第二十二話 逃げ方を知っている
逃げるのは、嫌いじゃない。
正確に言うと、
逃げられなくなる方が、怖い。
名を食う怪異と別れてから、
人気のない高架下に座り込んだ。
膝に肘をつく。
呼吸を整える。
心臓は、まだ早い。
「……狙われたか」
声に出すと、
少しだけ現実になる。
名前を持ち運べるようになった。
名乗らずに、
名を失わずに、
立ち向かえる。
それは、
強くなった証拠だ。
――同時に。
価値ができたということでもある。
名前は、
誰かに呼ばれるためのものだと思っていた。
でも、違う。
今は、
奪われる対象になっている。
「……参ったな」
笑おうとして、失敗する。
もし、あそこで無理をしていたら。
もし、逃げずに名乗っていたら。
――食われていた。
想像できる。
はっきりと。
自分が、
役目になって、
境界に固定されて、
戻れなくなる姿が。
ぞっとして、
膝を抱える。
それでも。
逃げた自分を、
嫌いになれない。
「正解だった」
小さく、言う。
誰も褒めてくれない。
でも、
自分で判断して、
生き延びた。
それでいい。
名を食う怪異は、
また来る。
準備してくると言っていた。
つまり、
次はもっと、
うまく奪いに来る。
それでも。
――逃げる。
逃げて、
距離を取って、
考えて。
戻れる場所を残したまま、立ち向かう。
それが、
自分のやり方だ。
立ち上がる。
足は、震えていない。
胸の奥で、
名前が、静かに鳴る。
使わない。
でも、捨てない。
守る。
呼ばれなくても、
奪われないように。
「……よし」
歩き出す。
今夜は、
誰も救わない。
誰とも関わらない。
それも、
立派な選択だ。
逃げることは、
生き残ること。
生き残れれば、
また戻って、
立ち向かえる。
名前がある限り。




