第10話 反省と起点 ②
「そう言えば、無かったな」
どうしたものか。京輔は明日の時間割りを確認しながら、取り立てて急ぐ課題は出されていない事を思い出した。
「ん? 着信?」
淑やかで心地の良いメロディー。零音の手伝いに行くか、それとも大人しく寝てしまおうか、と京輔が考えていた矢先。狙いすましたかのようにベッドの上に置かれた携帯端末が音を鳴らした。
「こんな時間に……───なんだ、お前か」
携帯端末を手に取り、一瞥する。そこには京輔が良く知る幼馴染の名が表示されていた。通話のロックを解除し、液晶画面を上に向ける。すると目前にA4サイズほどのホログラム映像が出現した。
「こんばんは。まだ起きてると思ったから掛けてみたの」
明るくハキハキとした声。映像内は、恐らく本人の自室であろう、可愛らしい小物が散見できる。そしてその中心に春奏の姿があった。
「ああ、お前の言う通り……んんっ?」
「あっ、気づいた? ふふっ、どう? 似合う?」
「……おい」
京輔は呆れ、ため息をついた。その理由は春奏の服装にある。着用していたのは胸元のレースが目立つコスモス色で露出度の高いキャミソール。映像では上半身しか写っていないが、下もお察しであろう事は想像に難くない。
「脱げ、着替えろ」
幼馴染のあられもない姿に京輔は言葉を挟まずにはいられなかった。
「えっ? ……うん、分かった」
「……っ!? 馬鹿かっ!? その場で脱ぐなっ!」
怒号を聞き、春奏は慌てて映像から隠れる。ほどなくして、薄手のパジャマに着替え直し、若干涙目になっている春奏が戻ってきた。ようやくそこで京輔は本題を切り出す。
「で、何か用があるんだろ」
「ええ、そうよ。……その前に、えっと、もう怒ってない?」
「怒ってない。それに俺もきつく言い過ぎたな。すまん」
「ううん、私が悪いの。本当にごめんなさい……っ」
春奏の表情にはもうすっかり覇気が感じられない。肩を落とし、静かに鼻をすする仕草も相まって、居た堪れないほどの悲壮感が京輔を襲った。
「……いいんじゃないか」
「……えっ?」
「似合っていた、と思うぞ。さっきの」
「……本当?」
「ああ。だからそんな顔するなって」
慣れない事をしている、という自覚はあり、バツの悪そうな顔で無意識に首を掻く。だが、これ以上春奏の表情が曇るのは京輔にとって忍びなかった。
「えへへ。京輔、やさしい……」
春奏は呟きながら指で目をこすり、朗らかに微笑む。どうやら京輔のフォローが功を成したようである。
「あー、取りあえず。用っていうのは明日のことだろ?」
暗い雰囲気も消え、ほっとしたのも束の間。京輔は急に自身の取った行動に気恥ずかしさを覚えた。それを誤魔化すために少々早口で春奏に尋ねる。
「ええ。明日の夜はどこに行くか、二人で決めようと思ったの」
幸い、京輔の羞恥に春奏は気づかず、嬉しそうな顔で目的を話した。
「なるほどな。春奏は何か行きたいミッションとかあるのか?」
「そうねぇ、私は星六以上でもいいと思うけど、京輔と一緒ならどこでも構わないわ」
京輔の問い掛けに、いや、ポリスで買い物を楽しむのも……、と春奏は目を輝かせる。
「星六以上か」
視線をそらし、京輔は考え込む。ミッションの星とは難易度そのもの。星一から順にハードルが上がっていき、現在の最難関である星七に至ってはたとえLv.70代だとしても一筋縄ではいかない仕様となっている。京輔はその事を考慮していたため、あまり上位のミッションには行っていなかった。
「安心しなさい。いざという時は私が守るから」
絶対にね、と春奏は語気を強めて締めくくる。その言葉を聞き、京輔は視線を戻した。
「お前のあれは反則に近いからな」
春奏と目が合う。その目は圧倒的で威圧的なまでの自信に満ち溢れ、沈んでいた時の面影等はカケラも残していなかった。
「そう。私の“矜持反照”は無敵よ」
得意満面。春奏は勝ち誇った表情でそう告げる。京輔はそれを受け、何事かを決心したのか、うんうん、と相槌を打った。
「よし。それを信頼して星七に行ってみるか」
「えっ、嘘っ、いいの?」
「絶対に負けないんだろ? じゃあ問題ないな」
星七には一度も出向いた事が無い。しかし、次回のミッションはまあまあ強気に選択してもいいだろう、と京輔は思い切る。それほど春奏の存在は大きな決めてとなった。
「わっ、やった! いいわ、今すぐ行きましょう!」
「それはない」
はやる気持ちは分からなくもないが、と内心、苦笑しつつも京輔はきっぱりと断る。
「えぇ〜。……まあ、いいわ。明日の楽しみにする」
「そうしろ。じゃあもう寝るから切るぞ」
「まっ、待って! ちょっとまだ、お喋りしていたいなって思うんだけど……」
「悪いが少し疲れてるんだ。明日にしてくれないか?」
用件は済み、京輔は通信を終えようとした。トライデルタをプレイする上で注意しなくてはいけない事の中には『ゲーム終了後の疲労感』というデメリットがある。個人差はほとんど無く、プレイヤー皆かなり軽度なものと言われているが、どうにも砂浜の戦闘による疑似疲労は京輔にとってそこそこ応えたようだ。
「もしかして、さっきまでトライデルタにいたの?」
「さっきってほどではないが、星四に行ってたな」
「そう……。私も行きたかった……」
「お前は部活だろ」
どこか甘えるような声音で不満を漏らす春奏。それに対して、変わらないな、と思いつつ京輔は諭すように宥めた。
「そうだけど……、あれっ?」
春奏はハッとして息を呑む。それと同時に眉をしかめ、身体を強張らせた。
「ねぇ、京輔。一人で行ったの?」
「いや、二人だ」
「誰と?」
「零音と」
返答を聞いた途端、春奏の雰囲気が変わる。先ほどからの態度が嘘のように酷く神妙な顔つき。今度は逆に京輔が動揺する事になった。
「ふぅーん、零音ちゃんと……」
「あ、合間を縫って手伝ってくれたんだ」
感情が読み取り辛い、平坦な抑揚でそう言葉を綴る。春奏は幼馴染ゆえ、京輔の妹である零音とも大分親しい。
「ごめんなさい。やっぱり今日はここまでにしましょう」
「分かった。……あー、あと、明日はちゃんと朝練に行けよ」
「ええ、そうするわ。じゃあね、京輔。おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
京輔は通信を切るとベッドに身体を投げ出した。
「どうしたんだ、急に……」
悩ましげな表情。春奏の真面目くさった顔を見て、京輔は怪訝に思った。
「まあ、いいか」
明日は星七ミッションの攻略をする。砂浜以上の疑似疲労が溜まる事は明確であるため、それに備えて眠る事を選んだ。




