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死にたがりの機械人形と紅茶作り

 その日は源次郎が目覚めることもなく、外に葉を晒したまま彼の看病をし続けた。

 この病に罹患してしまえば、もう治ることはない。食事も満足に食べられず、ひたすら己が侵されていくことを見守るしかないのだ。

 深夜、室内はすっかり夜闇に浸食されており、小さな豆電球が隙間風に揺らされている。彼が愛用していたロッキングチェアに座っていると、ふと源次郎が目を覚ました。

 ずるりと首だけをこちらに向けて、口端をゆっくりと曲げる。

 暗闇に浮き上がる顔は、何故だか楽しそうだった。

「……その椅子、俺のだぞ」

 荒い息だ。

「悔しかったら僕をどけなよ」

 へ、と彼は吐いた血に塗れた布団の中で笑った。

 僕は台所に用意していた食事を器に移して、源次郎に差し出した。

「とりあえず、食べなよ」

 突きつけた器を源次郎は手に取って、僕がまた別に差し出したスプーンは受け取らず、直接ごくごくと食事を口へ流し込んだ。しかし、彼は咽て食事を口からこぼしてしまう。その口端から食べかすと一緒に血の塊が落ちてきた。その血の中に、夜色に染まった紺が混じっていた。

「いつから」

 僕は手拭を渡して、問い詰める。

 受け取る余力はないようなので、僕は無理やり彼の口元を拭った。

「さぁな」

「汚染生物の血を浴びた時から?」

 血液感染。

 僕は思い当たることを口にすると、彼は面倒そうに首を横に振った。

「今さら原因を突き止めたって仕方ないだろ」

「仕方あるね」

「ない」

「ある。なんで隠してたんだよ」

「……うるせえなぁ」

 源次郎は空になった器を押し付けてくる。

 器を受け取ることが出来ず、ぐわん、と音を立てて地面に落ちた。

 僕がうるさいのは知っている。今ここで何を口にしても、全てが薄っぺらくなることも知っていた。ご主人の時も、そうだった。伏せっていたご主人が「そろそろ死ぬなぁ」とぼやいたことがある。なんとなしに元気づけようとして「死なないよ」と口にしてみた時の虚しさといったらなかった。

 少し落ち着いたのだろう。源次郎は肘を突いて半身を起こして、しんどそうに僕を見やった。

「それより、晒した葉は取ってきたのか?」

 首を横に振る。

 彼はいつも通り、小さく嘆息して腕を払った。

「馬鹿野郎。花、早く取ってこい」

 弱っているくせに憎まれ口は達者なことだ。気丈に振る舞っているのだろうが、その姿は痛々しい。

 僕は彼に抵抗もせず、外に晒していたザルを拾いに行った。ザルの中の葉は、もうかぴかぴに萎びきっている。

 源次郎の前にザルを持ってくると、彼は葉をひとつ摘まんで、手のひらに乗せた。

 そして両手を重ねて葉を挟み、擦らせていく。

「こうやって手揉みするんだ。少しずつよ、潰していくんだ」

 僕は彼に習って葉をいくつか手に取り、同じように両手を重ねて葉を転がした。

 葉は芳醇な香りを放ちながらボール型になっていく――が、源次郎は首を横に振った。

「だめだ。石、取ってきてくれ。手に収まる程度でいい」

 言葉を引き受けて、僕は付近の瓦礫の山から手のひらに収まるほどの石を拾ってくる。

 源次郎に石を渡すと「葉に傷を入れなくちゃいけねえんだ」と言って、石を使って葉を圧し潰し始めた。時には押し付けたり、乳棒代わりに擦らせたり。小一時間ほど経過した後、源次郎が葉から手を離して、小さく言葉を発した。

「あとは三時間くらい、暑い場所で発酵させるんだ」

 そして彼は疲れたとでも言うように、どさり、とベッドに倒れ込む。

「あー、なっげぇなぁ」

 源次郎は心から嬉しそうに目を閉じて、その両目を自身の右腕で覆った。

「源次郎」

「なんだ」

「僕は、源次郎に殺されにきたんだ」

「ああ……だったな」

「殺してくれ」

「お前がいねぇとコバタが完成しないだろ。無茶言うな」

「源次郎」

 懇願するように言うも、彼はへっへっへ、と小さく笑うばかりだ。

「ほれ、さっさと干してこい。近くに蒸し暑い瓦礫のとこあったろ。そこに放置するだけでいいんだからよ」

 安心しているのだろう。

 彼はすぐに寝息を立て始める。

 僕は音を立てないように潰しきった葉を集めて、薄汚いビニール袋に全て回収した。静かに扉を開ければ、源次郎の言った通り、世界の奥から太陽は少し顔を覗かせている。荒れた砂利道を踏みしめながら、僕は源次郎が言ったであろう場所へ向かった。


 三時間はあまりにも長く、時が経過するに連れて源次郎の容態は変貌していった。

 彼の顔は生きていない僕よりも青白く、呼吸すらもないように思えた。死んではいないだろうか。それを確認したくって、軽く頬に触れてみると、僅かだが反応はあった。でも、脈も既に薄くなっている。

 まるで畑で眺めた萎れた花のように思えた。

 それからきっかり三時間と計って葉を回収して戻ると、源次郎は目を覚まして上半身を起き上がらせていた。

「ただいま」

「おかえり」

 と言って、彼は笑う。

「辛気臭い顔するな。さ、それを炒るんだ。台所のフライパンを使え」

 絶えずフライパンの中で回して乾燥させろ。

 僕は源次郎の言葉に従って、葉をフライパンの中にぶちまけて乾燥させる作業に入る。

 葉の水分を飛ばしていく。

 湿った葉は、少しずつ色を褪せさせていった。

「花」

 源次郎に呼びかけられて、僕は振り返らずに「なに」と返事する。

「せめて、人間らしく」

 彼の言葉に、一瞬だけ手の動きが止まってしまう。

「お前のご主人に会ったことはねえがよ。たぶん、最後まで人間らしくいてくれって言いたかったんじゃねえかな」

 源次郎の声は枯れている。

 振り返って、その姿を見るのが怖かった。

 どれほどの高さから飛び降りても、首を吊っても、汚染生物に襲われたって恐怖は感じなかったのに。

「確かに人間は死ぬよ。そりゃもうあっけないもんだ。たくさん見てきたから俺にはわかる」

 僕は声を出せなかった。

 フライパンを炙る音が響く中で、源次郎は続ける。

「でもよ、死って自分から求めるもんじゃねえんだ。向こうから来るもんなんだよ」

 沈黙の中、風が戸を揺らす。

 その音に、ご主人が亡くなったシーンが脳裏に再生されてしまった。縁起でもない。僕はフライパンを炙っていた火を止める。

「死から精一杯逃げた俺だ。お前も探さなくったっていつか追いついてくれるさ」

 生きることは難しくって、生き抜くことは誰にでも出来るもんじゃない。

 僕は黒髪に指を入れて、梳いていく。

 源次郎のように白くはならない髪だ。

「出来たよ」

 振り返って、源次郎に顔を向ける。

 その肉体は既に首筋まで大きな肉塊に覆われていて、その精悍で老け切った顔すらも食らおうとしていた。

「あー、じゃあ水を沸かしてくれ。少しだけでいいんだ」

 彼の説明を受けながら手際よくバケツから水を掬って、まだ熱の残っているフライパンに流し込んでいく。燻りが残っている竈に火を再び点して、煮立たせていく。どこに何があるかも、全部把握している。僕は彼の指示がなくても、もう簡単な調理くらいは出来るようになっていた。

 乾燥した葉を小さな手拭に包んで、少し大きめのコップに押し込んだ。その間に、熱しているフライパンの中で水はぼこぼこと沸騰していく。

 それが完全に沸き切る前に、フライパンを火から離して、コップにお湯を注いだ。

 しばらくしたら、香ばしい匂いがしてきた。お湯もすっかり薄い赤茶色へ変化している。

 温もったコップを持って、僕はベッドへ向かう。

 彼の腕はもうあがらない。

 僕はそっと頭と枕の間に手を差しこんで、彼の口元へ流し込んだ。

 心地よさそうに、源次郎は呻く。

「お前も飲みな」

 促されるままに、僕はそれを口にした。

 もちろん味覚も備わってはいるが、これまでに感じたことのない味ではある。

「なにこれ」

「酒だよ。ちっと特殊な葉っぱでな。紅茶みたいに精製するとアルコールが分泌されるんだ。大昔に流行った製品よ」

「あまり美味しくないと思う」

「は?」

「あまり美味しくない」

 僕が口を尖らせると、彼は意外にも声を出して笑った。

「そうだな。俺もそう思う」

 どくん、と彼の体が大きく揺れる。

 ここで初めて源次郎は苦悶に顔を歪めたけれど、またすぐに笑みを見せてくれた。

「だ、だから、ま、まま、また、つつつっく、て、くれ」

 喋るのも苦しそうだ。

 耳も近づけてないというのに、異常なほど心音が聞こえてくる。

 彼は一度、大きく深呼吸して、目を見開いた。

 僕は首を横に振る。

「迷惑かけちま、まあ、あああ」

 源次郎の体は脈動する。喉が破けたんじゃないかと思うほどの絶叫だ。

 彼の肉体を浸食する肉塊が、瞬時にして顔を呑み込もうとする。

「ささ、さいご、ごご」

 ばん、とベッドの足が砕けてた。

 ごろん、と源次郎の肉体が地面に転がっていく。

 全身が内臓と化したかのように蠢き、所々からべしゃりと紫色となった液体がこぼれおちていく。

「源次郎」

 問いかけるも、もう声は届かないだろう。

「まち、まままま、ち、ちちちこ」

 その体はもう、人の物とはいえない。

 だというのに、最後の言葉は笑えるくらいはっきりとしていた。

「嫁の、隣に埋めてくれ」

 どうして人はいつも、僕に言葉を押し付けていくのだろう。

 それもまた、人間らしさなのだろうか。

 僕はまだ、わからない。

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