第58話:蒼炎の魔女
「敵襲! 敵は魔獣使役部隊、視認できた魔獣の数は二百! 今すぐに魔導砲を用意しろ!!」
隊長の指示に従い、門に詰めていた衛兵達が戦闘準備を始める。もともと戦いのために備えられた砦という一面もあるらしく、その手際はよく迎撃態勢はすぐに整えられた。
ただし、隊長の表情は険しい。魔獣を誘導していた敵兵の集まりは既に撤退しており、この戦いは一方的に自陣を削られる戦いとなるからだ。
その内なる思考を異能で読み取ったアニエスが率直な指摘をする。
「犠牲が避けられない程度には苦しい戦いなのですね?」
「……そうだ。悪いが今はご両人に構っていられない。奥の塹壕に退避を――」
「であれば」
アニエスは帽子の飾りにしていた杖を元の大きさに戻し、隊長に提案した。
「街への滞在費の代わりに、私があの魔獣達を掃討します」
杖を手に取ったアニエスは隊長の返答を待たず、討伐に乗り出す。
大人しく成り行きを見ていたフィーネが隊長へ警告した。
「おじさん、今の内に部下の人たちをもう少し下がらせた方がいいよ。あの子の魔法で怖がらせちゃうかもしれないから」
アニエスは砲台を準備する兵達の横を通り抜けゆっくりと歩く。無関係な少女が戦場に踏み込もうとするのを止める善良な兵士もいたが、その制止を一瞥もせずに魔力障壁で弾いた。
前方に甲殻を持った熊のような魔獣の群れが獰猛に突き進んでくるのを視認しながら、アニエスは二つの魔法を励起させる。
一つは杖に灯した魔力を元にした火炎の魔法。それが形成されるに伴う魔力の威圧感は魔獣や周囲の兵へ死の象徴かのように伝わっており、接触まであと一分とない進撃を行っていた魔獣達が急停止する。
それを予期していたアニエスは、杖を持たない右手で別の魔法を先行して発動させた。
「“天引波”」
そう唱えたアニエスの手から見えざる力を生み出す場が作られ、それはアニエスと魔獣達との間にて力を表した。彼女の前方方向に留まり突撃を躊躇していた魔獣達はアニエスが魔法を設置した箇所へと強引に引き寄せられる。木にしがみつこうが地面に前肢を突き立てようが、効果対象である獣達だけを引きずり込む陥穽だ。
そして、二百以上に及ぶ魔獣が一か所に無理やり押し込められ、山のように積み重なった。
引力に似た力は凶悪な拘束同然に獣らの動きを封じており、もがき脱する事も叶わない。だが、それも魔法の効果が切れるまでの話であって根本的な排除には至っていない。
当然それを初めから承知していたアニエスは既に待機状態にしていた魔法を放つ。
「――“蒼炎槍葬”」
アニエスが頭上に杖を掲げると蒼い炎の塊が噴出され、瞬く間にその形を槍へと変える。それは高速で使用者が指定した座標へと飛来し、穂先を向けて地に落ちる。すなわち、魔獣達の頭上から巨大な焔の槍が墜とされた。
獣の頑強な甲殻を貫き、大地にまで届いた蒼炎の槍は爆発する。
その炎は外部からの衝撃に強い体を内側から焼き尽くした。
だが、その魔法を受けてもまだ魔獣達の数割は生き残っていた。
既に戦意は喪失していたが、そばの街にとって敵対対象である事には違いない。
「“蒼炎爆砕”」
無情な追撃に杖から放たれたのは蒼い光球だった。
高密度の魔力によって出来たそれは、魔女が定めた目標に到達すると轟音と共に爆裂する。
その魔法が、幾度も幾度も撃ち込まれ続ける。
断続的に蒼い炎が爆ぜ、先の焔槍で死に切れなかった獣達の体を打ち砕いた。
もはや、蒼い炎が燃える空間から生命の気配は失われている。
兵達が少なからず損耗を覚悟した戦いは、たった一人の魔女によって焼き払われたのだ。
殲滅を確認したアニエスは杖を縮め帽子に差し、顔色も変えずに元居た場所へと戻る。
「これで問題は解決しましたか?」
「……ああ。だが、別の問題が生じた」
そう言う隊長はどこまでも苦々しげだった。それもそのはずだ。アニエスが放った魔法は全て都市防衛の兵器に装填される規模のものだった。それを気軽に連射出来る魔法使いなど脅威以外の何物でもない。
「都市警備として、個人であそこまでの破壊力を保有した者を気安く招き入れるわけにはいかない。しかも、恐ろしいことにあの魔法ですら君にとってはまだ――」
隊長は推測をそこまで口にしてから、悪いものを振り払うように首を横に振った。
「とにかく、非常に申し訳ないが現状は街への滞在を認めることはできない。今の戦いと捕えた賊の分の報酬については上へと掛け合わせていただくが……」
「街を守護される立場としてその懸念は至極ごもっともです。なので、こちらを」
アニエスが提示したのは羊皮紙の一部だった。無論、ただの紙ではなく魔導書のように魔法が込められた品である。それを一見し内容を把握しかねた隊長が問う。
「これは?」
「強制の契約書です。こちらに私――アニエス・サンライトと同行者フィーネの両名が街に対する加害行為を働かぬ誓いを刻む事で、禁を犯した際には定められた魔法による処罰が私達に下る仕組みです。これを元に、逗留を掛け合っていただけないでしょうか」
契約書を受け取った隊長は部下にこれを検め、同時に街の指導者から判断を仰ぐよう手配させた。
しばらくして、二人に対し街への滞在を認める旨が伝えられた。アニエスが用意した契約書が真である事の確認が取られたのと、何よりも拒否した場合に街を攻撃されてはより問題だと判断が下ったためだという。
一方、完全に信頼され自由行動が許されたわけではなく、行動可能なのは街の南部区画の一部のみであり、日数も三日が上限だと通達があった。
他、伝えられなかったがアニエスが異能で読み取った情報として常時監視がつけられる事となったようだが、荒事を起こす気は無いため特に問題視しなかった。
南門を通過し、二人は近場にあるという外来の商人向けの宿へと向かうため舗装された道を進む。
その道中、ここまで比較的静かにしていたフィーネが口を開いた。
「ねえ、アニエス」
「なに?」
「あの契約書、本物だよね」
「当然。でないと信用を得られないでしょう?」
「でも、アニエスは破ろうと思えば破れるよね?」
「もちろん。そもそも私の魔法ごときじゃフィーも死なないでしょ」
悪びれもせずにアニエスはそう言った。
『契約を破ればその身を蒼炎に焼かれる』という契約内容を示す魔法に偽りは無いが、自分であれば相応の代償を払う事でそれを突破する事も可能だと。とはいえ、契約書を確認した魔法使いが優秀であればそれを察された可能性もあるとアニエスは考えていた。
詐欺に近い行為について、フィーネは特に感情は込めずに一般論から非難した。
「まったく、アニエスはヒドい人だなぁ」
「そうよ。故郷の国を自分の都合で壊すようなクズだもの。詐欺とか操られただけの魔獣の虐殺くらいお手の物よ。フィーもよく知ってるでしょう?」
アニエスの酷い自嘲に、フィーネは珍しくため息をつくだけで応えた。




