第1話 Cランク探索者、配信を始める
二〇二六年、五月。
埼玉県半納市。
世界に《ダンジョン》と呼ばれる異空間が出現してから、すでに二十年以上が経過していた。
二〇〇五年頃、世界各地に前触れなく現れたダンジョンは、それまでの人類の常識を根本から変えてしまった。
内部には地球上に存在しない魔物が生息し、倒せば《魔石》と呼ばれる特殊な結晶を残す。さらに未知の鉱石や植物、特殊な性質を持つ素材まで採取できるため、現在ではダンジョンそのものが巨大な資源地として扱われている。
もっとも、誰でも自由に入れるわけではない。
ダンジョン出現当初は、好奇心だけで内部へ入った一般人が魔物に襲われる事故が相次いだ。その結果、日本では国営の《探索者協会》が設立され、現在では資格を取得した《探索者》だけがダンジョンへ入ることを許されている。
そんな世界で、市河信太はごく普通の大学生として生活していた。
少なくとも、家族からはそう思われている。
午前七時。
市河家の食卓では、いつもと変わらない朝食の時間が流れていた。
父・隆一が新聞を読み、母・美咲がスマートフォンで株価を確認し、高校生の妹・莉奈は朝食を食べながら動画を見ている。
そして信太もまた、焼き鮭を箸でほぐしながら何食わぬ顔で座っていた。
莉奈「うわ、この人またB級ダンジョン潜ってる。すごっ」
スマートフォンを見ていた莉奈が声を上げる。
隆一「莉奈、飯の時くらいスマホを見るのはやめなさい」
莉奈「はーい」
返事だけは素直だったが、莉奈は動画を止めただけでスマートフォンを伏せてテーブルへ置いた。
美咲「またダンジョン配信?」
莉奈「そう。最近面白いんだよ。探索者がリアルタイムでダンジョンに潜るやつ。昨日なんてDランクの人がオーク三体に囲まれて大変だったんだから」
隆一「何が面白いんだか。下手をすれば死ぬんだぞ」
父の言葉を聞いた瞬間、信太は味噌汁を飲みながら視線だけをわずかに逸らした。
隆一「俺には理解できんよ。金になるのは分かるが、命まで賭けてやる仕事じゃないだろう」
莉奈「でも、お父さん。今は昔より安全なんでしょ?」
隆一「安全管理が進んだだけだ。魔物が人間に優しくなったわけじゃない」
美咲「それはそうね」
信太「…………」
実に耳が痛い。
なぜなら、その父の目の前で焼き鮭を食べている息子こそ、探索者だからである。
しかも登録したばかりの新人ではない。
信太は現在、探索者協会から正式に認定された《Cランク探索者》だった。
F、E、D、C、B、A、そしてS。
七段階ある探索者ランクの中で、Cランクは中堅に分類される。単独でのダンジョン探索能力を十分に備え、状況次第では後輩探索者を率いることも求められる立場だ。
もちろん、家族には一切話していない。
特に父には絶対に言えなかった。
莉奈「そういえば、お兄ちゃん今日大学?」
信太「いや。今日は午後の講義が休講になったから休み」
莉奈「いいなあ。大学生って」
信太「その代わりレポートあるぞ」
莉奈「じゃあ、やっぱり高校生でいい」
信太「現金な奴だな」
そんな会話をしながら朝食を終える。
しばらくして父は会社へ、莉奈は高校へ向かった。
母の美咲も自室へ移動し、市河家は一気に静かになる。
信太は自室へ戻ると、ドアを閉めた。
そしてベッドの下から、大きな黒いケースを引き出した。
留め具を外す。
中に入っているのは、ダンジョン探索用の装備だった。
軽量防具、探索者協会の認証端末、救急用品、魔石式ライト、携帯食料。そして専用の鞘に収められた一本の刀。
信太「……よし」
さらに机の上には、数日前に届いたばかりの小型ドローンが置かれている。
探索者向けに販売されている撮影用ドローンで、障害物回避、自動追尾、魔力反応への耐性、映像安定化などの機能を備えたモデルだ。
値段は、一般的な大学生が気軽に買えるようなものではない。
だが信太には買えた。
ダンジョンで手に入れた魔石や素材を探索者協会へ売却しているからだ。
信太「せっかく買ったんだし……今日からやってみるか」
信太はスマートフォンを操作した。
表示されたのは動画配信サイトの管理画面。
チャンネル名は――《シンタのダンジョン探索》。
配信者名は、そのまま《シンタ》。
顔については口元まで覆う探索用マスクで隠す予定だ。
家族に秘密で探索者をしている以上、顔出しなど論外だった。
信太「まあ、最初なんて誰も来ないだろ」
そんな軽い気持ちだった。
この時の信太は知らない。
この配信が、後に日本中の探索者を騒がせることになるなど。
ましてや、自分が世界中から注目されることになるなど、想像すらしていなかった。
◇ ◇ ◇
午前十時三十二分。
信太が訪れたのは、埼玉県内に存在する《奥武蔵第三ダンジョン》だった。
探索者協会による公式難易度はD級。
内部は洞窟型で、ゴブリン、コボルト、ホーンラビットなど比較的危険度の低い魔物が中心に生息している。
ただし深層部ではオークなども出現するため、初心者が一人で奥まで進むことは推奨されていない。
入口に設置された協会施設で探索者証を提示すると、受付職員が端末を確認した。
受付職員「市河信太さん、Cランク。単独探索ですね?」
信太「はい」
受付職員「目的は通常探索と素材採取でよろしいでしょうか?」
信太「あと、今日は配信もします」
受付職員「ああ、配信ですね。撮影許可区域ですので問題ありません。他の探索者が映り込んだ場合だけご注意ください」
信太「分かりました」
受付を済ませ、信太は更衣スペースで装備を整えた。
腰へ刀を差し、ドローンを起動する。
小さな機体が静かな駆動音とともに浮かび上がった。
信太「追尾モード」
電子音声『追尾モードを開始します』
信太が歩けば、ドローンも一定距離を保ってついてくる。
問題なさそうだ。
ダンジョン入口を通過し、安全区域を抜けたところで、信太は配信画面を開いた。
タイトルを入力する。
《新人配信者、D級ダンジョンを普通に探索します》
信太「こんな感じでいいか」
深く考えず、配信開始ボタンを押した。
画面に《LIVE》の文字が表示される。
視聴者数――ゼロ。
信太「まあ、そうだよな」
当然である。
登録者ゼロ。告知もしていない。初配信なのだから、最初から視聴者がいる方がおかしい。
信太はドローンへ軽く手を上げた。
信太「えーっと……初めまして。シンタです。今日からダンジョン探索の配信を始めます。よろしくお願いします」
我ながらぎこちない。
信太「……何を話せばいいんだ、これ」
誰も見ていない配信で一人喋り続けるというのは、思った以上に難しい。
信太は苦笑しながら洞窟を進んだ。
数分後。
視聴者数が一人になった。
コメントが表示される。
名無しの剣道民『初見』
信太「おっ」
初めての視聴者だ。
信太「初見さん、ありがとうございます。今日が初配信です」
名無しの剣道民『装備が刀?』
信太「はい。刀ですね。昔から剣道をやってるので、こっちの方が使いやすくて」
名無しの剣道民『剣道で刀? 珍しいな』
信太「まあ、いろいろ練習してます」
そんな会話をしていると、前方の曲がり角から何かが飛び出してきた。
緑色の小柄な身体。
錆びた短剣。
ゴブリンだった。
ゴブリン「ギャッ!」
信太「おっと」
ゴブリンが走ってくる。
信太は慌てることなく、左手を鞘へ、右手を柄へ添えた。
呼吸を整える。
肩の力を抜く。
足裏から膝、股関節、腰、背骨、肩、肘、手首へと身体を連動させる。
余計な力はいらない。
必要な瞬間だけ、必要な場所へ力を通す。
ゴブリンが間合いへ入った。
次の瞬間。
銀色の軌跡が走った。
ゴブリン「ギャ――」
声が途切れる。
信太が刀を振り抜いた時には、ゴブリンの身体は上下へ分かれ、そのまま光の粒子となって消えていった。
床へ小さな魔石が落ちる。
信太「まず一体」
刀についたわずかな汚れを払い、鞘へ戻す。
コメント欄が止まっていた。
信太「……あれ?」
配信が切れたのかと思ったが、《LIVE》表示は残っている。
数秒後。
名無しの剣道民『いや待て』
名無しの剣道民『今の何?』
信太「何って……普通に斬っただけですけど」
名無しの剣道民『普通?』
信太「はい」
名無しの剣道民『いや抜刀速すぎない?』
信太「そうですか?」
信太としては、ごく普通の動きだった。
むしろ今の相手はゴブリンである。
本気を出す必要すらない。
すると視聴者数が二人になった。
さらに三人。
五人。
どうやら最初の視聴者がどこかへ共有したらしい。
新人探索者好き『初見。剣道民から来た』
ダンジョン考察ニキ『D級ダンジョン?』
名無しの剣道民『今の戦闘見てくれ』
信太「いらっしゃい。奥武蔵第三ダンジョンです」
ダンジョン考察ニキ『ここD級だな』
新人探索者好き『新人?』
信太「配信は今日が初めてですね」
新人探索者好き『探索者も新人?』
信太「いや、探索者は少し前からやってます」
わざわざランクを言う必要もないだろう。
信太はそう考え、そのまま奥へ進んだ。
しかし、しばらくすると今度は三体のゴブリンが現れた。
前方に二体。
右側の岩陰から一体。
信太「三体か」
ゴブリンたちが同時に襲いかかる。
信太は刀へ右手を添えた。
正面から一体。
右から一体。
少し遅れて、奥の一体が石を投げようとしている。
信太「それなら――」
身体強化。
魔力を全身へ均等に流す必要はない。
右脚。
腰。
右肩。
右腕。
その瞬間に必要な場所だけへ魔力を通す。
信太の身体が一気に前へ出た。
右手一本で刀を握り、刀身を地面と水平に寝かせる。
切っ先が、一直線にゴブリンへ向いた。
信太「――右片手平突き、壱式」
鋭い刺突が、正面のゴブリンを貫いた。
そのまま手首を返す。
突きを外した時でも、次の斬撃へ移行できる。それがこの技の強みだった。
横薙ぎ。
二体目の首が飛ぶ。
そして石を投げようとしていた最後の一体へ向かって、信太は地面を蹴った。
一瞬で間合いを詰める。
斬撃。
三体目が消滅した。
信太「よし」
戦闘時間は、わずか数秒。
信太は落ちた魔石を拾い始めた。
その間に、コメント欄が一気に流れ始める。
新人探索者好き『?????』
名無しの剣道民『待て待て待て』
ダンジョン考察ニキ『何だ今の加速』
名無しの剣道民『片手突き!?』
新人探索者好き『身体強化使った?』
信太「使いましたよ」
ダンジョン考察ニキ『全身強化?』
信太「いや、必要なところだけです」
名無しの剣道民『必要なところだけ?』
信太「全部強化すると魔力がもったいないので。動く順番に合わせて、脚、腰、肩、腕って感じで流してます」
コメント欄が再び止まった。
信太「……?」
何か変なことを言っただろうか。
ダンジョン考察ニキ『それ普通にできることなの?』
新人探索者好き『俺Eランクだけど無理』
名無しの剣道民『それ以前に剣の動きがおかしい』
信太「そんなに難しくないと思いますけど」
少なくとも信太にとってはそうだった。
身体から余計な力を抜き、骨格を連動させ、必要な瞬間だけ魔力を乗せる。
ただ、それだけだ。
視聴者数が十三人になる。
二十人。
三十二人。
初配信としては明らかに異常な増え方だったが、配信経験のない信太には、それがどれほど珍しいことなのか分からない。
信太「じゃあ、もう少し奥まで行ってみます」
名無しの剣道民『ちょっと待って』
ダンジョン考察ニキ『もっと見たい』
新人探索者好き『この新人なんかおかしいぞ』
信太「おかしい?」
コメントの意味が分からず、信太は首を傾げた。
その頃。
半納市内にある高校の教室では、昼休みを迎えた莉奈が友人たちとスマートフォンを眺めていた。
友人「莉奈、これ見た?」
莉奈「何?」
友人「新人のダンジョン配信者。SNSでちょっと回ってきた」
友人が見せてきた画面には、一人の探索者が映っていた。
顔はマスクで隠れている。
腰には刀。
配信者名は《シンタ》。
莉奈「へえ、新人なんだ」
何気なく映像を見る。
ちょうど《右片手平突き・壱式》を使った場面だった。
莉奈「…………」
友人「すごくない?」
莉奈「うん……」
莉奈は画面を見つめた。
何かが引っかかる。
刀を構える時の姿勢。
肩の力の抜き方。
そして何より――。
莉奈「……この人の動き、どっかで見たことあるような……?」
だが、すぐには思い出せなかった。
一方その頃、そんなことになっているとは知らない信太は、視聴者数が五十人を突破した配信画面を見ながら呑気に首を傾げていた。
信太「初配信でも、意外と人って来るんだな」
名無しの剣道民『いや普通は来ない』
ダンジョン考察ニキ『あなたがおかしいんです』
新人探索者好き『ところでシンタ、探索者ランク何?』
信太「ああ、ランクですか?」
信太は特に隠す必要もないと思い、何気なく答えた。
信太「Cランクです」
コメント欄が、一瞬だけ静止した。
そして次の瞬間。
名無しの剣道民『C!?』
新人探索者好き『新人じゃねえじゃん!』
ダンジョン考察ニキ『配信新人って意味だったのかよ!』
信太「最初からそう言ってますよ?」
本人だけが、なぜ視聴者たちが騒いでいるのか理解していなかった。
こうして――。
後に日本中の探索者からその名を知られることになる配信者の、あまりにも静かな初配信が始まったのである。




