第60話:街角にて/秩序の御子
アニエスを残して宿から出かけたフィーネは一人で街を歩いていた。
街並みはフィーネの記憶にある長く生活した国に比較的近いもので、石畳の道路に木材や石材を主とした建物が多く、科学技術と魔法技術の発展も含め、そこに暮らす人々の文化も似たところがある。
その点において、今までに滞在した星と比べて新鮮味に欠けるという所感がフィーネの内心にあったが、そういう事もあるだろうと彼女は今いる世界を楽しむ事にした。
(んー、この星に来た記念のお土産はどうしようかなぁ)
アニエスが研鑽のために“星の記憶”を手に入れるのと同じ趣味の範疇の目的として、フィーネも訪れた星の特徴を捉えたような品を持ち帰るという目標があった。
南門での一件の報酬としてそれなりの金銭を得たアニエスから小遣いをもらっていたため、ちょっとした無駄遣いをする程度の所持金はある。この星では取り立てて珍しい素材は無さそうだというアニエスの見立てもあったため、たまたま見かけた露店を覗くフィーネだが、これはという一品は見つからなかった。
(とりあえず色々買って、アニエスにも選んでもらおっと)
秩序を名に冠するとは思えぬ大雑把な方針で、フィーネは適当な品を見繕って購入してゆく。
そんな買い物を小一時間ほど続けた後。
時刻はまだ昼下がりで、宿の夕食までは時間があった。特に疲れたというわけではないが、街の空気を知るためにフィーネは喫茶店へと足を踏み入れる。落ち着かない情勢でありながら繁盛している店で、客達はせめて気を紛らわせるためか各々が連れ合いと歓談していた。
その中に、唯一の一人客としてうらぶれた男がいた。彼は店内の隅にある二人掛けのテーブルに一人で居座っており、何らかの書類に目を通してつまらなさそうな顔をしている。
「――――」
フィーネはその男を凝視した後、他に空いている席が無かった事もあり彼の前に立った。
「ここ、座ってもいい?」
男は唐突に声をかけられた事にやや驚いた様子だったが、少しの間を置き了承した。
飲み物と菓子を注文し受け取ったフィーネが席に着くと、男が胡散臭そうに問う。
「……街の人間じゃないな。隊商の息女かなにかか?」
「ううん、ボクは友達と旅をしてるだけ。この街に来たのもただの観光だよ」
質問に答えたフィーネは逆に男の素性を尋ねる。
「おじさんは何をしてる人なの?」
『おじさん』と呼ばれた男は少しだけ心外そうな表情をした後、首を横に振った。
「いや、いい。オレはギリギリまだ二十代だが確かに君のようなティーンから見れば十分におじさんだろう。撤回する必要は無い」
「撤回してほしいんだ。今からでもお兄さんって呼ぼうか?」
「いらん。若い女に訂正を求めてそう呼ばれても惨めになるだけだ」
そう言って男はカップに残っていた茶を飲み干し、近くを通りがかった店員の若い女性に控えめな調子でおかわりを求めた。そうしてからやっと質問に答える。
「私が何をしているか、だったな。私は何もしていない人だよ。ただの無職だ」
先ほどと少し口調を変えながら男はそう突き放した言い方で自己紹介をした。
フィーネはその紹介に対し、率直な疑問をぶつける。
「何もしてないのに生活できるの? 誰かのお世話になってるとか?」
「君は初対面の相手に中々踏み込んだ質問をするんだな」
男は質問内容に顔をしかめつつも律儀に回答した。
「親からの遺産だよ。それを管理することで食い繋いできた」
「なんだ。じゃあ何もしてないわけじゃないんだね」
「世間様は無職と呼ぶさ。まあ、どう呼ばれようが構わんがね」
「おじさんって呼ばれるのはイヤそうだったけど」
「……それはまた別の話だ」
二人の会話が途切れたのと同じタイミングに、隣の大きなテーブルにいた客達が退店する。老若男女まばらな集団はどうやら同じ宗教の信徒であるらしく、礼拝までの時間を潰すために店を訪れていたようだ。
途中フィーネの耳にも入った会話の内容から、信仰の対象となっているものはフィーネも多少は知っている秩序の神々らしい。
そんな教徒達の様子を見て、男は露骨に不機嫌そうに鼻を鳴らす。すぐにフィーネに見られている事を思い出した彼は取り繕うように理由を述べた。
「僕は神が嫌いなんだ。秩序も混沌も、どっちもね」
またも口調が変わった男は、吐き捨てるように言った。
フィーネは特に態度を変えず、相手の感情の由来を訊く。
「神様に何かされたの?」
「いいや。何もしてくれなかった」
その乾いた言葉には、何もかもを打ち捨てたかのような虚しさが響く。
男は嫌悪の感情を隠しもせず、話を続けた。
「信仰の祈りとやらは奇特な人間共が勝手に捧げているものだ。助けてくれないだけならどうでもいいさ。だが、僕達が苦しんでいる時は何もしてくれないくせに、空高くに越えられない法則を創ってみたり、秩序や混沌の名を僭称したなどと意味もわからん理由で人を裁きもする。理不尽だろう」
男の愚痴に、フィーネは正面から応じた。
「人を助けるか助けないかは神様次第だからなんとも言えないね。けど、宙へ出られないようにしてるのと名乗りを止めてるのは理由があるから仕方ないよ。宇宙はケイオスから生まれた怪獣がいっぱいいるし、秩序と混沌は名前自体に魔法を持たせてるから人間が使うとおかしくなっちゃうんだ」
フィーネの受け答えが予想と違ったのか、男は驚き感心したような表情を浮かべる。
「……ずいぶんと詳しいようだな。その年で神官の類なのか?」
「違うよ。ちょっと勉強したから知ってるだけ」
「そうか。面倒だからその違いについては追及しないでおこう」
再び、会話が途切れた。
なぜか、男は椅子に座ったまま俯いている。
先ほど注ぎ直された茶に、男はまだ手をつけていない。
だが、彼は帰り支度を始めていた。
「オレの役割はもう終わった。やっと、休める」
奇妙な事を言いながら、男は席を立つ。
男が歩き出すのを見て、フィーネも立ち上がった。
「おじさん。最後に一つだけ聞きたいんだけど」
店を去ろうとする男を呼び止め、彼を見た瞬間から抱いていた違和感を糺した。
「秩序か混沌――キミはどちらから生まれたものなのかな?」
金色の光を帯びた瞳の少女がそう問いかけた瞬間――世界が、静止した。




