第22話:魔女は洗い、御子は泳ぐ
「じゃあ、体を洗うからちょっと待っていて」
「はいは~い、ボクは先に入ってるよ~。そ~れ!」
そう言うや否や、全裸のフィーネは湖面へと飛び込んだ。
彼女は自分で張った魔力障壁を越え湖の深いところへと陸上のユニコーンが走るよりも速く泳いでいったが、アニエスはそれを見なかった事にする。
人間で言う下心のようなものを持った湖岸にいる魔獣達はともかく、さすがに魚に対して友人の裸を見られたと憤るほど狭量でもない。
(……大丈夫。あの馬以外に悪い虫は何もいない)
だが、万が一にでも水中にヒトに類する生き物がいた場合。
その時は、アニエス・サンライトという名の魔女はその心火で湖を蒸発させかねない。
幸い、彼女の異能は湖に住まう生物から自分に理解出来る思念を感知しておらず、島の水源が干上がる心配は無かった。
過剰な心配を終えたアニエスは、友人に告げた通り自分の体を清める支度をする。
「“属性変換・火転水成”」
アニエスは魔法によって自らの火の魔力を水の性質の魔力へと変化させた。
魔力や魔法には七つの属性がある。
火、水、風、土の物質や事象を構成する基本四属性。
次に光と闇という世界の指向性を示す象徴二属性。
最後の一つは無属性と呼ばれ、何れにも属さぬ例外を指すためのものだ。
アニエスが持つ魔力は火の属性が最も強く、次いで光と風の二属性も保有している。
水、土、闇の三属性は本来使えない力だが、魔力の性質を変換する魔法を用いればそれなりの精度で扱う事が可能だった。
「“水球”、“加熱”」
アニエスは魔法で粘度を有した水の球体を作り出し、火の魔力で好みの具合に加熱する。
これまでの旅でも幾度と無く用いた、即席の湯船兼洗い場が出来上がった。
そのまま温まった水を自動操作の魔法で自身に這わせ、しなやかな肢体を清める。
「……ふぅ」
一日の汗を流した後は、腰に届く長さの髪を丁寧に洗う。
彼女の友人の金髪は何もせずとも本人の容姿における最善が保たれるが、魔法使いと言えど人間の身ではそうもいかない。
アニエスは傍に立つ相手の引き立て役になれる程度には身だしなみに気を遣って整えていた。
(……もう少し伸ばそうかな。フィーほど綺麗にはならないだろうけど)
微かに悩まし気な様子は、仮に裸でなくとも男性を魅了し得る色香がある。
そんなアニエスだが、その美貌でこれまでに異性と何事かがあったかと言うとそうでもない。
なぜかと言えば、アニエスは性的な思考が少しでも自分や友人に向くような事があれば相手に殺意を返していたからだ。
ただでさえ故郷では他人の思考を読む《魔女》の噂が常に彼女について回っている。そこであえて死の危険を冒す物好きはいない。
(頂上は……あの辺り……?)
自動の洗髪中で手持無沙汰のアニエスは魔法で視力を強化し、目を凝らす。
(……星が違うのに、イヤな貴族の気配がする)
島の頂上と呼ばれる場所には、確かに古びた邸宅という趣の建物があった。
アニエスの所感としてもフィーネの予想と同じく過去の魔法使いが遺した工房に見える。
それがどのようなものなのかに想像を巡らせつつ、アニエスは一通りの手入れを終えた。
最後に、湯の塊を新しく作成して今度は全身を覆わせて体を温める。
(……きもちいい)
日々のささやかな楽しみで旅の疲れを癒しつつ、蒼い髪の少女は友人の帰りを待つ。




