1話 なあなあ、お前ら付き合ってんの?
奈宮です。
この話は普通の子が主人公です。もしかしたら、普通ではないかもしれませんが。
最悪ではないけど、自分にとっては苦しい。そんなことばかりに悩むお話です。
全25話。
よろしくお願いします。
高山加奈子は普通の女の子だった。
とある市内に生まれ、穏やかな両親に育てられた。家庭はお金持ちというほどでもなく、貧乏というほどでもない。
母はスーパーに向かうと、商品が値引きされているかを気にかけ、他店でより安いものが無いかよく調べていた。
父は中小企業で営業の仕事に就き、連日スーツで出勤しては疲れた顔で家に帰ってきたのを加奈子はよく見ていた。
幼稚園に通い始めると、加奈子は先生の言うことをよく聞いた。他人のおもちゃを奪ったり、お友達の作りかけの砂のお城を潰したりして先生を困らせたことなど一度もない。
外で遊ぶことは好きだったので、他の園児と鬼ごっこやかくれんぼに興じることが多い。
足も速い方で、男児に引けを取らないほどだった。
加奈子の性格を一言で表すと、「明るい子」である。
ある日、幼稚園で女の子にこう言われた。
「ねえねえ加奈子ちゃん。わたしとも遊んでよ」
優花ちゃんという女の子だった。
彼女は外に遊びに行こうとしている加奈子の園児服の袖を掴んでいる。
彼女は外で遊ぶのが苦手で、自由時間でも屋内にいるような子供だった。
そんな彼女から遊びに誘われて加奈子は驚いた。
どうして優花ちゃんは私を誘ったのだろう?
加奈子と優花は以前から関わりがあったわけではなく、どちらかというとあまり喋ったことがない方だった。
地味で存在感の薄い子。言葉にはできなかったが、加奈子はなんとなくそういう印象を彼女に抱いていた。
「うーん。優花ちゃんも一緒に外で遊ぼうよ」
「……じゃあいい」
そう言って優花ちゃんはそっぽを向いてしまった。
加奈子には訳が分からなかった。加奈子にできる最大限の提案だったのだが、彼女にはなぜか受け入れられなかった。
「行こうよ。みんなで遊んだら楽しいよ!」
加奈子は優花ちゃんの手を引っ張った。優花ちゃんは突然引っ張られて体ががくっとなった。転びそうになった優花ちゃんを加奈子は全身で受けとめた。抱きしめるような体勢だ。
「大丈夫?」
優花ちゃんはそれには答えなかった。
「……遊ぶ」
今度は受け入れられたようだ。加奈子は嬉しくなった。優花ちゃんの手を引いて、加奈子はみんなが待つ運動場へと向かう。
加奈子は彼らと楽しい鬼ごっこに興じた。
このように、加奈子は自分のいる方に他人を引き入れることに何のためらいもなかった。
そんな加奈子も成長し、幼稚園を卒園した。人生の次のステージへと移ったのだ。
小学校の入学式で、加奈子は可愛い着物に身を包んだ。
お母さんがどうしてもと言って、着ることになったのだ。着てみた感想としては、「重くて動きづらい」というものが正直なものだった。
早く脱ぎたかったが、加奈子はお母さんが「かわいい!」と喜んでいたので我慢することにした。
翌日、初登校日。
加奈子は自室の真ん中に鎮座するランドセルを眺めていた。
◆ ◆ ◆
一か月ほど前、両親と祖父母と一緒にランドセルを買いにショッピングモールを訪れた。
ランドセルコーナーには数多くのランドセルが並んでいた。
黒、赤、青、ピンク、紫、緑。濃淡まで含めると一体何色あるのだろうか。
加奈子には数えることができなかったが、いっぱいであることは確かだった。
加奈子と同じように来年一年生になるのであろう子供が「これ! これにする!」と楽しそうにランドセルを指さしていた。彼は緑色のランドセルに目を奪われているようだった。
彼の父親がそれを手に取って、母が優しい笑顔で彼を見ていた。
「お母さん。私、あれがいい!」
加奈子の人差し指が示した先には、黒色のランドセルがあった。
それを見た母は、驚いたような顔をしてから、少し困った顔になった。
「いいんじゃない。ねえ光晴」
母が父の顔を見た。
「うん。いいと思う」
肯定した父の顔は、言葉とは違うことを言いたげだった。
「いや、赤がいいだろう。なあ加代」
そう言ったのは祖父だ。
加奈子は祖父が苦手だった。いつも腕を組んでいて、怖いのだ。表情もむすっとしていて、一緒にいると妙にドキドキするのだ。
それに、何か変なことをしたら幼稚園の先生よりも強く怒る。それが加奈子は一番嫌だった。
「そうねえ。やっぱり女の子だもの」
おばあちゃんはいつもお菓子をくれるので好きだ。でも時々嫌だなと思う時もある。
「ちょっとお父さん。色は加奈子に選ばせるって言ったよね」
「そうだが、黒は変だろう。黒は。他の色ならいいが、黒にするぐらいなら赤にした方がいい」
加奈子は黒のランドセルがよかったが祖父にわがままを言うのが怖くてそれ以上は言えなかった。
父と母に視線を向けた。加奈子は二人に黒色を購入するように言ってほしかった。
ところが、母は「でも……」と反対しようとしたが、何かを飲み込むように黙り、父は「そうですよね」と笑っているのか微妙な表情をしているだけだった。
ランドセルを買いに行ったその日の夜、父は加奈子の背を撫でた。二人はテーブルに置いたランドセルを見ていた。
「なあ加奈子。このランドセルも可愛いだろう?」
父は笑顔を浮かべていたが、どこか浮かない笑顔だった。
「うん! 加奈子。これも好きだよ」
加奈子は赤いランドセルを抱きしめた。その腕に力はこもっていなかった。
◆ ◆ ◆
そのランドセルが、今、加奈子の部屋の真ん中を占領している。
加奈子はそれを、当たり前のように背中に背負った。すでに教科書と文房具は入っている。ずっしりとした感触が加奈子の肩にのしかかる。
そのままリビングに向かうと、母が朝食を用意していた。今朝の献立は目玉焼きと食パンだ。父はスーツを着て温かいコーヒーを飲みながらテレビのニュースを眺めていた。
「おはよう加奈子。ランドセル似合ってるよ」
「おお。いいじゃん。これで小学校生活も安心だな」
購入してから一カ月もたって、父と母はランドセルの色に関して口にすることは無くなった。いや、と言うよりも購入した日の翌日から色に関して一切触れなかった。
「おはよう! お父さん。お母さん」
「ほら食パン焼くから歯磨いておいで」
母に促されて、加奈子はランドセルをソファにおいて洗面台に向かった。
幼稚園までは母に歯磨きを手伝ってもらっていたが、小学校に上がったのを機に一人で歯磨きをすることになっていたのだ。
上手に磨けているか後で母のチェックが入るので、加奈子は入念に歯を磨いた。
リビングに戻ると母のチェックを受ける。母は「よし!」と親指と人差し指で丸を作った。
椅子に座って、加奈子は食パンの上に目玉焼きを乗せた。加奈子はこれがお気に入りだった。
「お母さん。美味しい!」
「そう。よかった」
「今日の目玉焼きは九十点かな。ちょっと黄身が固いかも」
「あらら。手厳しい」
「加奈子は美食家だな。あ、そろそろ行こうか」
父が腕時計を見てそう言った。
「もうこんな時間。加奈子も早く食べちゃって」
加奈子は急いで食パンと目玉焼きを食べ終えた。
ランドセルの他に、母に持たされた大きなバッグを二つ抱えて、加奈子は玄関に向かった。バッグの中には学校で使う様々な道具が入っている。
加奈子は重たいと思ったが、文句は言わずにバッグを持つことにした。
玄関で父が革靴を履いていて、加奈子を手招きしていた。
「ほら加奈子。早く早く」
父が会社に向かう道と、加奈子が学校に向かう道は途中まで同じだった。一緒に登校する友達ができるまでは父と一緒に登校するのだ。
「待ってー。お父さん」
加奈子は靴を履いて、重い荷物を抱えて家を出た。それから一分もしないうちに見かねた父がバッグを二つ持ってくれた。
とても身軽になった加奈子は駆けだした。走ることは好きだ。四年生になると部活動というものがあるらしく、加奈子は走ることができる部活に入ろうと思っていた。
「ちょ、加奈子―」
加奈子が突然走り出すことは父も慣れているので、叱ったりはしない。ただ大人の父にもバッグは少し重く、置いてかれそうになっているのだ。
楽しい気分のまま加奈子は走っていた。ランドセルがバタバタ音を鳴らしていたけど、気にならなかった。
パ、と加奈子が立ち止まった。
やがて息を切らした父が追いついた。父は額の汗を拭って、加奈子の視線の先を追った。
「どうしたの加奈子。いきなり止まるなん――」
父の言葉は途切れたが、加奈子はそんなことには気が付かなかった。
加奈子と父の視線の先にいたのは女の子だった。女の子は一人ではなく、三人だった。彼女たちはおそらく、ほぼ間違いなく加奈子と同じ新一年生だ。
三人いたが、加奈子と父が見ているのは間違いなく同じ女の子だった。彼女は大きなバッグを一つ持っていた。その背中には黒いランドセルもあった。
加奈子はそれを見て、「あれ?」と思った。
『どうして彼女は黒いランドセルを持っているのだろうか。私も黒いランドセルが欲しかったのに。でもみんなが赤いランドセルがいいって言ってたから赤いランドセルにした。我慢したのに、どうしてあの子は黒いランドセルを持っているのだろう』
そう考えられるほど、加奈子の言語能力は発達していない。
ただ、胸の中に小さな黒い物が生まれただけだった。
加奈子の背中を父が押した。
「ほら、歩かないと学校遅れるぞ」
加奈子は「うん」と返事をして歩き始めた。途中で父とは道を分かれたが、加奈子は黒いランドセルの子から目を離すことはなかった。
学校に着くと、加奈子は一年三組の教室に入った。クラスは事前に知らされていたので、迷うことは無かった。
「あ、加奈子ちゃんおはよう!」
元気な挨拶に加奈子は振り返った。
「ひーくん、おはよう!」
三雲仁志くんだ。彼は加奈子と同じクラスだ。
元気で外で遊ぶのが好きな男子で、加奈子とは幼稚園のころから仲が良かった。
「加奈子ちゃん。ランドセル、黒くない」
仁志君は加奈子の背中を見つめていた。
「ごめんね。でもこのランドセルも可愛いでしょ?」
同じ黒色のランドセルにしようと約束していたのは、他ならぬ仁志君とだった。
加奈子は望んだわけではなかったが、結果として、約束を破ってしまったのだ。
「うん! 可愛い!」
仁志君は笑顔で親指を立てた。
加奈子は「えへへー」と笑顔になった。さっき心にできた黒い物が少し無くなった気がした。
「あ、それより!」
と、仁志君が顔を近づけてきた。用があるのは加奈子の耳のようだ。加奈子は横を向いて、仁志君の声を聞いた。
「ひーくんは学校じゃダメだよ、なーちゃん」
加奈子は「あ!」と声を出した。
教室にいた知らない子供たちに見られて、加奈子は口を手で塞いだ。
この呼び方は二人だけの特別な呼び方ので、みんながいるところではやめておこうと話し合ったのだ。
「うっかりさんだ。私」
「気をつけてね加奈子ちゃん」
「わかった! 仁志くん」
仁志君が加奈子のことを「かーちゃん」ではなく「なーちゃん」と呼ぶのは「かーちゃん」だとお母さんみたいで加奈子が嫌がったからだ。
秘密の呼び方で仁志君をことを呼ぶときも、仁志君から呼ばれる時も加奈子は温かい気持ちになった。
「はーい。みんな席に着いてー」
教室に入ってきた大人がそう言った。
その人のことを初めて見たが、加奈子は先生だと思った。
学校生活が始まったのだ。
加奈子は「ひーくん、また後でね」と言って席に座った。
他のクラスメイトたちも席に座り始めた。みんな少し緊張した顔をしている。
「担任の西山涼子です。じゃあ、自己紹介、初めていきましょうか」
先生の合図で、クラスメイト達が名前と好きなことを発表していく。加奈子は気を引き締めて、背筋を伸ばした。
一年生、二年生の間、加奈子の小学校生活はとても楽しいものだった。
新しい友達はすぐにできた。
持ち前の明るさと活発さによって、男子も女子も性別を問わず誰とでも加奈子は仲良くなれることができた。外遊びが好きではない子とも、加奈子は流行っていたアニメの話をすることで友達になれた。
小学校での初めての遠足。みんなで食べたお弁当は美味しかった。
運動会。いっぱい走れて楽しかった。
両親の参観日。国語の音読の時はとっても緊張した。
夏休み。宿題が大変で、宿題がなくなったら最高の夏休みだと思った。
歌の発表会。上手に歌えているか不安だったけど、楽しかった。
校外学習。地球科学館ではほとんど何を言っているかわからなかったけど、地球がとても大きい物だということが分かった。
冬休み。夏休みでは宿題に苦しめられたので、今度は早めに宿題を終わらせた。そのおかげで、楽しく友達と遊ぶことができた。
仁志君とは一番仲が良くて、どの記憶にも仁志君が存在していた。
順調だった加奈子の小学校生活に転機が訪れたのは三年生になった時だった。
「なあなあ、お前らって付き合ってんの?」
そう言いだしたのは隣のクラスの山城くんだった。




