花と源次郎
貫くようにそれは来た。
汚染生物――源次郎は、弾丸じみた速度で跳ねる。
僕は突進を避けることなく、また避ける気もなく受け止めた。
胴体に衝撃が走る。
掘っ建て小屋の壁にぶつかり、爆発音が世界に轟いて、そのまま外界へと投げ出された。
僕は砂塵を散らして地面を転がっていく。
砂埃に覆われて視界不良の中で、赤い眼光がこちらを射抜いてきた。
映像の砂嵐じみた声をあげている。
ゆらりと、僕は立ち上がった。
彼は僕に何を伝えたいのだろう。
「源次郎」
話しかけるけど、彼は答えない。
「源次郎、僕を殺してって何度も言っていたのに」
苦笑交じりに告げる。
空は獣の腹じみた曇天が敷き詰められていて、今にも張り裂けて土砂降りがやってきそうだった。
砂は風に攫われて、彼の姿が浮き彫りになっていく。
源次郎は駆け出して、すれ違い様に僕の体を鋭利な爪で引き裂いた。
ざくりと布は破け、金属繊維の人工皮膚が露わになる。
続いて彼は身を反転させて真横を抜けていき、背後から肉を削いでいく。
こんなに近くにいるのに、僕はまた失ったんだ。
今から随分前、僕は死にゆくご主人に何も出来なかった。
そのご主人が唯一、僕に残した言葉。
せめて、人間らしく。
セクサロイドという自我。僕を構成するプログラムを全て否定されて、せめて人間らしさという有用性を認めて貰いたくて、二年前に死を求めて旅に出た。
そしてようやく、僕を殺してくれそうな人に出会ったんだ。
……出会ったというのに。
色々と時間をかけすぎて、見失ってしまっていた。
「馬鹿だなぁ。源次郎は僕を殺さなきゃいけないんだろ」
一年前、嫌だね、とその老人は言った。
そして僕がもたもたしすぎて、彼は汚染生物になってしまった。
僕を殺してくれるのは、源次郎だけだったのに。
ちょっと、許せない。
……ぽつぽつと、雨が降り出してくる。
俯いたまま、僕は拳を握る。
立ち尽くして、静かに口を開けた。
「本当、嫌だね」
空は雨。
相手を見ないで、呟く。
そう、見たくない。顔は見たくない。僕の源次郎は、源次郎のままなんだから。
「――そうだね。本当にそうだ。嫌だよね、殺すのは。僕、それ知らなかったよ」
もう少しだけでいいから、感じていたかった。
彼の残した言葉が、耳朶に残っている間は。
人間らしさとは何だろう。
僕の衣服は破かれていって、金属繊維にも徐々に亀裂が走っていく。
痛みは感じないはずなのに、なんだかとても痛かった。
思い出の中に、答えはあるのだろうか。
せめて、人間らしく。
――あの日。
僕が無断で入ってきたのに、源次郎は無理やり追い出さずに話を聞いてくれた。
どん、と腹部に衝撃が走る。
そのまま僕はゴミ山に叩きつけられて、奥に埋もれてしまった。
そいつは動かない僕を徹底的に痛めつけるように、目にも止まらぬ速さでえぐり、嬲り、殺そうとしてくる。
思い出せば、ちょっとしたことがとても楽しかったと……今なら思う。
――初めて畑に向かった日。
名前のない僕に花と命名してくれて、何もない僕に力を与えてくれた。
手に重さを感じるということが初めてで、呆然としたっけ。
片足を掴まれて、ずるりと宙吊りにされてしまう。
世界が急速に流れて、
そいつは土を削るように何度も僕を振り下ろし叩きつけた後、力任せに壁へと投げた。
掘っ建て小屋は倒壊して、僕はその向こう側へ流れていき、がらくたのように仰向けに倒れてしまう。
空は天高くから霧雨が降り注いできて、手を伸ばしても太陽に届きそうにない。
そういえば、彼と一緒に夜を眺めたこともあった。
――畑の見張りしていた日。
荒らされた畑を守ると隣に座って、じっと燃え盛る火を見つめていた。
夜空へ砕ける火の粉や、眠そうにあくびする横顔が、少しだけ羨ましく思えたな。
再び、そいつは僕へ突撃してくる。
しかしそう簡単にはいかず、キャメラントが気力を奮い立たせて叫び声をあげた。繋いでいたチェーンを限界まで引っ張り、バジュンと金属音を奏でて鉄の鎖が弾けてしまう。
鎖は全て断ち切られた。
キャメラントは激昂のまま、柔軟な鼻をそいつの足に素早く絡ませた。筋肉質の機器生物だ。元は戦象として活躍していた時期もある。戦力としては申し分ないだろう。
その山じみた巨体でそいつを踏み付けようとするが、遅かった。そいつはキャメラントの丸太じみた足を避けて、横殴りに拳を叩きつける。
足を払われたキャメラントは、ずずん、と体勢を崩して倒れてしまった。
それでもキャメラントは抵抗する。
圧倒的な力の差を見せつけられても。
――象使いの練習をした日。
僕が悪戦苦闘する様子を、頬杖を突いて見守ってくれていた。
僕はもう、機械としてバグを起こしていると思う。
嬉しかったんだ。
どんな時でも、あなたは人間扱いしてくれていたことが。
セクサロイドとして刻まれた僕のプログラム。性欲解消が目的の作り物だというのに、その有用性を利用することなく接してくれたことが。
自己の否定を嬉しがる機械がどこにいるだろう。
それでも素直に話を聞かなかったのは、たぶん、意地になっていたんだと思う。
軽口を叩き合うのも、悪くないと思えていたんだ。
いつもどこか寂しそうだったけれど、隣に居て軽口叩きあえるのは、これから先、絶対にあることじゃないと思えたから。
――いつか追いついてくれるさ、と笑ってくれた。
キャメラントを振り払い、もう何度目か忘れた攻撃が僕に襲いかかってくる。
きっと、僕の首を跳ね飛ばす気だろう。
明確な死が、僕に迫ってくる。
――墓を一緒に作った日。
あなたは悲痛な表情で、ペンダントを抱きしめていた。その人の名前を刻んでいた姿は、一生忘れないだろう。
彼と出会って、たった一年間の生活だった。人間の寿命からみても、それはとても短い期間だろう。それなのに思い出ばかり溢れていて、少し厄介だ。どうしても笑みがこぼれてしまう。
ちょっと悔しい。
死を望み続けた機械人形だというのに。
植物を育てて、機器生物と触れ合って。
本当に、僕にはもったいないくらいの出来事だ。
過ぎ去る時間は早くって、指の間をすり抜けていくのがとても残念で、止められないのを憎く思う。
源次郎にお礼なんて、絶対に言いたくないけれど。
開発者が作り出した性欲解消という自我の外、僕だけが経験して、僕だけが生み出した、僕の兄弟たちにはない、僕が生きた証。
それはご主人が遺した齟齬から発生して、源次郎が組み上げてくれた、壊れた人形。
人間らしさ。
その答えは、まだ出ないけれど。
僕はもう一度、ゆっくりと立ち上がった。
……ああ、雨の音が、とてもうるさい。
汚染生物の速さは尋常ではなく、何かを求めるように花の首へ伸びていく。
その手が届けてしまえば、花は絶命してしまうだろう。
望んでいた死だ。
本当に、結末はなんとも呆気ないものだった。
それは鋏で一本の細糸を断ち切るような、ほんの一瞬。
季節が通り過ぎて、花々が散ってしまうような鮮やかさで。
視界を大きく広げて、顔をあげる。
僕は身を少し屈めて、体を埋めるように彼の腕の内側へ潜り込んだ。
吐息がかかるほどの密着。
そのまま彼の突き出された左の指に手を絡ませて、一息に左腕と胴体を引き千切った。
一瞬遅れて、ぶしゃ、と紫色の鮮血が舞う。
世界が揺らぐほどの叫喚。
バランスを大きく崩した汚染生物の胸部を、細腕で貫いた。
無音の一撃。
汚染生物の厚い肉体の背から、手のひらが天へと咲き誇る。
その背から薄く、羽が生えたような血飛沫が跳ねた。
そして、彼の肉体は駆動を止めた。
走り続けた長い時間は、ようやく終わりを迎える。
風に乗った凧のように力失くした巨躯を、愛おしむように優しく抱きとめた。
雲間を抜ける斜光は温かく、死者を送別する為の道筋のような光が彼を包んだ。
ああ、と唇から小さな吐息が漏れた。
「ごめん、まだ死ねないや」
ただ静かに呟くだけ。
源次郎の墓を作らないといけないし、約束してしまったから。
きっと、僕はまだ立ち止まるわけにはいかない。
空の雨は、まだ止まない。
息が詰まる。
紫色の雫が、僕の目尻から頬へと流れていった。




