第46話:御子のガーデン
机上に置かれたフラスコから青、黄、白と様々な色の煙が立ち昇って工房内を漂う。
それぞれの容器には煙と同色の粉末が満杯に近い量で収められており、アニエスはそれらの状態を確かめた。いずれも問題無い出来栄えで、後は用途に応じて錠剤に加工するだけだ。
魔法器の調整と魔法薬の仕込みが一段落し、アニエスは部屋の隅に置かれた古い時計を見る。作業を始めてから既に数時間経過しており、一息つくにはちょうどよい頃合いだった。
(……戻ってこないわね)
フィーネは記念品を並べるスペースを作って満足気にしてからどこかへと出かけており、既にこの場にはいない。先ほど誘われたゲームに興じるほどではないが茶を飲める程度の時間が出来たため、アニエスはフィーネを探す事にした。
(外に出てなければガーデンの方かな)
工房を出たアニエスは数個隣に当たる扉を開く。その先にあるのは他と同じく魔法によって創られた別の領域だが、仮にも舟の中だというのに風光明媚な世界が広がっていた。
その風景を一言で形容するならば広い庭園だ。大部分には秩序だった並びで草木が茂り、ところどころには花壇が設けられ花が咲いている様子は自然公園のようでもある。
この場所はフィーネが管理しており、疑似庭園と呼ばれていた。字義通りその広さはアニエスの魔法工房とは比べ物にならず、本来舟の中にあっていいものではない。しかし、魔法で空間を拡張された船内にさらに入れ子のように別空間を作り出す事でその非常識は成立していた。
アニエスが足を踏み入れると、すぐに畑の作物に水を撒いているフィーネが視界に入る。彼女もアニエスが園内にやって来た事には気づいており、手を振ってきた。
(畑なんてあったっけ……?)
庭園については創造に立ち会っていたので当然アニエスも知っていたが、花壇はともかく畑については初見だ。少なくとも前回訪れた時にこんなものは無かった。その違いが気になりつつも彼女はフィーネの元へと進んだ。
訪ねてきた友人に対し、フィーネは普段通りの朗らかな調子で話しかける。
「休憩にしたの?」
「ええ。お茶でもどうかなって」
「いいね。ちょっとだけ待ってて」
フィーネは水やりのやり方を暇潰しのための手作業から魔法による効率重視なものへと変えた。作業を待っている間、アニエスは気になっていた見慣れぬ畑について尋ねる。
「いつの間にこんなもの作ったの?」
「アニエスが寝てる間にだよ。ボクもなにか育ててみようかなって」
「ふぅん……」
先日まで滞在していた星でも住民達が畑で様々な作物を育てていた。それに感化されたのか、フィーネは新しい趣味として農作業に乗り出したらしい。
ちょっとした気まぐれで始めたにしてはかなりの本格さとなっており、畑の区画は庭園内の数割を占めている。
「――は?」
それをアニエスが漫然と視線で地平を追っていたところ強烈な違和感が生じた。
作業の疲労から幻覚を見ているのかと彼女は自身の目を疑ったが、何度見てもどのように確認しても結果は同じだった。たまりかねて庭園の管理者であるフィーネに確認する。
「……ちょっと、フィー」
「んー?」
アニエスは恐る恐る疑問をぶつけた。
「あの向こうにある赤色の物体はなに?」
そんな問いかけに、フィーネは特に隠し立てはせず端的に答える。
「ああ、お肉だよ」
「………………」
『ああ、お肉だよ』。
その言葉の意味するところと自身の目に映る光景を擦り合わせ、アニエスは現実を受け入れる覚悟を決めた。
肉が畑に生えている。
より正確に述べるならば、畑の土から突き出た光の針のようなものに貫かれた状態で肉が点々と配置されている。しかも妙に品種が様々であり、動物の種類ごとに区分けされ、部位もかなり細かく整理されているようだった。その有り様は珍妙な光景という域を超越していた。
辛うじてアニエスが絞り出せたのは、一言。
「……常温で平気なの?」
「うん。魔法でラップしてあるから」
「そう……」
なぜ畑の一角が肉屋の様相を呈しているのか、アニエスには理解出来なかった。
地面から伸びる光の針はフィーネの魔法であり、動物の肉のコピーを作成する機能があるのだろうと推察出来る。そういう理屈の面ではなく、『どうして肉を畑で収穫しようと考えたのか』がわからないのだ。
ともあれ、フィーネは今の説明でアニエスが納得したのだと上機嫌に自身の計画を語る。
「魚用の水槽も作ろうと思ってるんだけどどんなのがいいかな。切り身で泳いでる方が料理するには楽だよね?」
「……どうかしら」
『魚は切り身の状態では泳がない』。そう指摘する気力はアニエスには無かった。生肉だって畑には生えないのだから。そして言ったところで『知ってるよ?』と返されるだけだ。
(昔はこんなことしなかったのに……)
フィーネが時折珍妙な事をし出すようになったのはここ数年ほど。
具体的にはかつて二人が一緒に暮らしていた町を出て大陸を旅するようになってからだ。
明らかに旅の途中で知り合った人物の影響であるためアニエスにとってあまり好ましくはないのだが、本人が楽しそうにしているため水を差す気にもなれない。
一方、旅の同行人にして舟の同居人たる友人からの要望は無いと理解したフィーネは空いている区画に凝ったデザインの水槽を創り出す。それを見たアニエスはさらに庭園の調和を損なうと内心残念に思ったが口には出さなかった。
「なにを入れておこうかなぁ」
そう言いながら、次々と記憶にある食用の魚を水槽に創り出してゆくフィーネ。
彼女の魔力によって創られた魚のような形をした意思無きたんぱく質はしっかりと元の生命が生きている頃の姿を踏襲していた。
「切り身にするんじゃなかったの?」
「そう思ったんだけど、骨とかも使うかもしれないでしょ」
「なるほど、冴えてるわね。スープも作れるわ」
心のこもっていないリアクションもフィーネは気にせず、魚類が済んだために貝類と甲殻類を水槽に投入していった。
生け簀というよりももはやアクアリウムの様相を呈してはいるが、ともあれ庭園に新たに肉と魚の生産機能が組み込まれた。以降、料理をする際はフィーネがここから食材を取り出してくる事だろう。
フィーネは記念品置き場の作成と合わせて今日は二つも仕事をしたとどこか誇らしげな表情だった。
「お待たせ。それじゃ、お茶にしよっか」
疑似庭園の出入り口はこの空間全体の中央にぽつんと設置されている。その近くには休憩のために設けられた小さなテーブルと椅子があり、二人はそこで茶を飲む事にした。
例によってフィーネが率先して茶の準備を行い、アニエスは工房から持ってきた故郷の菓子を提供する。
出来上がった茶を数口ほど啜ったアニエスが含みの無い雑談として切り出した。
「今日は美味しくなる魔法はかけなかったんだ?」
アニエスの指摘にフィーネは素直に関心した表情を浮かべる。
「おー、ちゃんと味の違いもわかる?」
「さすがにね。これも十分美味しいけど。……前から使っていた魔法って“威光”の事?」
「うん、正解。もしかして使ってるところに気づいてたの?」
「逆よ。発動がわからないからそうなんだろうなって」
「なるほどー、アニエスっぽい気づき方だ」
二人が“星を渡る舟”の中で過ごした日数はまだ一月にも満たない。この疑似庭園でくつろぐのも宙に出る前に試しで何度かやってみた以来だ。
視界に広大な畑と巨大な水槽が映ってしまう事がやや惜しいが庭園全体は美しい。それを眺めながら茶を飲む事でアニエスには本来の味そのもの以上に美味に感じられた。
反面、フィーネにとって庭が美しいという所感は薄いが落ち着く空間ではある。何より友人と茶を飲む時間はそれだけで彼女にとって楽しいものだ。
「あ、そういえば」
唐突に、茶菓子をつまんでいたフィーネが何かを思い出した。
「レティシアちゃんから手紙が届いてたんだった」
故郷の大地と同じ名を持つ少女の名を口にしながら、フィーネは何も無い空間から小奇麗な封筒を取り出した。
なお、現在“星を渡る舟”は二人がかつて過ごした星から遥か離れた宙域に停泊している。にもかかわらず彼方から届いたという手紙にアニエスは眉をひそめた。
「……どうやってよ。あいつは今もノクトの王都にいるはずでしょ?」
「出発する前にこの舟の印は教えておいたから」
「また余計な事を……」
フィーネの答えにアニエスは小さくため息をついた。そんなところだろうと思いつつ、出来ればそうしてほしくはなかったという心情を隠しもしない。とはいえ、無駄な抵抗である事も理解していた。
「どうせ教えなくても自力で探り当てられたんだろうけど……。で? あいつはなんて?」
「ちょっと待って。今読むから」
フィーネは送られてきた手紙の封を開け、内容に目を通す。アニエスの工房で本を読んでいた時とは違い、十枚入っていた便箋を数秒で読み切る。
そうして、可笑しそうに小さく笑った。
「……嫌な予感がするわね」
「アニエスにとっては当たり、かな? なんか、最近つまんないんだって」
アニエスは手に持っていた菓子を取り落した。
「まさか……」
「うん。レティシアちゃん、どこかのタイミングでこっちへ遊びにくるってさ」
アニエスはフィーネから紙束を受け取って十枚ある内の九枚、さらにその大部分を読み飛ばして最後の『わたしが遊びに行く日に向けて盛大な歓迎の準備をしておいてください』という厚かましい一文に目を通す。すぐに彼女は手紙に向かって手を払う仕草をした。
「断りの手紙を返しておいて」
冷ややかなアニエスに対し、フィーネは温厚な答えを返す。
「そこまで邪険にしなくても。ちょっと前にお世話になったわけだし。ボクとしては結構大きい借りだなーって思ってるからお返しはしたいんだけど」
そう言われ、アニエスは答えに窮する。
アニエスの主観における人物像の愉快不快はともかく、手紙の送り主に対して恩義を感じていないと言えば嘘になる。
相手からも大概に迷惑をかけられはしているものの、さすがに借りの方が大きいというフィーネの意見は不本意ながらアニエスも認めざるを得ない。
少しの間アニエスは考え込み、心底からの深いため息をついた。
「……返信に。来る時は慎み深くするよう注意書きをして」
「わかったよ。書くだけ書いておくね」
「暗に無理だろうけどって言わないでよ……」
当分は先の事であろう手紙の話はそこまでに。
引き続き、アニエスとフィーネは旅の合間の憩いを噛み締めた。




