族への怖気はまだ地に足がついたものだ。
(……さっきもちょっと滲んでたな。そういうところも二人して似ているのかしら。フィーもたまに回帰したわけでもないのに堅い喋り方をする時があるし)
アニエスが読書をしながら益体も無い物思いに耽り始めてから一時間ほど過ぎた頃。一つの本を読み終え、それに対する考察も済ませた彼女の元にフィーネとレティシアが戻ってきた。
「……また派手にやったわね」
二人の姿は平時のそれとはだいぶ異なっていた。
フィーネはボロボロに破れて元の丈より短くなった外套を着ており、その下はレオタード型の衣装と少しみすぼらしくなった“終焉星装”らしき姿。
一方のレティシアは舟にやってきてから着ていた部屋着らしき浴衣ではなくより豪奢な着物と呼ばれる故郷の装束を着るが、やはりあちこちが破れてしまっている上にサイズが合っておらず、今にもずり落ちそうだった。
見た目以外の共通する状態として二人とも人智を超えて莫大な魔力の大部分を使い切っている。風体からそれを察したアニエスはソファにくつろいだ姿勢のまま、一応の様式美と尋ねる。
「で、勝敗は?」
「ボクの勝ち」
「わたしの勝ち」
「どっちよ」
同時に勝利宣言を行った二人に対し、アニエスが呆れる。
なおも、フィーネもレティシアもお互いに負けを認めなかった。
「最後まで立ってたのはボクだよ」
「はあ? 魔力かなんかで吊って気絶してたただけじゃん。それを言うなら先に心域ぶっ壊れてダウンしたのはそっちでしょ」
「へえ、レティシアちゃん、時間に細かくなったね。千分の一秒とか、数えられるんだ?」
「なら倒れたタイミングだって同じだろーが!」
「引き分けでいいでしょ面倒くさい。完膚なきまでに相手を負かしてから勝ち誇って」




