第31話:断絶と伝承
地下空間が大きく振動する。
リデルとレジェには、自分達の先祖にまつわる因縁の衝撃を受け入れる時間すら与えられない。
不穏な気配が漂う中、異変の原因たる中央の石碑から先の過去の記録と異なる現在の思念が響き渡った。
【――私は、アルハザド公国が大公モナーク=ベルクである。貴公が優れた魔法使いであるならば。その魂に、我が魂を転写せん。全てはこの星の人類の存続のため。私の知識が、貴公という資源を最大限に活用してみせよう】
それは、使命の果てに狂った男が最期に遺した魔法だった。
魂の転写とは、一つの存在を構成する情報の源である魂を他者に写す大魔法を指す。編み上げられた魔法が万全であるならば、転写対象は転写元に存在を上書きされてしまう。
その肉体はとうに朽ちたにもかかわらず己の魂だけをこの空間に刻み、何時か誰かが訪れるのを待ち続けていたその在り様は、もはや純然たる怨念と成り果てた。
石碑から靄のような実体を持つ禍々しい魔力が生じ、辺りに満ちる。
それが人の顔を象ると、目と思しき部分をリデルとレジェに向けた。
【――なぜ、神聖な儀式の場にケダモノがいる? 大公に背いた大逆の畜生共。もはや貴様らは不要である。遺伝子を回収次第、即刻処分してくれよう】
人生で初めて理不尽な憎悪に晒され、怨念の被害者、その末裔である二人が声すら上げられずに怖気づく。
そんな状況で。フィーネはこの魔法の結果がどうなるかを把握し、友に警告を発する。
「アニエス」
「大丈夫」
友人の呼びかけに、アニエス・サンライトは一言だけで応じた。
そうして、先ほど記録の魔法が起動した時点から己の魂に響いて不快であった魔法使いの残響に向かって語りかける。
「ベルク大公。まずは一人の魔法使いとしてあなたに敬意を。人間の力だけで星の中枢を目指し、それを成し得たのは紛れもなく偉業です。世界を救うというあなたの志にも偽りは無かったと私には解ります。あなたの行いを糾弾する意志も資格も、私にはありません。ですが」
蒼い魔女は杖を頭上に掲げ、地面に打ちつけた。
「おまえなんかに、渡すものはなにもない」
宣言と同時にアニエスの体を蒼い焔が覆う。辺りに熱波が吹き荒れた。
蒼炎が形を成してゆく。発端たる少女の意志のまま、外套のように。
「――――“魔装・蒼炎陽光”」
それは蒼く小さな太陽の如き苛烈な魔法だった。
己の魔力を焔に変え、その身に纏う決戦用の力。
礼装とは名ばかりの敵を滅ぼすためだけのもの。
「……私に魂を転写すると言ったわね。やれるものなら、やってみろ」
定められた式の通りに石碑より生じた靄、かつてこの山の頂で人類の復興を目指した魔法使いの成れの果ての魂が、碑を起動させたアニエスの体に向けて蠢く。
思念が再生された時点で転写の魔法は発動していた。現在この空間は大公の魂、その内にある莫大な情報を複写する事にのみ機能を発揮しており、あとは対象の魂に触れれば完了する。
だが。
【――なぜ、拒む】
大公の魂は少女の魂に触れられない。触れれば即座に術式が焼き払われる。生前の大公と同等の魔力を持ったこの少女が相手では、万が一にも転写は成功しない。
かつて遺した意志を実行するだけの存在である妄念は、己の意義を実行出来ずに当惑に近い状態に陥っていた。
【――人は、導く者がいなければ栄えられぬというのに。私が在らねば、この星の人類は朽ちてしまう。我が知識を受け入れよ。我が意志を。…………全てが、終わってしまう――】
それはかつて真にヒトの未来を憂えた者の言葉ではあった。悪を為しこのような姿になったとはいえ、思念は思念。アニエスにはこの残響が何を想ってこうしたのかがわかってしまう。
この星の人類の未来を想うならば、かつて大国を治めたこの魂よりその知識を譲り受けるべきだろう。魂の転写と言っても死に際に急ごしらえで用意された不完全な術式。アニエスの魂の強度であれば、人格そのものまでが侵害される可能性は低い。
だが、少女はその未来を選択しなかった。
「私は、この星の未来には関与しない。もう誰の運命も変えたくない。けれど、私達の旅を邪魔する相手にいいようにされるつもりもない」
その放埓と暴虐こそが彼女の答えだった。
そのまま、払うように手を振るう。
「……起こしてごめんなさい。さようなら」
別れの言葉と共に、蒼い焔が躍る。
その瞬間、数百年に渡って長らえた妄執は跡形も無く焼却された。
***
地下空間での探索を終え、四人は庭園へと戻った。
時刻は既に夕方。
大公を名乗った者が遺した魔法を打ち破った後、アニエスとフィーネが工房内を徹底的に調査していたため、ずいぶんと時間が経過している。
調査の結果、二人はあの石碑を起動した際に語られた内容は全て史実であると判断した。
「……まったく。エラいことになっちまったなぁ」
島の伝承者の役割を一身で担うレジェは嘆息気味に言う。隣のリデルも同じ意見と言わんばかりの表情を浮かべていた。
自分達の先祖の由来が判った。だが、それは決して栄光に溢れる歴史ではない。苦悶の末に、辛うじて幸運から掴み取った自由なのだ。まだ幼い二人の肩には些か重過ぎる。
「……突然過ぎて、まだちょっと整理がつかないです」
「俺もだ。他の連中に伝えたらどうなることやら」
「その判断は二人に任せるわ。私達が干渉する事じゃないから」
「少し、考えてみます。……あの、もうここに他の怪物はいないんでしょうか?」
「うん。みんなに危害を加えそうだったのはゴーレムと地下の魔法だけだよ。ゴーレムは壊したし、地下の魔法もアニエスが燃やしちゃったからもう大丈夫」
つまりは、もうこの頂上に禁忌とされていた原因である危険は無いという事だ。
これまで島民の立ち入りは禁じられていたものの、それに従わなかった前例は過去に何度もある。伝承者はレジェの代の内に様々な調整を余儀なくされるだろう。
望み通りに過去の出来事を知ったが、近い将来の重労働を思って少年は再びため息をつく。
しかしそこで心境を切り替えたのか、ここまで助力を得た旅人の二人に尋ねる。
「お前らはこの島の歴史を知ってどうするつもりだったんだ? そこらに言いふらすとは思ってねえけどよ……なんかの役に立つのかよ?」
昨夜の問いかけの続き、動機と意図を求める内容だった。
昨日のアニエスの答えは具体的ではなかったため、改めて意志を表明する。
「……あなたと同じよ。私は自分のわからない事を少しでも多く理解したいだけ」
「なるほどな。で、満足いく結果は得られたか? ずいぶんあのねぐらを調べ回ってたろ」
「ある程度は」
「そりゃなによりだ。金色の、お前は?」
「ボクはアニエスほど真面目じゃないけど大体一緒かな。知らないことに触れるのが面白いから旅をしていて、今回は島のことが気になっただけだよ」
レジェは苦笑しながら、その解答に一応の納得を見せる。
「要するにお前らの気まぐれってことだな。まあ、さっき青色のに言われた通り、俺も興味本位で頂上に手を出したんだ。それについてとやかく言う気はねえよ。なにより俺だけじゃ一生知れない歴史だった。ありがとうな」
協力への礼を述べ、伝承者の少年は問いを重ねた。
「それで、俺たちには何をするわけでもない……そういう理解でいいんだな?」
「ええ。私達はただの放浪者だから」
それは、決して島の住民を害さないという宣誓であると同時に、滞在の対価を支払いはしてもそれ以上の恩恵を与えるつもりも無いという意志表示に他ならない。この島の誰もが持たず、二人の旅人が持つ魔法の力を教えはしないという事だ。
言外にそれを理解したレジェだが、気を悪くした様子は見せなかった。
「ならしかたねえな。それで、このあとどうするんだ。まだこの島に用があんのか?」
「もう少し調べたい事があるから予定通りあと八日ほどは町に滞在させてもらうわ。あなた達にもまた協力してもらうかもしれない」
「逆に島の人たちからお願いがあったらとりあえず言ってみてね。アニエスがいいよって言うことならボクが手伝うから」
「お客さんにお仕事を手伝ってもらうわけには……でも、なにかあったらお願いしますね。きっとみんなお二人のお話が聞きたいと思うので」
庭園を出て、アニエスはリデルとレジェから卵型の魔法器を回収した。
用が済んだ四人はバギーに乗り、頂上を下る。
帰り道ではリデルもレジェもほとんど口を開かなかった。半日ほど頂上で過ごし、緊張状態が続いていた事で疲労があったのだろう。
町に戻ると族長以下、住民達が大挙して待ちかねていた。
まずはみな四人の無事に安堵した様子だったが、すぐさま頂上で何があったのか、そもそも本当に向かったのかと問われる。
アニエスとフィーネは質問への対応をレジェに任せ、理由をつけてその場を後にし借りている家へと戻った。
念のため周囲に誰もいない事を確認してから、フィーネが口を開く。
「大体は予想通りだった?」
「まあね」
あっさりと、アニエスはそう答えた。
彼女は島の地形が本来山脈だったであろう事は訪れた時点で判っており、星の大半が水に覆われている理由も魔法による事件でまず間違いないと考えていた。
島の住民に関しても、魔人化が人為的なものであり意図的な調整が施されているであろう事は予期していた。その改造を行った人物の思想や、なぜこうなったのかという因果については蓋を開けて判った事だが。
「この星にも秩序と混沌の宗教があったとはね。フィーは知っていた?」
「知らなかったけどあってもおかしくないとは思ってたかな。どこの星でも秩序は大体一緒だろうし。魔法使いがいるんだから誰かしらが混沌の方にも気づくでしょ」
「その辺りの歴史は私達の星とそう変わらない……か。文明が沈んでしまっている以上、そこを掘り下げてもあまり意味は無いわね」
予定調和の答え合わせが終わり、二人がさらに知りたいと望むのは。
「それよりも。アトリエの記録から読み取れた二度目の洪水がいつ起きるのか調べないと」
この星に何時か訪れる、次なる災禍についてだった。




