第44話:針路無き旅
「起きたばっかりだけどごはん食べられる?」
「メニューが重くなければ」
「そう言うと思った。作ってあるから一緒に食べよ」
「ありがとう」
“星を渡る舟”は宇宙を旅する性能を持った魔法器である。その外観は水上を移動するための船舶に近いが、帆船でもなければ蒸気船でもない。魔力を動力とし、魔法の機関で稼働する舟なのだ。
この舟の移動手段は大きく二通り。ありふれた飛行魔法と転移魔法の二つだ。前者は舟を任意の場所に移動させるためのもので、後者は星々を巡るためのものとなる。
光の速さでは広い宇宙を旅するには遅過ぎる。この舟には莫大な魔力を消費する事と引き換えに指定した座標へと空間転移を行う機能が備わっていた。この転移は移動距離が文字通り天文学的な規模である事を除けば通常の転移魔法と何も変わらない。
他に特徴として、船体には幾重にも魔法が施されており外部から見た全長と内部の空間の広さがまるで一致しない。また、船内で生活する事が可能なように航行能力以外にも様々な機能が搭載されている。
その気になれば一生過ごすに不足しない居住空間、アニエスが研究を行うための魔法工房、フィーネが手入れを行っている疑似庭園。その他、二人の個人的な趣味嗜好を満たすための部屋や予備の領域も作成されており、内部の合計面積はちょっとした邸宅よりも広い。これは空間に干渉する魔法が設計に組み込まれているためだ。
この多機能な魔法器の設計および作成者は他ならぬアニエス・サンライトである。
ただし、当の彼女としては星間転移のための魔力などフィーネが持つ規格外の能力を前提とし依存し切ったこの舟の事があまり好きではない。まるで自分自身のようだと不愉快になるからだ。
二人は船内を歩いて居住空間の内、リビングに相当する共有スペースに移動した。
アニエスは部屋の中央に設置された故郷の時刻を基準とした時計を眺める。疲れ切っていたため入眠前の時刻を覚えていないが、短針が最低でも一周以上しているのは確かだった。
「だいぶ長く眠っていたみたいね」
「って言っても二十時間くらいだよ。二百時間くらい働いたあとと思えば早いでしょ」
「普通の人間基準で考えるなら、ね。もう少し体の強化につながる魔法を覚えようかしら」
そのまま二人はキッチンスペースへと足を進め、フィーネが用意していた食事を食卓へと運ぶ。来客は想定していないが、二人用にしては大きく六人程度は着席可能なテーブルだ。
フィーネが朝食として作った料理は薄切りの肉が入ったスープ、表面が焼き上げられたパン、数種の野菜を盛りつけたサラダとアニエスが望んだ通り軽い気持ちで食せるものだった。
食前の祈りなどを捧げる事も無く、二人は食事を始める。
パンを口に運びながら、アニエスは先ほど見ていた夢について思考を巡らせた。
(……何を視たのか、思い出せない)
自身の記憶を探る魔法を用いているのにある時点から夢の詳細に行き着かない。夢を見ていたのは確かなのだが、何を見ていたのかアニエスにも判らない空白の領域が存在していた。
アニエスが確認出来たのは『先日訪れた星に暮らす人達の姿』と『笑顔で自分の元を去るフィーネの姿』までだった。その続きをどうやっても手繰る事が出来ない。
欠けた夢については不明なので現状棚上げにするしか無く、アニエスはそれ以外の内容の意味を考察する。
(……フィーのあの姿は今までに何度も視えた。将来は私の力でも限定的な未来視が可能になる事は判っている。けど、今の時点で十分な観測が可能とも思えない。なら、あれは? 確定しているからそこだけは視えるってこと?)
魔女アニエス・サンライトの異能。発現した当初は他人の心の声が聞こえ続ける力だと認識していたが、魔法使いとして成長した現在の彼女の見解は異なる。
今のアニエスは自分の力を五感と同じく世界の情報を解析するためのものだと解釈していた。ただし、その対象となる範囲がどこまでなのかが未だに不明なのだ。
他者の思念を読み取るようになったのは、当時のアニエスが強い悲嘆と絶望を受けて魔力を成長させてしまった事と、人間に対し心を閉ざした事がきっかけだ。
魔法使いとして修練を積み始めてからは魔法の構造を読み解く事で只人よりも遥かに効率的に魔法を習得出来た上、旅を始めてからは自身の生命に危機を感じた際にはその予兆を知る事が出来た。
これらの一見異なるように思える能力の全ては『事象の解析を行っている』という単一の機能で説明がつく。
未来の情報が垣間見えるという事象についても、他の魔法現象において前例があるためそこまで驚く事でもない。ただし、アニエスが見た夢のレベルにまで具体的な内容が映し出されるのはやや異例だった。
(未来観測は情報処理の行き着く先。ただし、普通の未来視は枝分かれする未来の中で実現しやすい形を見通すだけ。ヒトの能力では無限の分岐を解析する事は出来ない。もしも、枝葉に至るまで視えるようになってしまったら――)
アニエスは自身の異能の解析についてもう少し真剣に取り組む必要性を感じつつあった。
そのままさらに思考に埋没しかけるアニエスだったが、不意にフィーネがやや身を乗り出して自分の顔を覗き込んでいる事に気づく。
「な、なに?」
「ぼうっとしてどうしたのかなーって」
「……なんでもない」
「そっかー」
それだけでフィーネは追及を切り上げ、代わりに自分が作った食事を薦める。
「ちゃんと栄養つけないと。ほら、こっちのお肉のスープとかどう? 試しに作ってみたらおいしくできたんだ。食べてみてよ」
フィーネから新作料理の感想を求められたアニエスは言われるがまま、薄く切り分けられた肉が入ったスープを口に含む。味付けは塩が主であっさりとした風味なのだが、肉に甘みがあって美味だった。
しかし、アニエスは過去にこの種類の肉を食べた記憶が無い。
「これ、なんの肉のコピーなの?」
「この前見たユニコーンの。あの子たち、やっぱりおいしかったね」
アニエスは思わずスープを戻しそうになった。
辛うじて堪え、苦々しい表情を浮かべるだけに留める。
「一気に食欲が無くなったんだけど……」
「なんでさー」
“星を渡る舟”での移動中における食糧確保はフィーネが担当していた。より正確に言うならば、彼女の魔法で生成している。
アニエスが『コピー』と表現した通り、実際の動物や植物から得ているわけではない。これは二人の宗教観から行われているわけではなく単にその方が旅をする上で都合が良かったからだった。
魔力を元にした物質の創造。秀でた魔法使いであれば実現自体は可能な技術だが、さすがに生命体の複製をほぼ無制限にそのまま実体化させる魔法は異常だった。当然だが栄養面についてもしっかりと担保されており、物質化した魔力は仮に魔法が解除されても消えない。
十分ほど経ち、先に食べ終えたフィーネがアニエスの目の前でデザートとして果実を創造した。先日滞在した星で食したメーピーというとんでもなく甘い果物だ。
「それ気に入ったの?」
「まあまあ。甘いからどんな風な料理にするといいかなーって」
日常生活において魔法を使って楽をするのはそう好まないフィーネだが、食料そのものの生産は魔法無しでは時間が足りないという判断なのか比較的気安く行っている。
「んー、シロップみたい。アニエスもいる?」
「……一口だけ」
「はい。じゃあこれ」
フィーネは魔法使いが火の玉を発生させるのと同じ気軽さで果実を創り、半分に割ってアニエスに手渡す。残りの半分は自分で食べた。
食事を終え、フィーネから受け取ったメーピーを齧るアニエスがふと、一言。
「私が作業していた時にフィーがくれたやつ……」
「ああ、みんなにレシピ教えてもらったパン? あれもおいしかったね」
「料理にするなら、ああいうのがいいと思う」
フィーネは友人からの遠回しなリクエストに笑う。
「わかった、また作るよ。今度はアニエスも手伝ってね」
「……魔法器の調整が終わったらね」
それから。
二人が食事を終え、一時間ほど過ぎた。
“星を渡る舟”のリビングルームには巨大ベッドと見紛うほどに大きなソファが置かれている。フィーネはその中央に完全に脱力した体勢で寝そべり、アニエスはテーブルの傍に座って次に向かう星の検討をつけるための作業をしていた。
テーブルの上には宇宙の一部を模した球体が表示されている。アニエスは舟の現在位置周辺の宙域において自分達が旅先を決める条件としている『生命の痕跡がある星』がどの程度あるのかという情報を眺めており、集中していた。
一方フィーネはとっくに食器の片付けも終わって以降何もしていない。先ほどの食事を朝食と定義するのであれば朝起きて食べるなり寝転がるというなかなか無精な有り様を見せている。
暇を持て余したフィーネがゴロゴロと転がってアニエスの元へ移動し、しなだれかかった。
唐突な奇行にアニエスが少々驚いた様子で振り返る。
「どうしたの?」
「ねー」
「なに」
「ヒマだよー」
「ならフィーも真面目に考えてよ」
アニエスの異能は他者の思考を読み取る。仮に対象の用いる言語が彼女に理解出来ないものだったとしても、“原初の言葉”によってその内容は自動的に翻訳されて伝わる。よって、思考形態そのものが全く異なっても、そこに内容さえさればある程度の把握は出来るのだ。
しかし、この無作為に作動する異能は誰に対しても完全な効果があるわけではなかった。ままある事として、類似の魔法への対策を施している者への効果は無効ないし薄くなる。
そして、ごく一部の例外に対してはどうやっても情報を読み取れない事もあった。
そして最たる例外の一人が――
「考えてるけどさー。どうせ行ってみないとわからないんだからヘンに条件づけしたら面白くないと思うんだよねー」
最大の例外は、親友ことだらけ切った姿のフィーネだ。
彼女にはアニエスの異能における『思念を読み取る』効果が一切作用しない。それはアニエスが意図的に友人の思考を読まないようにしているわけではなく、初めて会ったその瞬間からそうだった。
「秩序の領域か混沌の領域かだけでもだいぶ違うでしょ」
「そうかなぁ。別にどっちがいいとかないと思うけどなぁ」
魔法使いとしてアニエスが現状推測しているこの機能不全の理由は『情報処理が追いつかないため』。フィーネに対して意識を集中した場合は他の情報を一切読み取る事が出来なくなる事からアニエスは現時点ではそう結論づけている。
というのも。この現象が起きるのはフィーネに対してだけではないという事が以前の旅の道中で発覚しているのだ。ゆえに決して心因的な理由ではない。
それがアニエスにとっては些か以上に不本意だった。
「……私達二人の旅なんだから。行き先くらい一緒に考えて」
「うーん、言い返せない正論」
結局。その一言により、次に向かう星についてはアニエスの魔法器の調整作業が終わり次第、二人で決める事となった。




